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20年を経て見直しの時を迎えた日本の司法制度改革 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年5月17日 18時0分

<「裁判の迅速化」でも「司法へのアクセス拡大」でも成果はなし、根本的に軌道修正が必要な時期に来ている>

司法改革がスタートして20年、裁判員制度が発足してこの5月でちょうど10年となりました。裁判員制度については、まがりなりにも定着した形ですが、では司法改革全体の成果はどうだったかというと、疑問が残ります。

まず、最大の目的であった裁判の迅速化については、これを実現するために裁判員を入れ、また裁判官の増員もしてきたわけです。ですが、2年ごとに発表されている最高裁による「迅速化に係る検証」報告書のうち、最新の2017年公表のものによれば結果は「横ばい」となっています。

例えば、大きな話題となっているカルロス・ゴーン被告に関する裁判も、5月と言われた初公判が9月、いや来年などと言われる始末です。この点に関しては、ゴーン被告の弁護士が、ゴーン被告と日産について裁判を分離する要求をした結果、早期開廷には反対の立場を取っているのが直接の理由のようです。

ただ、司法取引をして検察の「味方」になった日産とゴーン被告を同じ裁判で裁くのに弁護士が反対するのは当然であり、序盤から裁判が長期化するのは一概にゴーン被告側の責任とは言えません。要するに依然として制度そのものが時間のかかる仕組みなのです。

例えばですが、経済活動や国民生活に大きな影響のある民事係争の場合、双方が弁護士を立てて争うと、「地裁での一審」だけで平均20カ月かかっており、この傾向も、最高裁の報告書によれば2008年から2017年の10年間で横ばいとなっています。

揺らぐ司法への信頼

また今回の司法改革では、同時に「司法へのアクセス拡大」、つまり社会の様々なトラブルについて、もっと裁判を「問題解決のツール」として使って欲しいということも、改革の目的として掲げられていました。ですが、同じ最高裁の報告書によれば、訴訟の件数も横ばいとなっています。一審だけで20カ月かかる状態が改善していないのですから、裁判所に持ち込む件数が増えないのも当然と言えるでしょう。

その一方で、現在は司法制度に関する信頼が大きく揺らいでいるのも事実です。

例えば、この数週間だけでも、

(1)未成年時から父親の性暴力被害に遭っていた女性が、成人後の被害に関して訴え出たケースで父親は無罪に。

(2)交差点で歩行者を巻き込んだ悲惨な交通事故に際して、直進優先という法解釈から前方不注意と思われる運転者の刑事責任が問えない。

(3)学校構内で盗撮事件が発生したが、その県の条例では公共の場所でしか盗撮が禁止されていないので刑事立件できない。

といった問題が議論を呼んでいます。こうしたケースは、一見すると法律(または条例)の不備という問題であり、法改正を進めれば良いように思えます。

ですが、そこには根深い問題が潜んでいます。



一つは、政治の対立と、現在進行している司法への不信問題がシンクロしていないという問題があります。例えば、現在の現役世代は21世紀の現代の価値観に基づいて、一人一人の住民が権利を保障され、安全を確保され、万が一の場合には被害を正当に補償されることを望んでいます。

ですが、いわゆる保守という政治の立場は、高齢者主導の財界や官界を代表した「昭和的なヒエラエルキーによる秩序」から自由ではなく、現役世代の価値観や、確立してきた一人一人の権利意識への対応は遅れがちです。

一方で、いわゆるリベラルという政治の立場の場合は、国家や司法あるいは警察の権力に被害を受けた記憶ばかりが残っていて、例えば加害者の権利を擁護することでバランスを取れば人権が確保されるし、そのことが現役世代の生活の安全や安心感より優先するという、これまた21世紀の現在とは時間的にズレた感覚を持っています。

それ以前の問題として、技術革新や国境を超えた人の動きが加速する時代では、民事係争に一審で2年近くかかるとか、法改正論議に古い左右のイデオロギーが持ち込まれるというような状況では、社会における問題解決のツールとして、法律と司法が使えなくなってくる可能性があるわけです。

この点を考えると、実定法と判例の積み重ねで司法が信頼を維持するという現在の仕組みは根本から見直さないといけないのではないかと思うのです。

結果を伴わなかった改革

原則としては、古臭い左右対立ではなく、実務的でグローバルな常識との接続感もある現役世代による「現代日本の価値観=コモンセンス」というものを確立して、その価値観を、司法判断の上位に置くようにするということが必要です。

具体的には、より裁判員制度を充実させて、上級審にも拡大し、また民事訴訟にも導入すべきだと思います。さらに判事や検事について、形式化した国民審査制度ではなく、上級の司法官は常に世論によって監視され、直接もしくは間接的に民意によって任免されるような制度を導入すべきだと思います。

立法権については、法案の審議が不毛なイデオロギー対立や、与野党の政争の道具にされることのないように、実務的な法案審議の場合には、党議拘束を解除して、それぞれの議員が自分を選んだ有権者の声を代弁する形で賛否を決めるようにする必要があります。例えば2009年に審議された臓器移植法案では、党議拘束を外すことでスムーズな意思決定ができた経緯があります。

いずれにしても1999年にスタートした司法改革は、結果を伴わなかったという反省が必要であり、新たな問題への対応の遅れを取り戻すためにも、根本的な軌道修正が必要な時期に来ていると考えます。

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