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日本語の名前のローマ字表記は、「姓+名」それとも「名+姓」? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年5月23日 18時40分

<自国文化の独自性を主張したい気持ちは理解できるが、英語圏での慣習を考慮すればもう少し多角的な議論が必要>

日本人の姓名を英語圏などでローマ字表記する場合、従来は「名+姓」の順番だったのを、「姓+名」に変えるという動きがあります。これは、2000年に国語審議会が答申したものですが、今回、柴山昌彦文部科学大臣や河野太郎外務大臣が、あらためて推進するとしているようです。

理由としては、文化や言語の多様性を尊重、つまり英語圏においてアジアの文化はもっと独自性を発揮すべきということだそうです。この問題、基本的には個々人の自由であり、強制力を持つ話ではないので、賛成も反対もないわけですが、個人的にはあまり気が進まないのは事実です。

まず考えていただきたいのは、中国や韓国に追随する必要があるのかという点です。河野外務大臣が、記者会見で「習近平国家主席がシー・チーピンとかムン大統領がムン・ジェインという風に表記する外国の報道機関が多いわけで、安倍晋三も同様にアベ・シンゾーと表記してもらうことが望ましい」と述べているように、確かに中国や韓国は、英語圏での氏名の表記を「姓+名」にするように要請し、かなり対応してもらっています。

ですが、これをそのまま日本に適用するのは無理があります。中国語も、韓国語も姓は漢字1字が多く音も単純ですが、名は漢字2文字が多く複雑です。「鄧小平は鄧・小平」であり、姓の「ダン」は覚えやすいですが、名の「シャオピン」は発音として複雑です。「金・大中」も「キム」は音として把握しやすいですが、名の「デジュン」は、外国人には馴染みのない音になります。

ですから、中国や韓国の名前の場合は「簡単な音の姓」が先で、「特殊な音に感じられる名」は後という順番にするのは、比較的自然です。姓名の順序の話とは別になりますが、特に20世紀までにアメリカに移民した中国系などは、実用的な判断として、ファーストネームを英語風にする人が多かったのですが、それも名前の音が複雑だったからだと思います。

ところが、日本語の名前の場合は、最高で一つの子音に一つの母音が付随するだけの単純さ、また姓より名のバリエーションが特に多いわけでもない特質から、英語圏でもファーストネームを比較的覚えてもらえるという特徴があります。また、同じ理由から、過酷な差別を受けた世代や、二世、三世を除いては、ファーストネームを英語名にする人は中国系よりは少なめです。

同じアジア人として「英語圏カルチャーに対して独自性を主張」という気持ちは分からないではないものの、言語の構造が違うということはふまえた方がいいと思います。

さらに言えば、「姓+名」という順番にしていることもあって、日本人のファーストネームは、アメリカの場合、かなり親しみを持たれているということがあります。「イチロー・スズキ」「ヒデキ・マツイ」「ケン・ワタナベ」というような名前は、アメリカ人では知らない人はいないほどの知名度を誇っています。「ジョン」とか「マイク」というような英語風の名前にしていないにも関わらず、ちゃんと覚えてもらっているわけです。



安倍総理の場合がいい例です。長期政権を維持していることもあって、安倍総理の名前は、日本人の総理大臣にしてはめずらしくアメリカでも浸透しています。ですが、それは「シンゾー・アベ」という名前であって、その「名+姓」という順番が安倍総理のことをアメリカ人が「認識」する方法として自然であるからです。

安倍総理の場合は、オバマ前大統領と「広島と真珠湾での相互献花外交」を実現したこと、また「要警戒」であるトランプ政権の発足に合わせて「先手先手の外交」を進めたこと、この2つは功績として大きいと思いますが、それも「シンゾー=バラク」、「シンゾー=ドナルド」というように「ファーストネーム」で呼び合う関係があってのことで、それが成立し日米双方で認知された背景には「シンゾー・アベ」という名前の認知があるということもできると思います。

例えば、2000年の答申に忠実な例としては、エンゼルスの大谷翔平選手のケースがあります。大谷選手の場合は、「ショウヘイ」という名前より「オオタニ」という姓の方が発音しやすいからか、あるいは大谷選手サイドなりマネジメント会社なりが「姓+名」で押したのかもしれませんが、とにかくアメリカでも「オオタニ」で通しています。そして敬称をつけて「オータニ・サン」という呼ばれ方をしています。

それはそれで自然発生的なものかもしれませんが、問題は「姓を先にしてしまう」と、本当にフルネームで認知されることになるのか、ちょっと心配だということです。「ミスター・オオタニ」とか「オオタニ・サン」という認知はされても、「オオタニ・ショウヘイ」という認知の浸透度合いは弱くなるのではないかと思います。

日本語ブームもあって、日本語による日本人の名前はずいぶん浸透してきているのですが、その結果として日本人の「ファーストネーム」にも大分親しみを持ってもらっている、そんな時代になっています。これを強引に「姓+名」の順番に変えるとなると、混乱が心配なだけでなく「アベ・サン」とか、「ミスター・アベ」、あるいは「プライム・ミニスター・アベ」となって、結局「フルネームには親しみを持たれなくなる」可能性があります。

さらに表記の問題で、「アベ・シンゾー」という順番に変えた場合に、「アベ」が姓であることを示すために姓だけ大文字にして「ABE Shinzo」という表記はどうかというアイディアがあるようですが、これは少々強引です。名札等の個別の事例では、便宜的に成立する話かもしれませんが、英語の正書法には違反するからです。また、せっかく親しみを持ってもらった「日本人のファーストネーム」があらためて軽視されることにもなりかねません。

正書法に従うのであれば「Abe, Shinzo」になりますが、姓名の中にカンマが入るのは、文中に他に文法上の理由からカンマが入る場合などで、混乱して読みにくくなります。

とにかくこの問題、欧米流に抵抗してアジアのオリジナルを押し通す方が胸を張れるというような感情論ではなく、言語構造や相手側の認知のしやすさなど多角的な議論が待たれます。

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