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サル山から見たポピュリズムの現在地

ニューズウィーク日本版 2019年5月28日 16時30分

<欧米を席巻する秩序破壊デモは「今さえ、自分さえよければそれでいい」と騒ぐ朝三暮四の群れと変わらない>

「ポピュリズム」というのは定義の難しい言葉である。政治用語として頻用されているが、それは必ずしもその語の定義について集団的合意が成立していることを意味しない。

用語の定義は普通、同一カテゴリーに属する他の語との差異に基づいて理解される。「民主主義(デモクラシー)」なら「民衆による支配」という、誰が主権者であるかによる分類に基づいており、定義ははっきりしている。

その対義語は「王制(モナーキー)」や「貴族制(アリストクラシー)」や「寡頭制(オリガーキー)」や「無政府状態(アナーキー)」といった政体である。だから、誰かが「民主主義を廃絶せよ」と主張したとすれば、その人は代替するどれかの政体の支持者であることを明らかにしなければならない。

「ポピュリズム」はそうはゆかない。というのは、その対義語が何であるかについて合意が存在しないからである。

欧米の政治学の論文を読むと、ポピュリズムはほぼ例外なく「これまでの秩序を揺るがす不安定なファクター」という意味で使われている。だが、「これまでの秩序」は論者によって違う。トランプ米政権の統治についても、ドイツの移民政策についても、イギリスの貿易政策についても、バチカンの宗教政策についても、「これまでの秩序」を揺るがす動きは「ポピュリズム」というタグを付けることができる。

「生産性がない」と切り捨てる

こういうとき、一意的に定義されていない語で物事を論ずる愚を冷笑する人がいるけれど、私はそれにくみしない。「一意的に定義されていない語」が頻用される場合には、間違いなく「これまでの言葉ではうまく説明できない新しい事態」が発生しているからである。

そういう場合は用語の厳密性よりも、「新しい事態」を浮かび上がらせる「前景化」を優先してよいと私は考えている。では、ポピュリズムという定義が定まらない語によって指し示されている「新しい事態」とは何か?

私見によれば、ポピュリズムとは「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という考え方をする人たちが主人公になった、歴史的過程のことである。個人的な定義だから「それは違う」と口をとがらす人がいるかもしれないけれど、別に皆にこの意味で使ってくれと言っているわけではない。



ヨーロッパを席巻する極右運動(ポーランドの首都ワルシャワ) AGENCJA GAZETAーREUTERS

「今さえよければいい」というのは「時間意識の縮減」のことである。平たく言えば「サル化」。「朝三暮四」のあのサルである。

古代中国の春秋時代、宋の狙公(サル回し)が貧しくなって、サルに朝夕4粒ずつトチの実を与えられなくなった。そこでサルたちに「朝は3粒、夕べに4粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は4粒、夕べに3粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。

その点、人間でも未来の自分が抱え込むことになるかもしれない損失やリスクを「人ごと」と思える「当期利益至上主義」者は、このサルの同類である。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」と分かっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分を人ごとと考え、つまり「自己同一性」を感じることができずに「こんなこと」をだらだら続ける人たちもサルに似ている。一連の企業不祥事はほぼ全てこのパターンで起きた。

「自分さえよければ、他人はどうでもいい」というのは「自己同一性の縮減」のことである。集団の構成員のうちで、自分と宗教が違う、生活習慣が違う、政治的意見が違う人々を「外国人」と称して排除することに特段の心理的抵抗を感じない人がいる。「同国人」であっても、幼児や老人や病人や障害者を「生産性がない連中」と言って切り捨てることができる人がいる。

何でも人ごとと捉える彼らは、自分がかつて幼児であったことを忘れ、いずれ老人になることに気付かず、高い確率で病を得、障害を負う可能性を想定していない。もちろん自分が何かの弾みで異国をさすらう身になることなど想像したこともない。彼らにおいては自己同一性が病的に萎縮している。私はそれを「サル化」と呼ぶのである。

ポピュリズムとはこの「時間意識」と「自己同一性」の縮減のことである。私はこれを文明史的な「サル化」趨勢のことだと思っている。「サルは嫌だ、人間になりたい」と思う人が出てこない限り、「サル化」は止めどなく進行するだろう。

<本誌2019年5月28日号「特集:ニュースを読み解く哲学超入門」より転載>


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内田樹(神戸女学院大学名誉教授)

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