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中国公認の反逆児、ジャ・ジャンクーの次なるビジョン

ニューズウィーク日本版 2019年5月29日 12時30分

<鋭い社会批判と大衆受けの絶妙なバランスで高く評価される監督は中国映画「第3の道」を目指す>

どんなにパンクな反逆児も、いずれは体制側に回る(あるいは同化される)もの。それは時の流れや季節の移ろいと同じくらい自然なことなのだろう。

しかし今の中国では、時の流れも定まらない。時代は激しく動き続け、その政治や文化の未来は予測不能な権力闘争に左右される。

そんな中国にあって、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は独立系映画人の理想形と言えるかもしれない。今や中国を代表する世界的な映画監督であり、評論家にも一般の映画ファンにも受けがいい。その社会批判の姿勢と独特のリアリズムは政府の御用映画とはもちろん違うし、素晴らしい史劇で国際的な評価を勝ち得てきた張芸謀のような、いわば一世代前の中国人監督とも違う。

最新作『帰れない二人』は芸術性と大衆性を兼ね備えた意欲作で、その興行収入は国内だけで既に1000万ドルを超える(日本公開は今年9月の予定)。中国のアート系映画としては立派な数字だ。社会批判を繰り出しながらも反体制の烙印を押されることは回避し、より多くの人に見てもらえる映画を作ろうとする賈らしさが最も鮮明に表れた作品と言える。

デビュー作は1997年公開の『一瞬の夢』。国の援助を受けずに撮った(中国映画の大半は公的な支援制度の下で制作されてい る)。制作費は約5万ドルで、ロケ地は監督の故郷である山東省の汾陽。これが予想外にヒットしたことから、日本の映画会社のオフィス北野と提携することになった。

オフィス北野の出資を得て完成させたのが、2000年公開の『プラットホーム』だ。中国が大きく変貌する時代を背景に、汾陽の小さな文化劇団の団員たちが都会へ出て、ブレークダンスなどのパフォーマンスを披露する人気グループへと変身するまで の10年を描いた作品で、中国映画における新時代の到来を告げるものだった。

独立系の旗振り役として

とかく画一的で美化されたイメージを好む一党独裁国家の監視下でも日常生活の荒々しい一面を描き切った『プラットホー ム』を、カナダの映画誌シネマスコープは「21世紀の最初の10年で最高の作品」と評した。2013年には米フォーリン・ポリシー誌が賈を「グローバルな思想家100人」に選出し、この監督は「不平等や腐敗の拡大といった社会問題に目をつぶりがちな 自国の映画人に憤りを抱いている」と書いた。

国外での評価が高まるにつれ、国内での知名度も上がった。彼より前の世代の映画監督は、国内で公開できないことを承知で 国外で撮るか、政府の認める範囲で娯楽映画を撮るかの選択を迫られてきた。しかし、賈は第3の道を切り開いた。

今では国の補助金も受け入れている。『帰れない二人』では オフィス北野やフランスの映画会社のほかに、中国の国営映画会社である上海電影集団公司から出資も受けた。国内で上映するための検閲も受けている。


最新作の 『 帰れな い二 人 』( 左が主役の趙濤)



それでも、賈はデビュー当時からの姿勢を変えていない。その結果、今の賈は中国文化を海外に広める大使のような存在であると同時に、世界の映画界の潮流を国内に伝える存在ともなっている。

2017年には『プラットホーム』のロケ地の1つだった山西省の平遥で、新たな国際映画祭が誕生した。これも賈が音頭を取っ たもので、そこでは各国の代表的な映画と並んで国内の独立系映画も上映される。

自らメガホンを取り、歴史を語りつつ、中国映画の「顔」としての役割も果たす賈の立ち位置は、アメリカ映画界におけるマーティン・スコセッシのそれと似ている(スコセッシに比べると48歳の賈はまだ若いが)。

しかし、もっぱらアメリカにおける映画文化の継承と発展に取り組めばいいスコセッシと違って、賈は全く新しいものを基礎から築こうとしている。

歴史を記録する責任

昨年のカンヌ国際映画祭で『帰れない二人』が上映された際、賈はこう語っている。「私は中国における配給システムの改善に努めている。独立系映画の上映場所を増やしたいし、アート系制作会社の連合も立ち上げたい。しかし中国は大きな国だから、なかなか大変だ」

見上げたものだ。既に映画人として立派な実績を積み上げてきた男が、祖国の人々のためにさらに大きな夢を実現しようと努めている。

現在、中国の映画市場は世界第2位の規模で、映画の制作本数も多い。だが文化的には、まだ「眠れる巨人」と言っていいだろう。

ハリウッドも中国市場の将来性に期待している。得意のメガヒット作を中国市場で自由に公開できれば、ますます稼げるはずだからだ。

しかし賈が夢見るように国内で独立系作品が幅広く受け入れられるようになれば、もっと大きな変化が訪れるだろう。その夢が実現すれば、彼の最も大きな業績となるはずだ。

『帰れない二人』は自分が撮りたい映画と観客に受ける映画という野心のバランスを取った作品で、中国の政治状況とも市場 ともうまく折り合いをつけていた。そして賈としては過去最大の制作費を投じ、最大の興行収入を上げている。

2013年の『罪の手ざわり』は実際に中国で起きた事件に基づくエピソードを集めた作品で、ストーリーはアクション映画の定 石どおりに展開していく。『帰れない二人』も犯罪もので、主演は監督の妻であり、賈作品に欠かすことのできない女優の趙濤(チャオ・タオ)。彼女の演じるヒロインは、裏社会に生きる愛人の男を救うために銃を発砲して刑務所に入るが、出所した時にはもう男は姿を消していた......。

中国政府は映画の上映許可の 判断基準を明確にしていないため、当局の規制と検閲を予測するのがなんとも難しい。『罪の手ざわり』は最もエンターテインメント路線に寄っていたが、監督の期待を裏切って国内では上映禁止となった。

だが『帰れない二人』は、その運命を避けられた。賈は過去20年にわたって続けてきたように、この作品でも現代中国の激しい変化を真っ向から見つめている。これまでになく過激で、批判的な視点と言っていい。

野外ロケと自然音を重視し、風景や社会の変化、そこに生きる人間を一つの記録にまとめる独特のスタイルからは、目まぐるしく変化する現代中国に対する彼の思いが伝わってくる。

昨年、スイスのロカルノ国際映画祭で審査委員長を務めた賈はシンポジウムで、自分の感性は『一瞬の夢』を撮る前に汾陽で目にした大規模な再開発の光景で培われたと語った。

「しっかりと目に焼き付けておけ、すぐに消えてしまうからな、と父に言われた」。賈は故郷の町についてそう言った。「記憶 は失われる可能性があることに初めて気付いた」

後に彼はこうも語っている。「現在を撮影していても、たちまち過去になる。だから映画人には、何より歴史を記録するという責任がある」

これは比喩ではない。実際のところ『帰れない二人』は、賈が2001年に撮ったドキュメンタリー映像から始まる。『山河ノス タルジア』と同じ手法だ。ここからも、長年にわたる自分の経験を歴史として残そうとしていることが分かる。中国の激しい 変化の中では、現在は一瞬でしかないのだから。

しかも、意図的に本人の過去の作品を思い出させる仕掛けになっている。この映画も『山河ノスタルジア』や『罪の手ざわ り』と同じく、いくつかのパートに分かれていて、2002年の『青の稲妻』の主人公の故郷である 大同市や、2006年ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いた『長江哀歌』の舞台である三峡ダム周辺が再び映し出される。



社会に根付く不安を描く

こうした象徴的な風景の中をヒロインはさまよう。自分を捨てた男を忘れることができず、彼が率いた結束の固い組織も今や仲間割れして争っている。傷つきやすさと鋼鉄のような意志を巧みに表現する趙は、ハリウッド黄金期の大女優さながらの魅力を放ち、その感情豊かな演技は作品に深みを与える。

賈はこの作品をギャング映画として撮ったと言うが、窮地に陥ってもしたたかに立ち直る女性像は、昔のアメリカ映画にはなかったものだ。作品の主題は前作2本と同じく、金銭によってむしばまれる人間関係。主役の男女も現代中国の弱肉強食の世界で引き裂かれてしまう。

ドキュメンタリー映像を挿入しながら国の歴史を物語形式で見事にまとめ上げる賈は、中国政府にとって期待の星であると同時に、検閲当局に目を付けられてもいる。

そんな賈の姿勢に異を唱える向きもある。国内で作品を上映するために自己規制している、その証拠に汚職役人は描かない、と。実際、もっと先鋭的な独立系監督である応亮や王兵の作品は、政府による国民の権利の侵害を強く批判している。

とはいえ『帰れない二人』の持つ批判精神は薄っぺらなものではなく、作品そのものに力がある。役人の悪行を描写しなくても、賈は政府がうたう「復活した中国」という公式の物語とは全く対照的な「不安」を描き出している。それは社会に深く、 広く根付いた不安だ。

国内で上映できなかった『罪の手ざわり』では、現代中国で金に目がくらんだ人間が犯罪に手を染めた。しかし『帰れない二人』では逆に、裏社会の人間がゆっくりと、金が全ての資本主義社会に溶け込んでいく。

どちらも悲しい話だが、後者のほうが闇は深いように思えてしまう。

From Foreign Policy Magazine



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[2019.5.28号掲載]
ダニエル・ウィトキン(映画評論家)

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