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「人間関係の希薄さに救われることがある」これだけの理由

ニューズウィーク日本版 2019年5月29日 17時0分

<人間関係が満たされていることは心身の健康につながる。満たされていないことは、喫煙や肥満にも並ぶ健康リスクにさえなる。ただし、何をもって「人間関係が満たされている」と考えるのかは人それぞれだ>

あなたは、職場の人間関係に満足しているだろうか。あるいは家族や友人との関係についてはどうだろう。趣味のサークル、または普段見ているSNSのタイムラインについては? 

人間関係は、あなたの心身の健康を大きく左右する。そればかりか、生命そのものにすら影響することが分かっている。

ジュリアン・ホルトランスタッドら(2010)は、人間関係と死亡率の関連性について、総計308,849人を対象とした148の研究にもとづいてメタ分析――個別になされた多くの研究を統合して分析する手法で、エビデンスとしての質が高い分析――を行った。用いられた研究は世界の様々な地域で行われたもので、サンプルとして多様な疾患の入院もしくは外来患者を用いたものから、一般住民(特に高齢者)を対象にしたものまでが含まれていた。

分析の結果、対人関係が充足されているほど追跡調査終了時の生存率が高いという、統計的に有意な関連性があった。そしてこれは、年齢、性別、研究開始時点の健康状態などに関わらず、広く多くの人に当てはまった。

その逆の対人関係が充足されていないことを他の死亡リスク要因と比較すると、喫煙に匹敵し、過剰飲酒や運動不足、肥満などのよく知られた重要なリスク要因を上回っていた。孤立は肥満以上に健康を害する。だとすれば、雑誌は筋トレ特集だけでなく、友人作りの特集を組むべきなのかもしれない。

しかし、「人間関係が充足されている」というのはいったい何を意味するのだろう。沢山の友人がいること? 夜中の2時に電話で愚痴を聞いてくれるような特別に親しい友人がいること? 

人間にとって、<自分は孤立しておらず、自分を取り囲む社会に所属している>という感覚を持てることは非常に重要である。こうした所属感に影響しうる要因として検討されてきたものに、ネットワークの「密度」がある。

ネットワークの密度とは、ある個人を中心としたネットワークにおいて、他のメンバー同士の間に<存在しうるリンク(人間関係)>のうち、<実際に存在しているリンク(人間関係)>の比率として算出される。少しわかりづらいかもしれないので、一つのケースを想定してみよう。



ネットワークの密度の高さは常にプラスに働くのか?

例えば、あなたを中心とするネットワークを考えてみよう。あなたの知人であるA、B、Cは、あなたとの間にリンクを持っていることになる(あなたを中心とするネットワークの定義である)。それだけでなく、AとBの間、BとCの間などにも、直接のリンクは存在するとしよう。こうしたリンクが多いほど、あなたのネットワークは、「密度が高い」と表現される。

田舎と都市の社会を比較すると分かりやすい。田舎では、同じ地域で生活する人々同士は、相互に面識があることが多い。あなたの取引先は、あなたの友人のお兄さんかもしれない。あなたの職場の上司は、あなたの父親の元同級生かもしれない。こうした状態は、ネットワークの密度が高いと表現される。

これに対して都市では、同じマンションに暮らす隣人でさえ、お互いのことはほとんど知らないということがしばしばある。あなたの職場の同僚と友人、あるいはあなたの趣味の友達と兄弟とは、接点が全くないことが多いだろう。こうした状態が、ネットワークの密度が低いと表現される。

密度をこのように捉えたとき、密度が高いネットワークで暮らす方が、密度が低いネットワークで暮らすよりも幸福であるというのが、古典的な議論であった。田舎のように密度が高いネットワークは、コミュニティとして個人を包み込み所属感を与えてくれる。これに対して、都市によく見られる密度の低いネットワークでは、住民が生活を送る様々な場が全体として一つのコミュニティであるとはなかなか思えないだろうし、確たる所属感も得にくいだろう。「昔ながらのコミュニティの崩壊」は、こうした文脈でも嘆かれてきた。

例えばジョセフ・ストークス(1985)が大学生を対象に行った調査によれば、自分を中心とするネットワークの密度が高いほど孤独を感じにくかった。友人の数が多い(ネットワークのサイズが大きい)ことや、親しい友人が沢山いることよりも、ネットワークが高い密度を持ち一つのコミュニティとして機能することの方が、孤独感を防ぐ効果があったのである。

では、ネットワークの密度は高い方が常によいのだろうか? 浦光博(1992)は複数の研究をレビューし、「そうではない」と考えた。

例えば、バートン・ハーシュ(1980)は、若い未亡人と、既婚で大学に復学したばかりの女性を対象に、ネットワークの構造的特徴と現在の生活への適応の度合いの関係を検討した。すると、ネットワークの密度が低いほど、周囲の人々から提供されるソーシャル・サポートに満足していたのである。また2つのネットワークの連結の度合いを「境界密度」と呼ぶが、核家族のネットワークと友人関係のネットワークの境界密度が低い、つまり友人に夫や子どもとは無関係な人々が多いほど、周囲からのソーシャル・サポートに満足しまた精神的に健康であったことも示された。

こうした人々は、大きな生活の変化を経験し、新しい役割や活動を獲得する必要に迫られている。そうした人にとっては、密度や境界密度が低いネットワークの方が、柔軟な選択を受け入れ手助けしてくれるというわけだ。



密度の高さが逆効果をもたらす場合

また他の数々の研究によれば、「社会経済的地位が低いか/高いか」「田舎に住んでいるか/都会に住んでいるか」「安定を求めているか/変化を求めているか」などによっても、密度が個人の適応に及ぼす影響が異なっていた。

これらの研究を踏まえた浦の結論は、高密度なネットワークは、一貫した役割とアイデンティティを提供する。しかし一方で、そこから逸脱することに対しては抵抗になる。結局、その人が自分の役割やアイデンティティに何を求めているかによって、密度が高い方が好ましいのか、密度が低い方が好ましいのかは異なるということであった。

例えば、自分の親とも仲がいい友人の前では、家族に知られたくないような自分をさらけだすのは難しいだろう。このようなとき、密度の高さは窮屈さを感じさせるものになるかもしれない。しかし、自分が友人の前で既に演じている役割に満足している人にとっては、密度の高さは窮屈さをもたらすものではない。

比較的近年行われたマーク・ウォーカー(2015)の研究も、基本的には同じアイデアにもとづいている。彼は、自分が属するネットワークが自分のアイデンティティに対して持つ性質によって、密度が精神的健康に及ぼす影響は異なると予測した。

「自分らしく振る舞える」と感じさせてくれるネットワークに属している人にとっては、密度の高さは好ましいものだろう。それは、いつ、誰といるときにでも、安定して自分らしさを発揮できることを意味するからである。

しかし、人前で「自分らしく振る舞えていない」と感じている人にとっては、密度の高さは逆効果だろう。それは、常に自分を押し殺さなければならないことを意味するからだ。

分析の結果、「承認的なネットワーク」に属している人々にとっては、その密度は自尊心と自己効力感(ここでは、自分の人生を自分でコントロールできるという感覚)に対してポジティブな効果を持っていた。その一方で、「否認的なネットワーク」に属している人々にとっては、その密度の高さは自己効力感に対してネガティブな効果を持ち、自尊心に対しては統計的に有意な効果を持たなかったのである。

後者の結果を言いかえるとこうなる。自分が人前で自分らしく振る舞えないと感じているとき、家族や友人同士が相互に繋がっているような高密度のネットワークであればあるほど、自分の人生を思い通りにできないという無力感を強めてしまう。また、そうしたネットワークでは、コミュニティに深く「埋め込まれている」ことは、自尊心を高めてくれるものではない。



個人が人間関係に何を求めるかも鍵

こうした場合には、ネットワークの密度が低く、他の人の前とは異なる自分を見せられる相手がいる方が、よい効果を持つ。一つの鍵となるのは、「第三の関係」と位置付けられるようなものだろう。

家庭(第一の関係)とも、職場や学校(第二の関係)とも異なる、自分らしさを発揮できる場所(第三の関係)。個人の置かれたネットワークの性質によっては、他の人間関係と切り離された人間関係を持つことこそが、心理的安全をもたらしうるのだ。

同性愛者などのマイノリティ、あるいはステレオタイプや偏見により本来の自分とは異なる自分像を押しつけられがちな人々、あるいは「人目をはばかる趣味」を持つ人などにとって、既存の「緊密な関係性」から解き放たれた場所での人間関係の構築は、好ましい効果を持ちうるだろう。実際、一度緊密なネットワークから「避難」し、新たに別のネットワークを築くことで、アイデンティティを再構築する人はたくさんいる。

また、個人が人間関係に何を求めるかによっても、密度の効果は異なる。シー・ツォウら(2015)は、望ましい結果を得ること(「促進」と呼ぶ)や、望ましくない結果を避けること(「予防」と呼ぶ)をそれぞれどの程度得意とするかという個人差の影響を検討した。これまでの社会心理学の研究によれば、「促進」と「予防」はどちらも人々を動機づけるものであるが、そのどちらに焦点を当てやすいかには個人差があることが明らかにされてきた。

促進を得意とする人々は、自己の成長や達成を重視する。こうした人々にとっては、密度が低く多様性があるネットワークの方が、そこから多くの新しい機会や情報がもたらされるため、幸福感を抱きやすいと予測できる。

一方で、予防を得意とする人々は、安定や現状の維持に重きを置く。慎重な人だと言い換えてもいいかもしれない。そのため、ネットワークの密度が高く環境が安定している方が、幸福感を抱きやすいと予測できる。

そして実際、ネットワークの密度が高いことで幸福感の指標である人生満足度が高まるのは、予防を得意とする人々、促進を苦手とする人々のみであった(ただし促進が得意な人々は密度に関わらず人生満足度が高かった)。ネットワークの密度の高さは、全ての人にとってポジティブなわけではなかったのである。

また、密に連結されたネットワークは、密に連結されているがゆえに脆弱である場合がある。



「夫婦ぐるみのおつきあい」が失われるとき

ブライアン・ウィルコックス(1981)は、離婚して間もない女性が離婚後および離婚前に持っていたネットワークの性質と、現在の適応との関係を検討した。この際、先に述べた「境界密度」も分析に用いた。

離婚前の夫婦のネットワーク間の境界密度が高いということは、元妻にとっても元夫にとっても友人であるような人物が多かったことを意味する。また、妻の離婚前のネットワークと現在のネットワークの境界密度が高いということは、離婚の前後で変わらずに関係を維持しているような相手が多いということを意味する。

分析の結果、現在不適応的である女性は、適応的である女性に比べて、離婚前に夫のネットワークとの境界密度が高かった一方、離婚前後のネットワーク間の境界密度が低かった。これは、夫と共通して友人であったような人間関係の多くが、離婚によって失われたことを示唆している。

つまり、密に連結されたネットワークは、その一部が失われるときに他の人間関係まで一緒に失われてしまいやすいのである。わかりやすく言えば、「夫婦ぐるみのおつきあい」をしている友人の割合が大きければ大きいほど、離婚によるダメージが大きくなるという脆弱性があるわけだ。

今あるネットワークの濃度だけでなく、次への関係性にどれだけ開かれているか。緊密であるだけでなく、開放的か否か。そうした、社会への開かれ度合いもまた、個人の選択肢を左右するだろう。

以上の研究から言えることは、このようになる。

人間関係が満たされていることは心身の健康につながる。逆に人間関係が満たされていないことは心身の健康を損ない、喫煙や肥満にも並ぶリスクになる。

しかし、友人や特に親しい友人の数以外のネットワークの性質に注目すると、何をもって「人間関係が満たされている」とするかは、人により状況により異なっている。

田舎での生活を愛する人々にとって、都会の人間関係は希薄で温かみのないものに感じられるかもしれない。しかしその希薄さにこそ救われる人々もいる。

逆に都会での生活を愛する人々にとって、田舎の人間関係は窮屈で牢獄のようなものに感じられるかもしれない。しかしその濃密な人間関係は、コミュニティに所属したいという人間の根源的欲求を満たしてくれるものでもある。

誰にとっても好ましいようなネットワークは実現困難かもしれない。しかし、ネットワークの重要性に自覚的であり、様々なネットワークの選択肢を許容することが、社会としての豊かさを向上させるとは言えそうだ。

引用文献:
・Hirsch, B. J. (1980). Natural support systems and coping with major life changes. American Journal of Community Psychology, 8(2), 159-172. https://doi.org/10.1007/BF00912658
・Holt-Lunstad, J., Smith, T. B., & Layton, J. B. (2010). Social relationships and mortality risk: A meta-analytic review. PLoS Medicine, 7(7), e1000316. https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1000316
・Stokes, J. P. (1985). The relation of social network and individual difference variables to loneliness. Journal of Personality and Social Psychology, 48(4), 981-990. https://doi.org/10.1037/0022-3514.48.4.981
・浦光博 (1992) 支えあう人と人:ソーシャル・サポートの心理学. 東京: サイエンス社.
・Walker, M. H. (2015). The contingent value of embeddedness: Self-affirming social environments, network density, and well-being. Society and Mental Health, 5(2), 128-144. https://doi.org/10.1177/2156869315574601
・Wilcox, B. L. (1981). Social support in adjusting to marital disruption: A network analysis. In B. Gottlieb (Ed.), Social Networks and Social Support (pp. 97-115). Beverly Hills, CA: SAGE Publication.
・Zou, X., Ingram, P., & Higgins, E. T. (2015). Social networks and life satisfaction: The interplay of network density and regulatory focus. Motivation and Emotion, 39(5), 693-713. https://doi.org/10.1007/s11031-015-9490-1

[筆者]
荻上チキ(おぎうえ・ちき)
評論家、ラジオパーソナリティ。メディア論を中心に、政治経済から文化社会現象まで幅広く論評する。著書に『いじめを生む教室』(2018、PHP)など。TBSラジオ「荻上チキ session-22」でギャラクシー賞受賞。

高 史明(たか・ふみあき)
社会心理学者。博士(心理学)。偏見と差別、自伝的記憶、マインドセット 、ジェンダーと労働の研究などを行ってきた。著書に『レイシズムを解剖する――在日コリアンへの偏見とインターネット』(2015、勁草書房)など。2016年、日本社会心理学会学会賞(出版賞)受賞。

荻上チキ(評論家)、高 史明(社会心理学者)

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