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北アイルランドにIRA復活の足音

ニューズウィーク日本版 2019年6月6日 12時0分

<新IRAの動きが活発化した背景にはいまだ高いままの失業率と紛争と薬物汚染で住民が抱え込む心の病が>

ライラ・マッキーはジャーナリスト。彼女は今年4月、北アイルランドのロンドンデリーで暴動を取材中に、銃弾を浴びて死亡した。29歳の若さだった。

恐れていたことが現実になった――マッキーの訃報に触れて、そんな思いを抱いた人は多かった。ブレグジット(イギリスのEU離脱)をめぐる決断の期限は刻々と迫っている。しかも、かつて北アイルランドをテロの恐怖に包み込んだIRA(アイルランド共和軍)の新派を名乗る「新IRA」が、マッキーの死に対する一定の責任を認める声明を発表した(最終的には暴動を誘発した警察の責任だと主張している)。

この事件をきっかけにして、とうの昔に終止符が打たれたはずのIRAのテロが、ブレグジットの可能性が高まったことで再燃したという見方が強まっている。本当にそうなのか。

そもそも過激派の「復活」と言われても、北アイルランドの場合はぴんとこない。IRAが完全に鳴りを潜めたことは、一度もないからだ。

過激派の活動が再燃したのは2007年以降。ブレグジットに絡むアイルランド国境の扱いについて、「ハード・ボーダー(厳格な国境管理)」や「バックストップ(安全策)」といった言葉が取り沙汰されるずっと前のことだ。

ロンドンデリーのボグサイド地区の住宅の壁には、「地元のIRAに入ろう」といったIRA支持の落書きが見える。この地域は旧市街を囲む城壁の外側にあり、カトリック系労働者層が圧倒的に多い。

新IRAは、北アイルランドが直面する過激派の脅威で最も深刻なものだ。この組織は12年、小規模な民兵組織が合体して生まれた。新たな指導部の下、新IRAは不気味なほどに最盛期を思い起こさせる派手な攻撃を繰り返している。

北アイルランドは数え切れないほどの問題を抱えている。しかし都市部の男性若年層を中心とした高失業率が、過激派に新兵を送り込む大きな要因になっていることは間違いないだろう。その一方で薬物汚染の急速な広がりが、カトリック系住民を守ると称する新IRAへの支持を広げることにもなっている。

北アイルランドの若者の過激化を研究するアルスター大学のジョニー・バーン講師は「高失業率が過激派の活動の直接的な原因になっているとは言い切れない」と慎重に語りつつも、「失業率が高い地域で過激派の影響力が大きくなっていることは、かなり確実だ」



1月にロンドンデリーの裁判所近くで起きた車の爆破事件にも新IRAの関与が疑われている CHARLES MCQUILLAN/GETTY IMAGES

不満を抱く感受性の強い若者たちの失業は、新IRAなどの組織に参加するきっかけになり得る。これはある意味で、和平プロセスが招いた結果だ。和平はカトリック系中間層に力を与える一方、社会経済的な側面ではより深刻な不満の解消や多くの労働者階級を置き去りにした。

住宅問題も大きな要因

「私に言わせれば、和平プロセスではなく、貧困プロセスだ」と、極左の共和派政党シーラ(新IRA傘下にあると警察はみている)の広報担当パッディ・ギャラガーは言う。

ロンドンデリーのカトリック系住民が多い地域では、昨年7月に暴動が6日間続いた。後日、新IRAが関与を認めたが、むしろ労働者の怒りがあちこちで炸裂したという印象だった。

「労働者階級は今も貧困に苦しんでいる」と、ギャラガーは言う。「雇用も国民保健サービスも、教育も住宅も不足している。数十年たっても、まだ同じ問題を抱えている」

最新の統計によれば、カトリック系の失業率は8.8%と、全域平均(7.5%)やプロテスタント系(5.7%)よりいまだに高い。60年代後半に始まった北アイルランド紛争直前よりは改善されているものの、カトリック系が多いベルファストやロンドンデリーの失業率は約11%、男性若年層に限れば実に16.9%に上る。

そして住宅問題がある。北アイルランドで最も厄介な問題だ。カトリック系は人口のほぼ半数を占め、一部の都市で公営住宅を必要としているのは圧倒的にカトリック系だ。だが入居を申し込んでも、プロテスタント系より平均で半年も長く待たされる。カトリック系への差別が続いていることが分かる。

しかし若者が民兵組織に引き寄せられる理由は、経済的困窮や宗教的差別、住宅不足だけではない。ギャラガーは、いま広がっている心の病や薬物汚染との関係を指摘する。

「現在の貧困は対処し切れないほど大きな問題だ。人々は働く場所も住む場所もなく、まっとうな教育も受けられないという状況に耐え切れず、その現実から逃避するために薬物に手を出しているのではないか」

精神科医の間には、紛争による心的外傷を指摘する声が上がっている。作家のデービッド・ボルトンは著書『紛争と平和と精神衛生』で、北アイルランドでは少なくとも3万4000人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、紛争で受けた心の傷が原因とされる不安障害に苦しんでいる人々は推定21万人いると指摘している。

PTSDと薬物依存の因果関係は立証されている。公式の報告書でも、この10年で北アイルランドでは薬物関連の犯罪や薬物使用が確実に増加したとされる。厄介なのは、違法薬物の売人のネットワークが、カトリック系労働者が多い地域でIRAが権威を取り戻すのに利用されていることだ。



紛争の最盛期には、薬物犯罪の発生率は比較的低かった。これは主にイギリス軍と、北アイルランド警察庁の前身である王立アルスター警察隊がにらみを利かせていたためだが、それだけでなくIRAによる自警活動の効果もあった。

停戦によってIRAが撤退し、治安部隊が解散するなか、非公式の司法制度は崩壊し、その隙間に薬物の売人が入り込み、人々のすさんだ心に付け込むようになった。薬物の急速な広がりは大半の地元住民には歓迎できない変化であり、これによって新たなIRAが草の根から生まれた。治安部隊との闘いは薬物売買との闘いに変わった。

07年の世界金融危機の影響で、北アイルランドの社会状況は悪化し、薬物使用率が増加した。こうして麻薬組織のボスたちが力を手にし、独立国際武装解除監視委員会が「08年以降、IRAの復活が見られる」と報告した事態に至っている。

ブレグジットで状況悪化

08年以降、薬物を取り締まるIRAの過激派組織が新たに生まれ、懲罰の名を借りた暴力事件も頻繁に報告されている。これらの組織は、薬物を根絶して地元の若者を守るという題目を掲げている。だが不完全な司法制度の下では、組織が判事と陪審員と死刑執行人の役割を同時に担い、時には無実の人々の死につながる事態も起きている。

そうした組織を取り締まる警察は、無力感を抱いている。問題の一部は、北アイルランド警察庁が何世紀も前の社会の傷を回復できないことにある。警察庁はプロテスタント側の味方で、イギリスによる統治のために働いていると、住民からは見られているためだ。

「ここに大きな空白がある」と、シーラ党のギャラガーは言う。「北アイルランドの人々は昔から、イギリスのためではなく、自分たちのために働く警察組織が存在しない地元社会では、自警組織に頼ってきた」

こうした社会問題は、IRA復活に拍車を掛けている。その一方で、IRAが政治的な問題に焦点を絞り、状況を悪化させる要因となっているのがブレグジットの問題だ。

16年の国民投票の際、北アイルランドではEU残留派が過半数を占めた。アイルランド共和派は、アイルランドの歴史に関する自己流解釈に沿った物語をつくり出してきた――イギリス政府は、住民の意思を無視して北アイルランドの将来を決めようとしている。自決権を取り戻す唯一の道は、イギリスを離れ、アイルランドとして統一することだ......。



「ブレグジットにより、いや応なくIRAが見直され、アイルランドが分割されたままだという側面が浮かび上がってきた」と、新IRAのあるメンバーは言う。「その機会を生かさないとしたら、われわれの怠慢だ」

この状況で、将来が明るいと思える理由はほとんどない。新IRAは記者のマッキーが死亡した事件について責任を認めた上、3月にはイングランドやスコットランドにも爆発物を持ち込んだとされ、1月にロンドンデリーの裁判所の外で起きた車の爆破事件にも関与したとされている。こうした事件が、この1年で急速に増えている。

ブレグジットが実現したとして、その後に過激派組織の暴力事件が増加するかどうかは分からない。だが、IRAの新世代が力を付けている流れは収まる気配がない。ブレグジットの結末がどうなろうと、既にIRAの脅威は再び北アイルランド社会の一部になったのだ。

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年6月11日号掲載>


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ダン・ハバーティ(ジャーナリスト)

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