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ISIS残党がイラクを襲う

ニューズウィーク日本版 2019年6月7日 17時15分

<一枚岩になれないイラク軍が招く軍事的リスクと「カリフ思想」の復活を招く社会的問題とは>

イラク西部の砂漠地帯アンバル州にある小さな村落、アブ・テバン。ここに住む村人は毎日、夜の訪れに怯えている。

村のリーダーを務めるダキィル・イブラヒム・ラマエドは、テロ組織ISIS(自称イスラム国)の再来を語る。「彼らは夜に襲ってくる」。ダーイシュ(アラビア語でISISを指す)はどこからともなく現れると、過去8度もISISに拘束され、その残虐性に触れたラマエドは言う。「われわれは家に監視カメラを置き、屋上には見張りを立たせ、村人は互いに警護しながら眠る。ここには治安部隊がいないから」

ISISは再びイラクで反乱を起こそうとしているらしい。少なくとも、その準備をしている。シリアにおけるISIS最後の拠点だった東部バグズが今年3月に陥落して以降、数千人以上の戦闘員がイラクに入ったとみられている。

実際、ISISの指導者アブ・バクル・アル・バグダディが4月に5年ぶりの動画を公開したとき、彼はスンニ派が多数を占めるアンバル州にいたとみられている。多くの戦闘員はISISが造った地下トンネルに潜伏して食料や衣服を調達。5~10人単位で活動している。

一方のイラク軍は、内部の派閥争いから分裂している。ISISの大部分が掃討された一方で、小規模の生き残り部隊は活発に動いており、政府の監視が手薄なイラクの僻地を脅かしている。人口の多い首都バグダッドは治安が制御されているが、地方が危険な状態にある限りISISが根を張る火種は残る。

独自の戦略で動く各軍閥

内部分裂しているとはいえ、イラク軍は14年にISISが北部の都市モスルを陥落させて以降、対ISIS作戦に磨きをかけてきた。アメリカのワシントン中近東政策研究所のイラク専門家、マイケル・ナイツ上級研究員は、ISISが再び勢力を取り戻そうとしても「米軍とイラクの特殊部隊は夜襲などの戦略を洗練させている」と語る。

「イラク特殊部隊の士気も上がっており、これは極めて効果的だった」

ただ、イラク軍内部ではそれぞれの派閥がISISに対する独自の戦法を有している。こうした統一性のなさは、長期的に見て非効率を招く。

イラク軍の派閥には、イラク対テロ部隊(CTS)や大衆動員機構(ハシェド)、イラク陸軍、それに部族単位の戦闘員などがある。ISISと戦った多くのスンニ派兵士はハシェドに参加した。もともとは14年にシーア派の臨時戦闘員を中心に組織された部隊だ。ハシェドは組織立っておらず時に内紛も起こすが、イランの支援を多分に受けて対ISIS掃討作戦で主要な役割を担った。だが、CTSとはほとんど協調していない。



英王立国際問題研究所のレナド・マンスール研究員は、「CTSとハシェドは話すらしない」と語る。「それぞれアメリカとイランの代理とみられているため、同じ部屋に入ろうともしない。もちろん、互いの情報も共有しない。彼らは本来、ダーイシュを倒し、復活しないように共闘しなければならないのだが」

不確実な情勢を象徴するものとしてマンスールが指摘するのが、モスル市民の反応だ。「ISISから解放されて以降、モスル市民はカリフ国家の崩壊を喜んでいた。だが、いま彼らに話を聞けば(ISIS支配が終わって)2年近くたつのにまだイラク政府からの支援がないと言う」

ただ、イラク政府も内部分裂に陥っているものの、政府はある1つの認識においてはまとまっている。つまり、あまりに多くのイラク人がISISの本性に接したため、国民はISISを恐れ、嫌悪していることだ。

「14年には、この地域の部族の9割がダーイシュを支持していたが、今や1%もいない」と、アンバル州の部族戦闘員の1人、シャイフ・カタリ・シャマルマンドは言う。

シャマルマンドは、自身の部族はISISを支持しなかった数少ない部族であり、例外的な判断をしたと語る。03年にアメリカがイラクに侵攻して以降、シーア派政権がスンニ派社会を疎外したことにスンニ派は怒りを募らせていたため、スンニ派にとってはISIS側に付くことが現実的な選択肢に映ったからだ。

住民の安全は後回しに

だが、14年にISISが単なる反乱勢力からイラク国土3分の1を制圧する支配勢力へと変貌したとき「(多くの部族は)ISISが犯罪組織で、彼らにとって重要なのはスンニ派かシーア派かでなく、殺戮と破壊だと気付いた」と、シャマルマンドは言う。

死亡説も流れていたバグダディは今年4月、5年ぶりに動画を公開 REUTERS TV

ISIS支配の残虐さは、戦闘員を集める基盤を著しく小さくさせた。そして、多くの部族や市民らがイラクの治安部隊と情報を共有し始めた。

「ISISが諸地域を陥落できた理由? イラク軍が住民から好かれておらず、求められてもいないと感じたため、武器を置いて去っていったからだ」と、イラク国防省の広報室長、タシーン・アル・ハファジ少将は言う。「今は逆だ。彼らは軍を必要とし、軍と共にいる。(ISISからの)解放作戦では軍に協力した。だから協力関係は以前よりもはるかに強い」

それでもISISはイラクに戻り、襲撃を行っている。最近ではラマエドのような地元の指導者を標的にするようになった。5月上旬には、北部ニネベ州で地元指導者の家が襲撃され、指導者と親族4人が殺された。4月にも同州で簡易爆弾により部族の指導者が死亡している。

以前より弱体化したとはいえ、ISISは戦略を変え、標的を絞った攻撃で存在感をアピールするようになった。政府軍や部族の武装組織は治安の回復を目指している。だが、ISISの残党はイラク西部の広大な砂漠地帯や東部ディヤラ州のハムリン山脈、ニネベ州の辺ぴな地域などに小グループに分散して潜伏。潜伏場所を次々にたたいても、完全な掃討は困難を極める。



以前に比べると住民から有力な情報を得られるようになったとはいえ、CTSなどが集めるのは主として敵の軍事的な動きに関する情報に限られる。だが今、イラク全域で2つの戦いが繰り広げられている。1つは軍事的な戦い、もう1つは社会的な戦いだ。イラク軍は物理的な戦いには勝利しつつあるが、孤立し、危険にさらされたアブ・テバンのような村では住民の不満が高まる恐れがある。そこにISISの残党が付け入り、盛り返しを図るかもしれない。

イラクで今も活動しているISISの戦闘員の数は1000人足らずから3000人以上とも見積もられている。しかし、推定10万人の戦闘員を抱えていた最盛期と比べると、見る影もない凋落ぶりだ。「09~10年でも、彼らは非常に大規模な、いわば産業化された武装組織だった」と、イラク専門家のナイツは言う。「イラクの一部地域では、地元の唯一の産業がISISというありさまだった」

より古典的な反乱勢力に回帰した今、ISISが行うテロ攻撃の回数は大幅に減っている。「今のダーイシュには指導部もなければ、1つの都市や広い地域を占領する能力もない」と、イラク国防省の軍事顧問を務めるモハメド・アル・アスカリ中将は言う。「ダーイシュは元の形態に戻り、スリーパー・セルを抱えて、限定的な攻撃を行うのみだ」

「今ではそう簡単にISISに加わる者はいない」と、ナイツも言う。「戦闘員もわずかで、活動範囲も狭められているから、彼らは質の高いアプローチを探らねばならない」

つまり、攻撃回数が減った代わりに、戦略的にターゲットを絞る必要があるということだ。

「彼らは過去の戦いで多くの教訓を得た。量よりも質というアプローチをうまく採用したのもその1つだ」と、ナイツは言う。「かつての華々しい戦績に比べれば、攻撃回数はごくごく少ないが、辺地で地元の指導者を暗殺するといった作戦なら実行できる」

アンバル州のシャマルマンドは同州の町バグダディ出身だ。かつてISISとの戦いとその後のISISの支配によって、彼の部族からは多数の犠牲者が出た。

軍事的解決では不十分

シャマルマンドは今、2週間に1回配下の民兵を砂漠に引き連れ、政府軍と合同でISISの残党を捜している。地元住民から得た情報を基に、戦闘員5~15人規模の潜伏場所を見つけるのだ。戦闘員は孤立した地域で洞窟やトンネルに潜んだり、民家を借りて拠点にしたりしている。

シャマルマンドはCTSとも連携し、地域の情報や接触すべき人物を教えている。彼の活動地域では、部族の武装組織が複数あり、さらにそれ以外の武装組織も多数活動している。シャマルマンドは「どの組織とも協力関係にある」と言うが、マンスールによると、武装組織はそれぞれ内部対立を抱えており、そのため住民の安全が後回しにされているという。



「最近になって(ISISの支配下から)解放された地域で、多くの武装組織が乱立していることのほうが心配だ」と、マンスールは言う。「住民を守るはずの武装組織が縄張りや戦利品をめぐって争っていては、住民が置き去りにされる」

政府の治安部隊ですらも夜間には出歩けない地域がある。そういう地域の住民は命が惜しければISISに協力するしかないと、シャマルマンドも認める。

村人は政府軍や武装組織が自分たちを守ってくれるとは思っていないし、飲み水や食糧、医療などが行き届いていない地域も多い。ISIS支配下での恐怖が生々しく残っているにもかかわらず、こうした事情があるために、ISISの残党の一掃は難しいと、マンスールはみている。

アブ・テバンのような僻地の村は今でも見捨てられたままで、モスルでさえ多くの地域で公的サービスや物資の流入が途絶えている。

ISIS掃討後、イラク政府への国民の支持は一気に高まったが、そのムードはいつまでも続かないだろう。「軍事的な解決では、ダーイシュという現象には対応できても、ダーイシュのような組織を台頭させた根源的な要因は未解決のままだ」と、マンスールは言う。「根源にある(社会的な)要因に誰も対処しないこと。それこそが最も危惧すべき問題ではないか」

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年6月11日号掲載>


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ペシャ・マギド(ジャーナリスト)

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