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自殺した人の脳に共通する特徴とは

ニューズウィーク日本版 2019年6月8日 15時30分

<自殺者の脳は何が違うか──その知識を生かせば悲劇を未然に防げる?>

自らの命を絶つ前の週、ジェレミー・リッチマン(49)はフロリダ州のフロリダ・アトランティック大学で講演を行った。

テーマは「人間であることの脳科学」。脳科学を活用すれば、自分や他人を傷つけるリスクがある人に気付き、支援の手を差し伸べられる可能性がある──それが3月19日に行われた講演の趣旨だった。

聴衆の関心も高かったに違いない。この2日前、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で昨年2月に起きた銃乱射事件の生存者の1人が自殺していた。数日後には、同じ高校の生徒がまた1人命を絶った。アメリカの自殺者は増加傾向にあり、17年には4万7000人に達した。

リッチマンは、このテーマにことのほか強い思い入れがあった。自らの悲しい経験があったのだ。12年12月14日、コネティカット州ニュータウンのサンディーフック小学校に20歳の男が押し入り、26人を殺害し、自らも命を絶った。この事件で殺害されたなかに、当時6歳の娘アビエルが含まれていたのだ。

リッチマンと妻のジェニファー・ヘンセルは事件後直ちに、娘を失った悲しみを行動に換えることを決意した。娘の名前を冠した財団を設立し、銃暴力を防ぐために脳科学の研究を支援し始めたのだ。薬学博士号を持つリッチマンは、製薬会社を辞めて財団の仕事に専念した。

鬱の有無より大きな要因

しかし、リッチマンが精力的に支援した脳科学は、彼が自らの命を絶つことを防げなかった。遺族は、アビエル財団のウェブサイトに以下のようなメッセージを寄せた。「彼の死は、脳の健康を保つことがいかに手ごわい課題であるかを浮き彫りにした。そして、誰もが自分自身と大切な家族のために、さらには支援が必要な全ての人のために、助けを求めることがいかに大切かということを示した」

脳の健康に関する専門家だったリッチマンが自らも死を選んだことは残酷な皮肉というほかないが、自殺と脳の関係を研究する科学者にとっては意外ではないのかもしれない。

最近の研究によれば、知識があるからといって人は自殺しないわけではない。医学生や若い医師の主な死因の1つは自殺だという。この点では、精神科の学生と医師も例外でない。



銃暴力を防ぐための脳科学研究支援に取り組んでいたものの自殺したリッチマン(写真中央) MICHELLE MCLOUGHLINーREUTERS

それでも、リッチマンが望んだように脳科学の研究は目覚ましい進歩を遂げている。研究が進展し始めたきっかけは、コロンビア大学とニューヨーク州精神医学研究所の研究者たちによる25年以上前の発見だった。

この研究チームは、鬱病の病理を解明する目的で自殺者の脳を集め始めた。自殺者は鬱に悩まされていた可能性が高いと考えてのことだった。ところが遺族に話を聞くと、意外なことが分かった。自殺者の約半数は鬱病ではなかったのだ。

自殺者とそれ以外の死因で死亡した人たちの脳を調べると、さらに意外なことが明らかになった。生前の鬱病の有無に関係なく、自殺者の脳にはしばしば共通する神経学的特徴が見られたのだ。

「自殺に関わりのある脳の異常が存在すると思っている人は、当時誰もいなかった」と、この研究に参加した1人であるコロンビア大学のJ・ジョン・マン教授(精神医学)は言う。

結果を考える前に行動

この四半世紀、マンは共同研究者たちと共に、自殺傾向のある人とない人の違いを明らかにしようと努めてきた。そのために、脳の神経伝達システムの生化学的分析を行ったり、神経の活動を調べるための画像検査を行ったりした。

彼らの研究によると、自殺者の90 %は、自殺した時点で何らかの精神疾患を発症していた。鬱病などの精神疾患がある人は、脳で感情をつかさどる扁桃体が過度に活性化されていることが知られている。

しかし、自殺者に共通する主要な脳の異常(例えば神経細胞が少ないことや皮質が薄いことなど)が見られた部位は、扁桃体ではなかった。そのような違いが見られた部位は、脳の前部帯状皮質と背外側前頭前皮質だった。これらは、自らのストレスの度合いを主観的に判断するプロセスに関係する部位だ。

「客観的に見た症状の深刻さは同じでも、この人たちは主観的に感じる鬱症状がはるかに深刻だったのだろう」と、マンは言う。「このような人たちは、感情をコントロールすることが苦手なように見える。彼らが主観的に感じているストレスは、自殺行動のリスクがない人より大きい。自分が鬱状態にあることを感じ取るセンサーが過度に鋭敏だと言ってもいいだろう」

自殺者の脳は、意思決定に関わる部位にも異常が見られた。自殺リスクの高い人たちは、意思決定が必要な課題を与えられたとき、リスクの高い選択をする傾向がある。



自殺リスクが高い人は、否定的な情報を受け取ると過敏に反応する一方、肯定的な情報にはあまり反応しないようだ。そのため、世界を冷淡で敵対的な場と感じる傾向が強い。

「このような要因は全て自殺行動につながる」と、マンは説明する。「鬱症状をひときわ重く感じ、感情に突き動かされて行動しやすい上、行動の選択肢が少ししか目に入らず、周囲の人たちが批判的で冷たいように感じる傾向が強い。しかも、このような人たちは、自分がほかの人たちとは違うことに気付いていない。不幸なことに、自らのリスクを認識できていない」

メリーランド大学医学大学院のトッド・グールド准教授(精神医学)によれば、自殺の神経学的原因を研究している研究者は、問題を2つの段階に分けて考えることが多い。自殺しようと考える段階と、その行動を実行に移す段階である。

人生は生きるに値しないという思いは鬱に伴うことが多いと、グールドは言う。だがこうした感情に従って行動するかは、衝動性や決断に関わる脳内の生物学的回路が大きく左右する。

死にたいと思っても、多くの人は実行には移さない。家族や友人が受けるショックを考え、リスクと便益をはかりに掛けて、コストが大き過ぎると判断する。

一方、自殺傾向があると、結果が持つ意味をよく考える前に行動しがちだ。「自殺したいという思いがそのまま行動に結び付くように見受けられる」と、グールドは語る。「多くの場合、それは衝動的な行為だ」

単語6つで分かるリスク

攻撃性も要因の1つであるようだ。精神分析の創始者ジークムント・フロイト以来、自殺は内に向けられた攻撃性だと捉えられていると、グールドは指摘する。鬱病患者の自殺率減少にはリチウム塩の投与が効果的だが、原因はリチウム塩が衝動性や攻撃性に関わる脳内回路に働き掛けるためであることを示す研究が増えているという。

麻酔薬として広く使用されているケタミンが自殺願望を急激に低下させることも判明している。米食品医薬品局(FDA)は今年3月、ケタミンを用いた処方治療薬の承認を発表した。

最善の対策として見解が広く一致するのが、自殺リスクを確かめるスクリーニング検査だ。どんな人も最低でも1年に1度は検査を受けるべきだと、コロンビア大学のマンは提唱。「人生は生きるに値すると思いますか」といった質問をするだけでも、判定に大きく役立つ場合があると話す。



神経科学分野では、さらに効果的な方法の開発が進む。カーネギー・メロン大学とピッツバーグ大学の研究者は17年、機械学習アルゴリズムを用いて、自殺傾向がある人とない人の脳スキャン画像を見分けることをコンピューターに学習させた。

この研究では、被験者に30の単語を読み上げた。「精神疾患は特定の物事への考え方を変える」と、カーネギー・メロン大学認知脳画像センター所長で、心理学教授のマーセル・ジャストは指摘する。「強迫観念が強いと、『警察』という単語に異なる脳活性化パターンを示す。自殺願望の場合も特定の単語に対して同様のことが起きる」

機械学習アルゴリズムは6つの単語(「死」「残酷」「困難」「気楽」「よい」「称賛」)が引き起こす脳内パターンを見るだけで、自殺願望がある人を90%の確率で特定できると、ジャストとピッツバーグ大学公衆衛生大学院のデービッド・ブレント教授は突き止めた。

被験者が示した脳活性化パターンは体系的で明白だった。なかでも顕著だったのが、自殺願望がある場合、6つの単語が「自己言及」に関わる脳内領域をはるかに活性化させたこと。つまり、人によっては戦争などを連想するはずの「死」という単語は、自殺傾向がある人の場合は自己についての考察に関わる脳内領域を強く刺激する。

薬理学者であり、エール大学医学大学院の精神医学講師に就任予定だったリッチマンが、ジャストらの研究結果を知っていた可能性は高い。それでも彼は自殺した。

「知識が行動の変化につながるとは限らない」と、ブレントは語る。「彼は6歳のわが子を亡くした。家族を失った人は悲痛が和らがない場合、特に自殺リスクが高い。鬱や心的外傷後ストレス障害(PTSD)だったり、心の傷が癒えていなかったなら、そのどれもが自殺の引き金になり得た。優秀な学者だったという事実は無関係だ」

<本誌2019年6月11日号掲載>


※6月11日号(6月4日発売)は「天安門事件30年:変わる中国、消せない記憶」特集。人民解放軍が人民を虐殺した悪夢から30年。アメリカに迫る大国となった中国は、これからどこへ向かうのか。独裁中国を待つ「落とし穴」をレポートする。



アダム・ピョーレ(ジャーナリスト)

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