Infoseek 楽天

2000万円不足問題をめぐる日本の「年金デモクラシー」は成熟? それとも未成熟? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年6月20日 17時0分

<今すぐにドラスティックな制度改革が適当でないことは世論も理解している>

年金に関するいわゆる「2000万円不足問題」が話題となるなかで、安倍政権と自民党への支持率が低下しているようです。例えば、保守系の産経新聞とFNN(フジテレビ系列)による合同世論調査(6月15、16日実施)では、

▼内閣支持率――47.3%(前月比マイナス3.4ポイント)
▼自民党支持率――35.9%(前月比マイナス5.1ポイント)

と前月と比較すると大きく支持率が下がっています。特に、参院選の投票日を約1カ月後に控える中では、この数字をベースに最新の民意を考えるのなら、安倍政権としてダブル選に慎重になるのも当然と思われます。

ところで、この年金問題ですが、党首討論で多くの時間が割かれたにしては、議論が全く深まっていません。ストーリーは比較的単純で、

「100年安心年金と言いながら、夫婦が95歳まで生きる場合には公的年金では生活費をまかないきれないので2000万円分を自分で貯蓄しなくてはならない、そんな諮問がされたのは問題で、しかも批判を受けてからその報告書を撤回したのは不誠実。」

というのが第一のストーリーで、これに、

「制度を持続するために、マクロ経済スライドという不利益変更につながる制度が導入されているのは問題。」

という意見が付加されている、単純化して言えば「それだけ」です。

ここでは「100年安心とは100歳まで安心という意味ではなく、100年制度が維持できるという意味」だとか、当初想定した数値よりも「平均寿命が伸びたり、経済状況が変わった場合」には、年金制度が破綻しないように調整が入るのが「マクロ経済スライド」だという、正確な議論のための確認は省略されています。

その結果として、議論の中心は「国民に不安を与えた」罪の断罪になっていますし、「マクロ経済スライド」に至っては「馬鹿げた案」だなどとトランプ流の罵倒戦術ばかりで、空疎な言葉のゲームになっています。

本来の政策論議であれば、2000万円の貯金が格差社会、経済衰退のなかで難しいのであれば、追加で財源を投入するとか、生活費の多くの部分を占める住宅に関して公的助成を行うなどの具体的な代案が必要なはずです。「マクロ経済スライド」については、もしも現行の制度で不可避であるのなら、それこそ税金の投入とその財源論議に進むべきです。

ですが、そのような具体的な方向には議論は進んでいません。



では、この「年金デモクラシー」というのは、空疎な感情論が吐け口を求めているだけ、あるいは内容のない「長期政権への飽き」という「ふわっとした民意」がうごめいているだけであり、民主主義としては次元が低いものなのでしょうか?

そうかもしれません。ですが、違うとも言えます。

同じ民主主義でも、ブレグジットを認めた国民投票結果をどう受け止めるか苦しんでいるイギリス、貿易戦争や移民排斥を進めているアメリカなどでは、確かに「具体的な政策」に民意が反映して、賛否両論の駆け引きが続いています。

ですが、イギリスのブレグジットにしても、アメリカの貿易戦争にしても自国の国益を毀損する誤った判断です。そうなのですが、民主主義のルールに従って、あるいは選挙で選ばれた大統領の権限により、国益を損なう判断がされつつあるわけです。

そうした例と比較すると、日本の世論はもっと賢いのだと思います。

年金問題については、財源をこれ以上税金に求めるのであれば、10%どころではない率に消費税を上げなくてはなりません。そうなれば、消費はより低迷して経済全体が大きく失速する危険があります。一方で、富裕層への課税を強化すれば、資産や人材の海外逃避を招く危険もあるでしょう。

これ以上、生産者人口が減って平均寿命がさらに伸びるようでは、それこそ大幅な「マクロ年金スライド」をしなくては、あるいは大規模な支給年齢の引き上げをしなくては、制度が維持できないわけです。

若者に貯蓄を勧めても、年収の低い層では難しいし、そこを無理に貯蓄へ回そうとすれば消費の足を大きく引っ張り、また一段と少子化が進むという悪循環に陥る可能性もあるでしょう。

日本の世論は愚かではなく、そうした現状をよく理解しているのだと思います。その上で、年金という大きな関心事項について、政治がどれだけ誠実な姿勢を示しているのかを静かに見守っているのではないでしょうか。だとすれば、日本の世論、あるいは日本のデモクラシーは決して未熟なのではなく、むしろ成熟していると言えます。

もちろん、問題を分かりすぎるぐらい分かっていることで、リスクを取った変革ができないという自縛状態にあるのは事実です。ですが、この年金問題については、今すぐにドラスティックな変革をするのは適当ではないし、むしろ我慢の時期だというのも世論としては広い合意ができているのではないかと思います。

であるならば、今回の年金に関する議論では、揚げ足取りや、ワンフレーズで相手を罵倒したりするのは巧手ではありません。あくまで世論が求めているのは、冷静な議論と誠実な姿勢です。その意味で「報告書撤回」は悪手であったし、同じように野党の罵倒攻勢もダメだと思います。

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きをウイークデーの朝にお届けします。ご登録(無料)はこちらから=>>


この記事の関連ニュース