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百田尚樹はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか――特集・百田尚樹現象(1)

ニューズウィーク日本版 2019年6月27日 17時0分

<ノンフィクションライター石戸諭氏執筆の特集「百田尚樹現象」(5月28日発売)は発売当初から大きな反響を呼び、その論考をめぐる議論は、発売から1カ月が経とうとする今も朝日新聞(6月27日)や月刊WiLL(6月26日)などで続いている。こうした波紋それ自体が「百田尚樹現象」の一端なのではないか――編集部はそう考え、議論の起点となった16ページにわたるルポの全文をウェブで公開することにした>

※本記事は3回に分けて掲載する特集「百田尚樹現象(1)」です。(2)(3)はこちら
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序章:ヒーローかぺてん師か

日本のリベラル派にとって、もっとも「不可視」な存在の1つが「百田尚樹」とその読者である。誰が読んでいるのかさっぱり分からないのだ。百田の新刊『日本国紀』(幻冬舎、18年)は、18年11月の発売から既に65万部に達し、ベストセラー街道を邁進している。「百田現象」について知ってはいるが、実際に読んだという人は少ないだろう。仮にミリオンセラーとなった『永遠の0』(講談社文庫、09年)などの百田小説を読んでいたとしても、もう公言したくない過去になっている──。

心情はそのように描写できる。多くのリベラル派にとって彼の存在が可視化されるのは、時に物議を醸すツイッターの過激な発言を通してくらいだ。先日も、俳優・佐藤浩市がインタビューで安倍晋三首相の持病を揶揄したという一部の見方が広がったことを受けて、百田が「三流役者が、えらそうに!!」とツイートしたことがネットを騒がせた。過剰なまでのネット上の存在感と圧倒的な出版部数、逆にあまり見えてこない本人と読者の存在には大きなギャップがある。

◇ ◇ ◇

「サヨクか!」。見えない「百田尚樹」を追い掛ける取材はこんなひとことから始まった。19年3月26日、まだ肌寒かった東京・神保町の夜である。私は、三省堂書店神保町本店前の路上にいた。店内では、文庫化されたばかりの『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、19年)のサイン会が始まったところだった。サインをもらった人に声を掛け、読者像に迫ろうと考えていたのだ。

会は大盛況で、午後6時の開始前から整理券片手に待っている人であふれ返っていた。列の先頭は50歳前後のサラリーマン風の男性で、グレーのスーツに白いシャツ、ネクタイもきっちり締めて立っている。私に「サヨク」と叫んだ声の主は渋谷区在住の税理士の女性(48)である。最初のひとことこそ強烈だったが、取材の趣旨を説明すると快くインタビューに応じてくれた。

「私、靖国神社の例大祭に行ってもマスコミから声を掛けられるんですよ。だから、またかと思ってしまって......」。薄手のベージュのコートを羽織り、ややウエーブがかった髪という都会的ないでたちは、物々しい「靖国神社」から連想されるイメージとは程遠いものがあった。

彼女にとって、百田は「日本人の偉大さを思い出させてくれた小説家」だという。『海賊とよばれた男』(講談社、12年)などベストセラーとなった小説にほれ込み、百田の論説にものめり込んでいった。サイン会に来たのは、この日が初めてだという。7~8年前まで「知識がなく洗脳されていた」と冗談めかして語る彼女は、百田を介して日本の「真の姿」に接近していく。

その結果、今ではアジア各地を旅行していても、若い時に感じていた「日本はここまで侵略していたんだな」という感情は消え、「アジア解放のために戦った日本人」に思いをはせるようになったという。

彼女には在日韓国人の友人もいる。百田がツイッターで「韓国という国はクズ中のクズです! もちろん国民も!」などとつぶやく。これが彼らに対する「ヘイト」に満ちたものだ、という批判があることも知っている。しかし、友人たちとは政治の話はしない。あくまで自分の「意見」を持っているだけで、考えを他人に押し付けることはしたくないというのが彼女のスタンスだった。



『虎ノ門ニュース』のスタジオに入る百田をファンが「入り待ち」(4月16日) HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

冒頭で百田尚樹にはギャップがある、と書いた。ギャップはそれだけではない。小説家と右派論壇人としての顔、読者への丁寧な応対と韓国や中国に対する攻撃的なツイートも二面性と言えるだろう。

ファンから見れば日本を愛する「ヒーロー」、批判する側からは間違った歴史を語る「ぺてん師」のように見える。評価も真逆だ。積み重なったギャップは、極端から極端へと振れ幅を増幅させ、百田の姿をますます見えない存在へと変えていく。

百田の実像に迫るべく、私は彼の著作を全て読み、過去のインタビューや雑誌の論説も可能な限り集めた。その上で、百田を重用する出版、テレビ関係者に取材を申し込み、3時間半にわたる本人のインタビューも収録した。

本人にもあらかじめ伝えたように、百田と私は政治的な価値観や歴史観がかなり異なる。「リベラルメディア」と言われる毎日新聞で10年ほど記者経験があり、これだけ売れているにもかかわらず周囲で『日本国紀』を読んだ人に出会ったことはなかった。つまり、私自身も現象を捉え切れていない1人なのだ。だから、知ろうとすることから始めた。「分からない」から出発し、当事者に当たり、事実から浮かび上がる「現実」にこそ、真相が宿るというのが私の基本的な考え方だ。

インタビューでも主張すべきはしたが、ディベート的に言い負かすための時間にはしなかった。彼の姿勢を丁寧に聞くことが、私が知りたい現象の本質を浮かび上がらせると考えたからだ。

百田現象から見えるのは、日本の分断の一側面であり、リベラルの「常識」がブレイクダウン――崩壊――しつつある現実である。



出版不況の中で百田の本はヒットを連発。書店には「コーナー」が HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

第1章:彼らたちの0

リベラル派から百田への批判は3つに分けることができる。第1に「ヘイトスピーチ」まがいのツイートや発言を連発しているというものだ。批判を受けたものを列挙すれば切りがないが、先に挙げた韓国に対するツイート、沖縄の2紙を「つぶさなあかん」との発言は特記しておくべきものだろう。百田現象を取材していると話したとき、リベラル系の知人からはこぞって「差別発言は許せないので、批判してください」と激励を受けた。彼らの目に映るのは、やはりツイートなのだ。

第2にファクトの確認が甘過ぎるという指摘だ。例えば、芸人の故・やしきたかじんと、彼が亡くなる直前に結婚した妻さくらの姿を描いた『殉愛』(幻冬舎、14年)では、たかじんの長女と元マネジャーの男性から名誉毀損で訴えられ、いずれも敗訴している。後者の裁判では14カ所で名誉毀損が認められ、元マネジャーへの取材がなかったことが認定された。

何かと話題の『日本国紀』でも明確な事実誤認、ミスが発生し初版から増刷のたびに修正が繰り返されている。戦国時代にやって来た宣教師たちが「日本の文化の優秀さに感嘆している」根拠として、初版では「ルイス・フロイス」のものとされる文献が紹介されているのに、手元にある第8版では「フランシスコ・ザビエル」に変わっている。

それだけではない。参考文献は明記されておらず、インターネット上を中心に、ウィキペディアからのコピペ疑惑、他文献からの盗用などを指摘する声が上がった。例えば、仁徳天皇について書かれた内容が別のメディアに掲載されたものに似ていると指摘を受けて、8版には「真木嘉裕氏の物語風の意訳を参考」という参照元を記した一文が追記されている。版元の幻冬舎が、ミスがあった事実を公表せずに修正を繰り返したことも批判に拍車を掛け、読者への誠実さとは何かが問われる事態になっている。

第3に右派的な歴史観である。百田自身はインタビューで、自らの政治的立ち位置を右派と左派の「真ん中」と語っていたが、それを額面どおりに受け取ることはできない。『日本国紀』には、右派の歴史本でおなじみの南京事件否定論、連合国軍総司令部(GHQ)が実行したウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)によって日本人は洗脳されたという説が登場している。

日本の「素晴らしさ」を語るために、周辺国との比較を持ち出す手法も問題視されている。ベストセラー『応仁の乱』(中公新書、16年)で知られる歴史学者の呉座勇一は、百田の平安時代の描き方について、「中国の影響を脱した純粋な日本文化があったという誤解を生む。紫式部は『白氏文集』など漢籍を愛読し『源氏物語』に多く引用している。日本文化と中国文化を対立的に見るべきではない」(18年12月25日付朝日新聞)と批判する。

ここだけを抽出すると、百田尚樹とはおよそ論じるに値しない人物である。事実、取材時にそのような懸念を示されたことは一度や二度ではない。「言い分を聞く必要はない」「放っておけばやがて消える」──。

3点の批判は非常によく理解できたが、それでも、私に浮かんできたのは「だが......」という思いだった。実際の百田尚樹とはどのような人物で、彼の本が売れるという現象は何を意味しているのか。単純な批判だけでは、答えが全く見えてこない。彼がたたき出してきた部数は、およそマーケティングがうまいというだけでは、さっぱり説明がつかないのだ。

批判だけをしたいならわざわざ取材を重ねるまでもない。机上で完成させることができる。だが、それでは本質には迫れない。



インタビューに応じる百田(5月7日、東京・目黒) HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

■3時間半のインタビュー

19年5月7日、東京・目黒──。ニューズウィーク日本版の編集部が入る真新しいオフィスビルにある会議室で、百田尚樹は3時間半にわたるインタビューに応じた。それは奇妙な時間だった。現象の中心にいるにもかかわらず、本人にその自覚は全くないのだ。政治的な発言で「影響力」を持ちたいと思ったことはない、とすら語る。

印象的だったのは、百田自身も大絶賛したデビュー作『永遠の0』の映画版について聞いたときだった。映画では肝心なシーンで、日頃から百田、そして右派がこだわって使う「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」という言葉が平然と使われている。なぜ、これだけ歴史観を主張していながら「太平洋戦争」を受け入れたのかと尋ねた。

「私は『大東亜戦争』を使いますよ。でも、言葉一つにこだわって多くの人に映画を見てもらえないほうが嫌なんですよ。映画は娯楽やからね。よくできたシナリオでしたから、OKですよ。私はこう見えて柔軟なんです」

この発言には、内心かなり驚いた。右派言論をリードしている「論客」だと思っていた人物が、柔らかい関西弁であっさりと「作家」としての正論を述べるのだ。

ツイッターから攻撃的な人物を想像していた私は正直、面食らっていた。印象は決して悪くなかった。百田は1人でやって来て、どんな質問にも全て答えた。一人称は「私」か「僕」で、横柄な態度は一切なく、冗談を連発し、常に笑いを取ろうとする善良な「大阪のおっちゃん」だった。普段から攻撃の的にしている朝日新聞について、こんなことも言っている。

「昔の朝日新聞、天声人語は好きやったなぁ。特に好きなのは深代惇郎(筆者注:朝日新聞の名物コラムニスト。75年に死去)やね。彼の天声人語はもう文学や。あんなコラムが書ける人は今の朝日におらんやろ」

往年の名コラムニストに敬意を払う百田の姿は、リベラル派が抱きがちな「粗雑な発言をする人物」というイメージからは明らかに乖離する「読書家」そのものだった。感覚は「ごく普通」で、ベストセラー作家然としたところは一切なかった。この「ごく普通」にこそ本質があったことを、私は後から知ることになる。

■原点は関西のテレビ番組

小説家・百田尚樹の誕生は06年8月、50歳にして太田出版から『永遠の0』を出版したときである。百田への取材で聞いたデビューまでの道のりは、「現代のおとぎ話」とも呼びたくなるようなものだった。

1956年、大阪市の下町・東淀川に生まれた百田は、大阪市職員だった父親から戦争の話を聞かされながら育ったという。物心がついた頃の大阪には、戦争の傷痕が至る所にあった。遊び場だった淀川にあった通称「爆弾池」は、米軍が落とした爆弾の跡に水がたまってできたものだった。親族が集まれば「あの戦争で、どこにいたか」「大阪の空襲はすごかった」という話がしょっちゅう話題に上る。これが百田の原体験だ。

中学時代の成績は悪く、特に「英語と数学」は1桁得点、時に0点を取るほど苦手だったという。百田は奈良県内の公立高校に進学しているが、いわゆる進学校ではない。就職も進学もしなかった百田は卒業後、一念発起し、独学で大学進学を目指す。

同志社大学への進学を決めた百田はちょっとした有名人だった。関西発の人気恋愛バラエティー番組『ラブアタック!』の常連参加者になり、お茶の間を沸かせていた。テレビというメディアで、どうしたら人々を笑わせ、目立つことができるのかを考えていた。その感性に目を付けたのが、当時20代のディレクターだった朝日放送(ABC)の松本修だった。



松本は大学を中退した百田を誘い、それまで誰もやったことがなかった新しいテレビ番組を作り上げる。90年代の全盛期には関西で視聴率30%を誇り、今なお続く『探偵!ナイトスクープ』だ。視聴者から寄せられた疑問を、「探偵」に扮したタレントたちが解決する。番組を要約するとたったこれだけなのだが、素人の依頼を涙あり笑いありに仕立て、視聴者を熱狂させたのが、チーフ構成作家に抜擢された百田だった。

この番組で特に評価が高いのが、91年放映の「全国アホ・バカ分布図の完成」である。ギャラクシー賞選奨に選ばれた同作を見た編集者が、92年に書籍化を企画し、大阪に向かった。太田出版の現社長、岡聡だ。

そこで百田と出会った岡は、14年後、主要出版社が軒並み断った『永遠の0』の出版に踏み切った。小説家・百田尚樹の生みの親にして、デビュー作からベストセラー作家としての地位を確立するまで、伴走した盟友だ。

私の取材に対し岡が繰り返し強調していたのが、「僕は百田さんと政治的な立場や考えが違うことも多いけど、彼が面白い人であり、僕はずっと友達でいたいと思っている」ということだった。

2人が最初に出版した小説『永遠の0』のあらすじはこうだ。現代を生きる孫たちが、終戦から60年目の夏に、特攻で亡くなった零戦パイロットである祖父の足取りをたどる。国に命をささげることを拒み、臆病者とさげすまれても、生きて妻と子供の元に帰ることに執着していた祖父は、なぜ特攻で死んだのか。関係者の証言の先に浮かび上がる真実を探る──。

百田は私のインタビューに、デビュー作のテーマに戦争を選んだのは、親世代の経験を自分の子供の世代に残したかったのであり、伝えたかったのは「生きることの素晴らしさ」であると語っている。この小説を書くと決めたとき、彼に戦争体験を語ってくれた叔父は他界し、父は末期癌で闘病していた。戦争を知る世代がこの世を去る。チームで取り組むテレビ業界の仕事だけでなく、個人として何かを残したい。そんな思いが原動力になった、とも。50歳は「ゼロ」地点からリスタートした年になった。

静かなデビューだった。後に関連書籍も含めて500万部超という数字が躍るとは誰も思っていなかった。ヒットにつながる口火を切ったと言われるのが、俳優の故・児玉清の評価だ。

児玉は文庫版の解説で「嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持を表わした」(原文ママ)と激賞した。俳優としてだけでなく、無類の読者家でもあった児玉には、安倍晋三首相を政治家として高く評価する保守主義者としての一面があったことも記しておくべきだろう。



書店にはベストセラー小説が平積み HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

後年、同作に付いて回る「右傾エンタメ」という言葉はまだ聞こえてこなかった。岡はむしろ、出版当初は左派から評価されたと語っている。「右傾化」だと言われるようになったのは、百田本人のツイッター(10年に開始)とひもづけて語られるようになってからだという。

証言を裏付けるように同作は文庫化後、10年7月に朝日新聞の書評欄に取り上げられ、絶賛されている。朝日新聞の書評は掲載のハードルが高く、書店員も読書好きも読む。評者は文芸作品の書評を数多く手掛けてきた、ライターの瀧井朝世である。彼女がいかに「絶賛」したかを引用しておこう。

「最後まで信念を持ち続けた彼の心の強さが明るみに出る場面では、どうしても涙腺が刺激されてしまう。......祖父の真実を知った後、人生における決断を下す主人公たちのように、読み手にも何らかの勇気が与えられる。読後には、爽快感すら残されるのだ」

この書評には「右傾化」「戦争賛美」という懸念は一切出てこない。

■ストーリーテリングの妙

作家の本質はデビュー作に表れるという格言に従うならば、そこには確かに本質が詰まっている。かつて百田を担当してきた編集者に話を聞くと、共通する評価ポイントが浮かんできた。そのいずれもが『永遠の0』にはある。

1つは「読みやすさ」だ。百田の小説はどれも平易な日本語で書かれている。デビュー作では、複雑な戦場描写を経験者の「語り」という形で表現することで、シーンを再現した。岡は百田から「自分は関西一ナレーションを書くのがうまい」という話を聞いたことがある。彼は怪物番組『ナイトスクープ』で培ったナレーションの技術を小説に応用している。

次に「ストーリーテリング」の妙である。どうすれば読者を飽きずに引き付けられるのか。山場をいくつも作るストーリー展開と構成力、これも視聴率と向き合ってきたテレビでの経験を応用している。

岡はあるとき、百田から『ナイトスクープ』の分刻みの視聴率グラフを見せられた。ちょっと下がった原因は展開がもたついたからチャンネルを変えられた、上がったのは盛り上がるように山場を作ったからといった形で百田は事細かに分析してみせた。小説執筆中も何度も「チャンネルを変えられないようにせんとなぁ」というつぶやきを聞いている。

今となっては誰も指摘しないが、こうした百田の作品は、現代屈指のストーリーテラーからも高く評価されてきた。『ボックス!』(講談社文庫、13年)の解説で、「メタルギア」シリーズで知られる世界的なゲームデザイナー・小島秀夫がこう記している。「(百田作品のキャラクターは)外見や血統、人種、性別、敵も味方もない、人としての強さと美しさが真摯に描かれる。......どんなジャンルを描こうと、百田さんが常に人気作家である理由はそこにある」

伝説のボクサー、ファイティング原田を描いたノンフィクション『「黄金のバンタム」を破った男』(PHP文芸文庫、12年)の解説を書いた増田俊也は、もっと直截的な賛辞を贈った。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど、業界屈指の書き手である増田は、「論文のような評伝」が多い現状を嘆き、読ませることの重要性を知っていると百田を評価する。そして、目標とする作家は「百田尚樹さんです」と「はっきりと言う」と明記するのだ。

06年までどこにも相手にされなかったオールドルーキーは、実力でのし上がり、わずか数年足らずでベストセラーと高評価を連発する出版業界の希望になっていく。同じジャンルは繰り返さない、と明言し多彩に描き分ける百田を出版不況に悩む業界が放っておくわけもなく、各社はこぞって駆け寄り、新作を欲しいと口説いて回った。

1つの頂点は13~14年だ。『海賊~』で本屋大賞受賞、『永遠の0』が映画化され、異例の大ヒットを記録した時である。やがて彼はデビュー作から数年で、もう1つのメディアに足を踏み出していく。その転機は12年にあった。

※続き:百田尚樹特集(2)はこちら
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※百田尚樹氏の3時間半にわたる独占インタビュー『僕は右派と左派の真ん中』は、本誌のみに掲載


※6月4日号(5月28日発売)は「百田尚樹現象」特集。「モンスター」はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『殉愛』『日本国紀』――。ツイッターで炎上を繰り返す「右派の星」であるベストセラー作家の素顔に、ノンフィクションライターの石戸 諭が迫る。百田尚樹・見城 徹(幻冬舎社長)両氏の独占インタビューも。



石戸諭(ノンフィクションライター)

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