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幻冬舎・見城徹が語った『日本国紀』、データが示す固定ファン――特集・百田尚樹現象(2)

ニューズウィーク日本版 2019年6月27日 17時0分

<幻冬舎・見城徹社長はなぜ『日本国紀』を出版したのか。独占インタビューで明かしたその理由と、百田尚樹の「保守論壇」デビュー秘話。また、右派が語る「リベラルは面白くない」のメンタリティを探る>

※本記事は3回に分けて掲載する特集「百田尚樹現象(2)」です。(1)(3)はこちら
百田尚樹はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか――特集・百田尚樹現象(1)
『日本国紀』は歴史修正主義か? トランプ現象にも通じる本音の乱――特集・百田尚樹現象(3)


第2章:マイノリティー

再び今年3月26日、東京・神保町「三省堂書店」前──。私の目的はもう1つあった。百田と右派論壇を結び付けたキーマン、月刊「Hanada」(飛鳥新社)編集長・花田紀凱に会うことだった。首相に返り咲く前から安倍晋三を一貫して支持する、右派論壇の顔とも言うべき人物だ。

週刊文春の名物編集長として辣腕を振るい、雑誌「マルコポーロ」に異動する。95年、同誌にホロコースト否認論を掲載したところ、強い抗議を受けて編集長の座を解任され、翌年に退職する。その後、右派的な路線を明確にした月刊誌「WiLL」(ワック・マガジンズ)を創刊し、売り上げを伸ばす。現在は自身の名を冠した雑誌で「WiLL」の路線を引き継ぐような論調を掲載している。

ある時から右派系論壇誌の執筆陣に「百田尚樹」が加わっていた。三省堂の前で何人かのスタッフと共に百田に付き添っていた花田に声を掛け、取材依頼を送っているのだが、と告げると「それは悪いことをしたなぁ。もちろんお受けしますよ。こちらにご連絡ください」とつながりやすい連絡先を名刺にメモして、渡してくれた。

4月2日、神保町のオフィスビルにある飛鳥新社に向かった。壁には出版物の広告がずらりと貼られている。ひときわ目立つのが、土下座する百田の姿だった。『今こそ、韓国に謝ろう』のタイトルにあやかり韓国に謝っている様子なのだという。

「お待たせしてすいません。現場が好きなもので......」と丁重な謝罪から取材が始まった。誌面から受けるこわもてな印象はなく、アクティブさを象徴するようなデニムと年相応に柔和な口調が印象的なメディア人がいた。

「僕も人様の言葉で飯を食っていますから、自分は何を書かれてもいい。でも、僕の雑誌が右寄りくらいならいいんですけど、『極右』って言われるのは抵抗があるんですよ。僕は、ちょっと右寄りです」

私が「だいぶ右寄りじゃないですか」と返すと、苦笑交じりに、雑誌全体を見て判断してほしいのだ、と語った。連載陣には、確かに花田と政治的スタンスが真逆のお笑い芸人の爆笑問題が名を連ねる。

百田は、花田が編集長だった12年10月号の「WiLL」で初めて安倍と対談している。収録時は民主党政権で、安倍は一野党議員であり、総裁選に立候補するかどうかも明言していない頃だった。一方で百田は、前章で見たように「日本で一番売れる小説家」としての地位を確立していた。

百田は直前の同誌9月号に民主党批判の論考を掲載し、ラストを安倍再登板待望論で結んでいる。これを読んだ安倍が感激し、百田の携帯に電話をかけた。そして、対談が組まれたというのが一連の経緯だ。百田はそれまで政治をテーマにまとまった文章を書いたことはなかった。ツイッターで民主党政権を批判することはあったが、あくまでツイートの範囲だ。彼に雑誌メディアで発言の場を用意したのが、花田だった。安倍・百田対談の狙いはどこにあったのか。



「対談を提案したのは僕ですね。彼の思想傾向はツイッターで分かっていましたからね。この対談で、2人の信頼関係は増したと思いますよ」

花田が図らずも明かしたのは、百田の右派論壇デビューのきっかけがツイッターだったという事実だ。

花田は、百田を政治言論に引き入れた人物がもう1人いたことを明かした。故・三宅久之だ。元毎日新聞記者、晩年は政治コメンテーターとしてテレビで活躍していた。三宅は安倍再登板に向けて、右派メディアの人脈をフルに使って「運動」をしていた。三宅が代表発起人となり、12年9月の自民党総裁選を前に「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明」を発表した。その発起人の中に百田の名前があった。

百田自身は「自分が政治に影響力を持ちたいと思ったことはない」とインタビューで答えていたが、花田の手による論壇デビューを境に、ベストセラー作家は右派の輪の中に入っていく。以降、右派系メディアでの仕事や政治的な発言、歴史認識についての発信の場は急速に増えた。安倍政権誕生とともに13年にはNHK経営委員にも就任した。書評だけでなく、
12年7月に名物コーナー「おやじのせなか」で百田を取り上げていた朝日新聞も、この頃から批判のトーンを強めていく。

花田は「百田の本質は小説家であり、学者ではない」と言う。歴史認識についても、例えば新しい史料を発掘しての新解釈、というような「新しさ」はない。だが、「百田さんは何より語り口が面白いし、見事ですよ。ユーモアもあるしね」。ここでもポイントは語り口だった。

ツイッターで百田を発掘した花田だが、彼のツイッターには苦言を呈していた。「あそこで激しいことは書かないほうがいい。だって余計な波乱とか、炎上を招くでしょ。言わずにはいられないんでしょうけどね」と打ち明ける。

もっとも百田の舌禍癖くらいで右派論壇は揺るがない。花田たちの「支え」もあってカムバックから7年、安倍一強時代は続く。出版業界を見渡せば、売れるのは右派系の本や雑誌ばかりだ。すっかり勝ち組ですねと話すと、花田は首を振った。

「こういう雑誌はメディアでは少数派。全く売れているとも思わないですよ。だって朝日新聞は毎日何百万部と発行しているんですよ。それに比べたら、部数なんてまだまだでしょう。百田さんだって朝日に比べたら少ないもんですよ。だからこそ僕は発言の場をつくっていきたいんです」

花田はここで、重要なキーワードをぽろっと口走っていた。取材時にはぼんやりとしか見えていなかったが、彼らを結び付けているのはイデオロギーだけではない。あるメンタリティーにあるということが後々、分かってくるのだった。



DHCテレビ社長の山田にとって百田は「普通の人」の感覚を理解する出演者だ(5月8日) HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

「リベラルはおもろないねぇ。変に真面目やし。百田さんはものすごく面白い。ジョークや笑いも交えて、ニュースを語るじゃないですか」。百田がレギュラーを務めるインターネットのニュース番組『真相深入り! 虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビジョン社長の山田晃は率直に、起用の理由を語った。普段、現場に立っているときのデニム姿から一転、取材時にはスーツを着て、路上に面したガラス張りのスタジオに案内してくれた。

『虎ノ門ニュース』は、百田のほかにも右派系論壇誌の常連寄稿者と重なるメンバーを重用する番組として、ネットと右派をつなぐメディアになっている。同社は化粧品大手DHCの関連会社である。当然ながら、番組はDHC会長である吉田嘉明の意向が反映されている。

DHCテレビは、制作した情報バラエティー番組『ニュース女子』がBPO(放送倫理・番組向上機構)から「重大な放送倫理違反」を指摘された過去がある。吉田はこのとき、BPOに対し「普段NHKや地上波の民放テレビを見ていて何かを感じませんか。昔とは明らかに違って、どの局も左傾化、朝鮮化しています」(産経新聞「iRONNA」)と反論している。彼の思想傾向は極めて明確だ。

下請けの番組制作会社からキャリアをスタートさせた山田の転機は、関西の視聴率王・やしきたかじんに関わったことだ。彼はたかじん関連のウェブサイトを運営する会社のスタッフとして、バラエティー番組『たかじんのそこまで言って委員会』などの収録現場を回りながらウェブ用のコンテンツ制作をしていた。この番組は、安倍が「異例」と言ってもいい頻度でゲスト出演したことでも知られている。

■自分たちはマイノリティー

業界で培った人脈をたどり、17年から社長になった山田にとって教科書は、たかじんの現場だった。彼が学んだのは、政治を扱う番組であっても「面白さ」が大事であるということだ。関西のテレビでは、東京以上に「本音」が求められる。「ええかっこしい」は嫌われ、どれだけ本音をぶちまけることができるのかが「面白さ」の1つの基準になる。「たかじんさんみたいにテレビの前でキレたり、けしからんって言うのも芸なんで腕が必要です。右とか左とか関係なく、おもろいことが大事なんですよ」

では同社の目玉とも言える中国や韓国、リベラルに対して批判をすることはどこが「面白い」のだろうか。

「韓国も中国もそれって普通に考えておかしくない?ってことが多いじゃないですか。たたきばかりでは、数字は伸びません。批判ばかりでおもろくないからです。『普通の人』の感覚を大事にして、分かりやすく、面白く伝える。百田さんは『普通の人』の感覚を理解しています」

山田は、地上波テレビは「普通の人」と乖離していると語る。そこに憤りを感じ、自分たちから変えたいのだという。

例えば、野菜の価格高騰というニュースがあったとしよう。スタジオで局アナやコメンテーターたちがしたり顔で「庶民の暮らしは大変です」と語る。山田にはそれが我慢できない。彼らの年収はいくらなのか。同じ仕事をしているのに、下請けの制作会社の2倍はもらっているのではないか。そんな待遇を下請けに強いてきて、庶民の味方、正義は自分たちにあると言わんばかりの態度に疑問を感じてしまうのだ。

山田は「僕は元左翼少年」だったと語る。だからこそ、余計にリベラルメディアの欺瞞を感じ取ってしまうのだろう。関西流の「本音主義」は、インターネットにそのメソッドが流れ込み、DHCという強力なスポンサーも得た。本音が向かう「権威」の1つは「ええかっこしい」なマスメディアである。花田も朝日新聞を大いなる権威であると考えていた。彼らのメンタリティーに共通しているのは、自分たちはマイノリティーであり、権威に立ち向かっていくという意識である。



第3章:21世紀の叙事詩?

4月半ば、私は今回のレポートで、どうしても取材が必須と考えていた人物に向けて、手紙を書いていた。ベストセラー作家に駆け上がっていった百田は右派論壇デビューを飾ってからというもの、作品にも多くの批判が向けられ始めた。特に集中砲火を浴びたのが『殉愛』、そして『日本国紀』である。両者の共通項は、『殉愛』ならノンフィクション作家、『日本国紀』なら歴史学者といった、その世界のプロも加わり批判的に検証されていること。そして、版元も同じだ。それが、社長・見城徹率いる幻冬舎である。

見城の取材が難しいことは分かっていた。2作の騒動について、社長自らがインタビューという形で語ったものを見つけることはできなかったからだ。便箋に書いた直筆の取材依頼を速達で送り、私は大阪に向かった。

大阪──。そこは百田尚樹のホームグラウンドであり、『殉愛』騒動の現場でもある。昨年11月に大きな動きがあった。『殉愛』でいわば悪役として登場するたかじんの元マネジャーの男性が、幻冬舎と百田を名誉毀損で訴え、勝訴したのだ。

判決は、元マネジャーが訴えた19カ所のうち、14カ所で名誉毀損などを認めた。それらは「さくら、さくらと利益を共通にするプロデューサーや立場の近い友人」の発言を中心に記載したものであり、本人やたかじんの会社に関わっていた弁護士への取材は一切なかったことが認定されている。取材がないままに元マネジャーは「能力を欠き、金に汚く、恩義のある人物に対してふさわしくない行動」を取る人物として描かれてしまったことがとりわけ問題視された。

私は、大阪で元マネジャー側の弁護士や関係者を取材し、判決文や百田側が法廷に反論の証拠として提出した当時の取材ノートなどを確認した。率直に言って、これらの提出物を根拠に百田が弁明する余地はないと言わざるを得ない。

百田は本人への取材を一切せずに男性の名誉を傷つける文章を書き、幻冬舎はそれを良しとして「純愛ノンフィクション」と銘打って、世に送り出したことになる。元マネジャーは『殉愛』出版後、社会的な信用を失い、芸能界での職を得ることもできなかった。家族ともども、大阪から東京への引っ越しを余儀なくされている。表現は、生活を壊すこともできる。

■ファクトとの向き合い方

評伝『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(小学館文庫、17年)を記した、ノンフィクション作家・角岡伸彦が一連の裁判を傍聴している。

角岡の証言──「裁判での百田さんはまったく反省しているように見えなかった。悪びれるどころか堂々と反論していました」

インタビューで百田に、今なら別のやり方があったと思うかと問うと「確かに、書き方については、もっとこうしたらよかったという思いはありますが、仕方ない。書いてしまったんやから」と言う。一応の反省を示しつつも、過去は変わらないのだと語った。

いみじくも百田自身が語ったように「過去は変わらない」。だからこそ、事実を書く際には慎重さが求められる。『殉愛』騒動を取材しながら、よぎったのは『日本国紀』でも批判されている、ファクトへの向き合い方だった。

それにしても、幻冬舎の対応は解せない。『殉愛』のあとに、百田尚樹が新刊を出す。それも歴史をテーマにするとなれば、小さなミスが批判を呼ぶことは当然予測できるはずだ。それなのに見城は、なぜ出版したのか。思い付く可能性は3つだ。利益が見込める、作家・百田尚樹の可能性に賭けた、あるいはその両方か──。取材を終えて、大阪の街を歩いているときに携帯が鳴った。担当編集者からだった。

「見城さんから取材に応じると連絡がありました」



初めて『日本国紀』について取材に応じた幻冬舎・見城社長(5月10日) HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN

5月10日、東京・北参道──。駅から徒歩数分の好立地に幻冬舎はある。応接間に案内されると、約束の時間ぴったりに見城徹はやって来た。百田の担当編集者である高部真人も同席した。見城が『日本国紀』について取材を受けるのは初めてである。低音ではあるが、常にはっきりとした口調で質問に応じた。

見城徹──。角川書店の名物編集者として名をはせ、93 年に幻冬舎を設立。ヒット作や話題作を数々世に送り出し、会社を着実に成長させたメディア界の大物だ。その言動から、業界内外で好き嫌いがはっきり分かれる人物である。「変に同調する必要はないから、遠慮せずに何でも聞いてほしい」というのが唯一、提示された条件らしい条件だった。私がここで聞きたかったテーマは、大きく分けて4点ある。百田の評価、『日本国紀』という本は学術的な歴史書なのか、『殉愛』騒動について思うこと、重版ごとの修正やコピペ批判への見解、である。

インタビューは大前提として百田尚樹という作家を見城がどう捉えているのかを聞くところから始めた。

――見城徹の目から見た作家・百田尚樹の評価は?

「百田さんの小説は読みやすいと言われるけど、単純ではない。裏打ちとしてあるのは彼の文章学であり、人間に対する見方、考え方だ。それをエンターテインメントに落とし込んで、かつ人の心に染み込むように書けるというのは、並の作家ではできない」

その上で、と見城は続ける。この見方は本質的である。

「事実とフィクションを混然とさせながら書いていくのもうまい。シーンを想起させる文章も、人が食い付くように書くのもうまい。全部計算して書いている。だから売れる。視聴率の取り方をものすごくよく分かっている」

――では、『日本国紀』をどのような本として認識しているのか。

「『日本国紀』は百田尚樹という作家の作品であり、百田史観による通史だ。百田尚樹という作家が、日本という国の歴史をこう捉えたということ。これがはるかに大事なんだよ。まさに叙事詩だ。彼は歴史家じゃなくて作家。作家によって、新しい日本の通史が書かれるという興奮のほうが大きい。僕は百田尚樹がどんな政治信条の持ち主でも出しましたよ」

――右派の本が売れているから、ビジネス戦略として『日本国紀』を出したのか。

「そんなことは1ミリも思っていない。僕にはビジネス的に右派が売れているから右派の本を出そうという考えは全くない。右派的な本や雑誌ばかりが売れるのはどうかと思っている。もちろん、売れることは大事だ。売れる本があるから、全く売れないと分かっていても世に必要な本が出せる。僕が元日本赤軍、極左の重信房子の本を何冊も出していることから分かるでしょう。その時は批判なんて来なかった。僕は右でも左でもない。見城という『個体』だよ」



本誌31ページより

インタビューでも語っているように、百田もまたこの本は学術的な歴史書だとは認識していない。日本の歴史を「私たちの物語」として書いたのだと語る。その上で、「売ることが一番大事」と断言した。

「僕もこの本は売れてほしいというだけだ。65万部じゃまだ足りない」と見城は平然と言う。しかし、彼が得意としてきたテレビを活用したプロモーション戦略はこの本では使えないという。「テレビは絶対に取り上げない」からだ。見城と百田の思いはここでシンクロする。

――では、なぜ売れたのか。

「売れている理由は明確でしょ。百田さんの史観と文章によって、歴史はこんなに面白いのか、というのが分かるからだ。特に12章以降の戦後史はこの本のハイライトで面白い」

右派的な歴史観が強く打ち出される戦後史が面白い、と言われてうなずくことはできないが、見城の分析はデータを見る限り、ポイントを押さえていることが分かる。

全国のTSUTAYAとTポイント提携書店のPOSデータを分析するサービス「DB WATCH」を見てみよう。『日本国紀』は刷り部数相応に売れており、百田のオピニオン系の書籍も数字が動いている。ここから「強いファン層」が存在し、歴史観に共鳴していることは推測できる。

であればこそ、初版以降、多くの修正が出たことについてどう考えるか。百田は「初版の読者には申し訳なかったという思いがある」と言い、正誤表も「あってもいい」と語っているが、見城はどうか。

――初版から指摘を受けるたびに、明示することなく修正していることが問題視されている。

「この程度の修正はよくあることでしょ。校正をいくら重ねても出てしまうもので、版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにあること。うちの本にも、他社の本にもありますよ。今の修正なら、僕の判断で(正誤表は)必要ない、と決めました」

高部──「校正について言えば、普通の本の3倍以上はやっています。通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります。監修者の協力も得て、一般書としての最高レベルでやりました。それでもミスは出てしまう。それは認めるしかありません」

――ウィキペディアからのコピペ、他文献からの盗用があったのではないかという指摘についても幻冬舎から反論や見解を出していない。

「こちらにやましいことは一切ない。ある全国紙から何度も、コピペ問題について取材依頼が来ましたが、応じるまでもなく、どうぞ好きに書いてくださいというのがこちらの考え。ウィキペディアを含めてさまざまな文献を調べたことは当然、あったでしょう。だけど、そこからのコピペで、これだけ多くの読者を引きつけられるものは書けない。この件も百田尚樹だから批判が出るのでしょう。安倍さんと近いとか、そんなことが大きな理由じゃないですか」



――『殉愛』についても、伺いたい。元マネジャーに対する取材は必須だったのではないか。

見城──「『殉愛』は書き方で踏み込み過ぎた。名誉毀損の訴訟で敗訴した以上、申し訳ありませんでしたと言うほかない。ここまで書くと名誉毀損に当たるかもしれない、という弁護士からの指摘もあって事前に議論はしていた。訴訟になっても百田尚樹がうちに書いてくれた作品だから最後まで守る、が結論だ」

高部──「今になって思えば、元マネジャーへも取材したほうがよかったとは思います。ただし、正当な取材ができる状態ではないという事情はありました」

だからといって、取材不足で人を不用意に傷つけることは肯定できない。そう思って口を開きかけると、見城はこちらの意図を察したように言葉を重ねてきた。

「名誉毀損については申し訳なかったが、出すべきだと判断したということです。これ以上言うことはない。僕は作家の側に立つ。危険だからやめようと言うことはできた。でも、作家が熱を込めて書いたもの。うちのために書いてくれたのだから訴訟に負けても、作家の側に立つという決断をした」

■「面白い」と「売れる」がカギ

犬はほえる、がキャラヴァンは進む──。有名なことわざになぞらえれば、見城の心境はこんなところだろう。経営のリアリズムからすれば、売れる作家の売れる本に邁進するのは当然の帰結ではある。イデオロギーうんぬんよりも、見城にとっては「稀代の小説家・百田尚樹」と売れる本を作れる喜びこそが根源にあると言えそうだ。

とはいえ、作家を守る上でもやはり元マネジャーにせめて取材依頼は出すべきだったし、「やましいこと」がないことを証明するためにも、修正箇所の正誤表は必要なのだ。私と見城で考えが異なる点は多々あったが、一方で、見城の言葉は百田尚樹現象を読み解くヒントになっている。

本誌30ページより

ここでも、キーワードは「面白い」と「売れる」だ。補助線にもう1つのデータを出そう。『日本国紀』の併買データを見ると、同書と同じ時期に出版されて全く同じ価格の、スウェーデンの公衆衛生学者ハンス・ロスリングらによる『FACTFULNESS』(日経BP社)が上位にランクインしている。世界をより良くするために、ファクトを虚心坦懐に見る力を養おうという1冊である。

これをどう読み解くか。『FACTFULNESS』を活用し、百田本を批判したいという気持ちで買っているという人は残念ながら少ないだろう。示唆されるのは「売れているから買ってみよう」という層が一定数いること、そして百田は「強いファン層」だけでなく、こうした「ふわっとした購買層」までリーチしていることである。



この日、見城は堂々と「正論」を語った。

「通史が小説のように面白く読めたら、それは売れるでしょう。『面白い』は大事に決まっているじゃないか。これがダメだって言うなら、批判する側が、批判するだけでなく通史を書いたらいい。それぞれの歴史観を打ち出せばよくて、あとは読者が評価する」

一連の取材を終えてから、作家の津原泰水が幻冬舎文庫で刊行するはずだった小説が、『日本国紀』を批判したことで出版できなくなったと公表した。それを受けて見城が津原の本の実売部数を暴露するツイートをしたところ、作家をはじめ言論界から批判が集まり、見城はツイートを削除し、謝罪する事態となった。

これを書いている現在も、騒動を報じた朝日新聞と毎日新聞を百田がツイッターで批判し、その言動に多くの「いいね」がつく。論争は広がり続けている。

※続き:百田尚樹特集(3)はこちら
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※百田尚樹氏の3時間半にわたる独占インタビュー『僕は右派と左派の真ん中』は、本誌のみに掲載


※6月4日号(5月28日発売)は「百田尚樹現象」特集。「モンスター」はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『殉愛』『日本国紀』――。ツイッターで炎上を繰り返す「右派の星」であるベストセラー作家の素顔に、ノンフィクションライターの石戸 諭が迫る。百田尚樹・見城 徹(幻冬舎社長)両氏の独占インタビューも。



石戸諭(ノンフィクションライター)

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