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【百田尚樹現象】「ごく普通の人」がキーワードになる理由――特集記事の筆者が批判に反論する

ニューズウィーク日本版 2019年6月27日 17時0分

<大反響を呼んだ特集「百田尚樹現象」で、筆者の石戸諭氏は百田氏を「ごく普通の人」と位置付けたのか。ジャーナリスト・津田大介氏執筆の朝日新聞「論壇時評」に、石戸氏が訂正を申し入れた理由と、「ごく普通」に込めた意味>




*特集「百田尚樹現象」の全文をウェブに公開中
百田尚樹はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか――特集・百田尚樹現象(1)
幻冬舎・見城徹が語った『日本国紀』、データが示す固定ファン――特集・百田尚樹現象(2)
『日本国紀』は歴史修正主義か? トランプ現象にも通じる本音の乱――特集・百田尚樹現象(3)

「すべてのことが終わり、語られた後では、『理解』という唯一の言葉が、われわれの研究の探照灯なのである」――。

クリストファー・R・ブラウニングの歴史書『増補 普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫、2019年。原著初版は1992年)のなかで印象的に引用された、歴史家マルク・ブロックの言葉です。

5月28日に発売したニューズウィーク日本版で私が取材、執筆を担当した「百田尚樹現象」に多くの反響が寄せられ、およそ考えられない量の感想をいただきました。多くの賞賛ととともに、少なくない批判をいただきました。

ある著名なジャーナリストは「百田尚樹を取り上げるべきではないので、読まない」と言いきり、ツイッター上では「分析が甘い」「批判が足りない」「取り込まれている」といった声が上がっています。

私に直接、そうした批判を言ってくる人もいました。その度に私は、特集のスタンスは「批判」のための批判をするのではなく、現象そのものを理解するために「研究が必要だ」と話してきました。それはなぜか。一連の取材、執筆を終えてから読んだブラウニングの本の中に、この特集の趣旨と共鳴する一節があります。

「加害者を理解しようとする歴史叙述では、彼らを悪魔扱いすることを拒む必要がある。大虐殺や国外追放を実行した大隊の警察官たちは、それを拒否するか巧みに回避した少数の同僚と同様、あくまで人間であった」

ブラウニングは狂信的な反ユダヤ主義者ではない「普通の人びと」が、虐殺に加担していく様子をファクトを元に淡々と記述します。そこで貫かれる姿勢は2点に集約できます。第一に「悪魔扱い」しないことであり、第二に「説明は弁明ではないし、理解は許しではない」ということです。理解するということは、例えば彼らの全ての発言、行為を許容し、批判をしないということではありません。



6月27日付朝日新聞朝刊に掲載された「論壇委員会から」 Newsweek Japan

朝日新聞に訂正を申し入れた理由

もう一つ、この特集で意識していたのはアメリカのフェミニズム社会学者、A.R.ホックシールドの名作『壁の向こうの住人たち アメリカ右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店、2018年)です。彼女は明らかにリベラル派でありながら、「壁」を超えて、トランプ政権誕生を支えることになる右派の人たちの感情を理解しようと調査を重ねるのです。

ホックシールドは「左派でも右派でも、『感情のルール』が働いている」と指摘します。そして、自分とは違う右派にとって「真実と感じられる物語」=ディープストーリーを徹底的な調査をもとに描き出すのです。

その姿勢は私が「研究」と呼ぶ活動、そのものです。

特集の冒頭に書いたようにリベラル派からはもっとも見えないものの一つが百田尚樹氏、そして百田尚樹読者です。まず彼らを理解し、可視化するという点にこだわって取材を重ね、事実を集め、その先に現象を支える「ごく普通の人々」を浮かび上がらせようした私のスタンスと、ブラウニングやホックシールドのそれはかなり近いと思うのです。

【関連記事】ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか

さて。特集への賛否はともかく、読んでいただいた読者の皆様にはお礼を申し上げたい......のですが、ジャーナリズムのプロからの批判ならば御礼だけではすまないので、批判には真摯な応答が必要です。

5月30日付朝日新聞「論壇時評」で、ジャーナリストの津田大介氏がこんなことを書いています。

《石戸は百田を「ごく普通の人」と位置付けたが、それは誤りである。百田は稀代のストーリーテラーであり、その天才的能力を敵視でつながりたい人々に幅広く提供した「相互承認コミュニティのリーダー」なのだ。》

最初の一文には明らかな誤りがあります。この論考で私は「百田尚樹=普通の人」と位置付けた事実はありません。私はレポートの結論で百田氏について「ごく普通の感覚を忘れない人」と書いていますが、それと「ごく普通の人」は、読解する上で大きな違いがあります。「位置付ける」というのは、「ふさわしいと思われる位置に置く」(日本国語大辞典)です。私はこの論考で、いかに「百田尚樹」という人が特異な才能を持っているかについて、取材をもとに明らかにしていますが、彼を「普通の人」などとはどこにも書いていません。

さらにその後に続く一文「百田は稀代のストーリーテラーであり......」は私が特集の中で強調していることです。誤りを指摘した批判のあと、この一文を続けており、これをそのまま読むと私が「百田をストーリテラー」として認識していないものと読めます。

私はこの時評が発表されてからすぐ、朝日新聞に「訂正してほしい」と抗議をしました。結果は6月27日付朝日新聞朝刊紙上で掲載されている通りです。



「ごく普通」とハンナ・アーレント

しかし、これだけを読んでも何が起きているかはわかりません。私とニューズウィーク日本版編集部は、単に反論するのではなく、特集記事の全文をウェブに公開することにしました。このテキストをめぐる読解は多くの問題を内包していると考えるからです。その理由を少しばかり書いておきます。

津田氏は自身のツイッターのなかで「百田尚樹=普通の人」と位置付けた根拠の一つをこのように説明しています。

《「善良」と(彼の主観であるとはいえ)地の文で言い切っていたので、「石戸は百田を『ごく普通の人』と位置づけた」と書きました》

これを読んで、妙に得心したのは「善良」と「普通」をこういう形で結びつけて読む人がいるのか、ということでした。日本語の「善良」のなかに「ごく普通」という意味はなく、善良とは「正直で素直なこと。また、そのさま」(日本国語大辞典)であり、普通とは「ごくありふれていること」(同)なのですが、それは瑣末な問題です。

私が「ごく普通」という言葉を使うときに、むしろ意識していたのは第二次世界大戦を経験し、全体主義について思考を続けた政治哲学者ハンナ・アーレントの大衆社会論です。特に大事だったのが、目の前の現実から離れ、誰かが作った「虚構の世界への逃避」が全体主義の原動力になったという分析でした。

逃避する「虚構」の論理はまったくの陰謀論でも、架空の歴史でもなんでもいいと読解でき、今読んでも、否、今だからこそ、アーレントの文章はぞっとします。

特集にあたり、自分に課したルールがあります。それはホックシールドの言う「感情のルール」を超えて、思考することです。日本でも欧州やアメリカのような形で、より露骨に――それは現政権よりも露骨な形で――右派的な政治潮流がさらに強まる可能性があるのではないか。その芽はどこにあるのか。

自分が見たい世界、真実と感じられる物語を離れて、対象に接近をしないと見えてこないものがあります。すべてに迫ることはできないまでも、取材を通して、思考することでヒントくらいは掴みたいと思っていました。

それが、どこまで成功しているかは読者の皆様の判断に委ねたいと思います。

*特集「百田尚樹現象」の全文を一挙ウェブに公開中
百田尚樹はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか――特集・百田尚樹現象(1)
幻冬舎・見城徹が語った『日本国紀』、データが示す固定ファン――特集・百田尚樹現象(2)
『日本国紀』は歴史修正主義か? トランプ現象にも通じる本音の乱――特集・百田尚樹現象(3)

百田尚樹氏への3時間半にわたる独占インタビュー『僕は右派と左派の真ん中』は、本誌のみに掲載


※6月4日号(5月28日発売)は「百田尚樹現象」特集。「モンスター」はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『殉愛』『日本国紀』――。ツイッターで炎上を繰り返す「右派の星」であるベストセラー作家の素顔に、ノンフィクションライターの石戸 諭が迫る。百田尚樹・見城 徹(幻冬舎社長)両氏の独占インタビューも。



石戸諭(ノンフィクションライター)

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