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なぜ、日本は<異端>の大学教授を数多く生み出したのか

ニューズウィーク日本版 2019年6月27日 19時10分

<博士号や教育・研究業績がなくても、大学教授になれるのが日本特有の現状である。官僚・メディア・企業出身・作家・評論家等の「社会人教授」がなんと多いことか。日本の大学はいずこへゆくのだろうか>

不可思議な日本的大学教授の採用慣行

ある日本の一流大学の教授が米国の大学と研究交流協定を締結した際に、その大学の教授と名刺交換をして冷や汗をかいたという話を聞いたことがある。

その教授は日本の最高峰の大学を卒業し、そのまま大学助手となり、助手の任期満了後、別の一流国立大学の助教授となり、政治学の分野では著名な研究者になっていた。

にもかかわらず、彼が冷や汗をかいたのは、彼の名刺の肩書には「博士号」(Phd.)がなく、米国の大学教授が驚いたことであった。大学の学部卒業だけの学歴で、よくも一流大学の教授になれたものだと......。

欧米の大学では、博士号なしには大学教授どころか、大学教員にすらなれない。一方、今の日本では、いわゆるスタンダードなアカデミック教授は大学院の博士後期課程の単位取得満期退学(博士学位取得資格)か、博士後期課程修了(博士学位取得)のいずれかで大学教員として採用される。

この背景には、日本が近代化を推進していた明治時代に、国家を担う人材育成が優先されたことがある。国立の帝国大学を設置し、その大学の学士号を得て卒業すると、官僚や大学教員になれたのである。

その理由は、東京帝国大学(現在の東京大学)をはじめとして、京都帝国大学・名古屋帝国大学等の帝国大学が次々と設置されたために、大学教員不足という事態が生まれたことにある。

急遽、官僚や三菱・三井・住友等の財閥企業から帝国大学卒業者を大学教員として招聘したのである。こうした慣行は大学院制度が定着する前の1960年代まで続いていたようである。

<異端>の大学教授とはなにか?

この論考のタイトルには、<異端>の大学教授という言葉を使用しているがその理由は以下の通りである。

「異端」(heterodoxy)の大学教授とは読者の皆さんには聞き慣れない言葉であろう。「異端」とは宗教用語で、「正統」(orthodoxy)に対するもの、すなわち、その時代に多数派に認められていない少数派の思想や学説などのことである。

ここでいう「正統」とは、大学の学部から大学院の博士前期課程(もしくは、修士課程)、博士後期課程までを修了(博士学位取得)、ないし博士課程単位取得満期退学を経て、大学の専任教員(助教[任期制]・専任講師、准教授、教授)となった経歴をもった人、すなわち、「アカデミック教授」(ないし教員)のことである。

反対に「異端」とは、博士学位(単位取得満期退学を含む)という大学院での学位取得をしないで、社会経験のみで大学の専任教員に採用された人のことで、いわゆる「社会人教授」(ないし、教授以下の教員)のことを意味している(拙著『大学教授の資格』NTT出版、2010年)。社会人教授の中にも博士学位を取得し、学術的な著作・論文という研究業績を数多くもっている人も少数ではあるが存在している。



官僚・メディア関係者・会社員から大学の専任教員になった人のことを、ここでは「異端」と呼んでいる。というのは、官庁や企業に勤めていたという社会経験があるだけで、大学の専任教授になれるのは日本だけであるからだ。

官僚の世界から、社会人教授へ

官僚にとって、定年後の転身は概ね、4つの道――(1)当該省庁の関連団体に役員として天下る、(2)企業等の顧問になる、(3)政治家(国会議員や地方自治体の首長[知事等])になる、(4)大学教授になる、があると考えられる(ただし、2007年6月に成立した「改正 国家公務員法」第106条の4では、退職後2年間は退職前5年間の職務と密接な利害関係のある営利企業等に再就職することを禁じている)。

この中で大学教授は、関連団体・企業や政治家に比べれば報酬は安いけれども、社会的地位の高さやメディアへの露出を考えると安定性があると考えられる。果たして大学教授はうまみのある仕事なのだろうか。

答は「否」である。大学教授の給料は平均(55歳程度)で、1200万~1500万円で、これも大手私立大学の平均である。国立大学法人大学となると約1000万円前後である。地方の国立大学となると、教授でも900万円台の年収で定年(65歳)を迎えることになる。

地方の定員割れの底辺大学となると、年収は800万円前後である。自分が所属していた省庁の関連団体(独立行政法人、財団法人、社団法人、企業等)に天下った方がこれよりも高い給料が保証される(ほぼ、在職時の年俸が保証され、退職金も出る)。

大学教授への転身は30代~40代の仕事に意欲をもった世代は別にして、50代の退職勧奨後のポストとして、果たしてメリットがあるだろうか。

大学教授という肩書はメディア(新聞・雑誌・テレビ等)への露出には格好のものであり、本を出版するのも容易である。役人時代よりも収入は低くとも、社会から尊敬されると思われる仕事につくことは官僚にとっても「あこがれ」なのかもしれない。

ところで、役人やメディア関係者らが大学教授に採用されるようになったのはいつ頃からなのだろうか。1990年代の大学設置基準の緩和によって、大学教員に「実務教員」枠が設けられ、新しい天下り先として大学市場が登場したのがきっかけである。

受け入れに積極的なのは、国立大学法人大学では、東京大学、京都大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学等の旧帝国大学であるが、最近では、公共政策大学院等の設置により、行政実務を学生に教授してもらうという大義名分のもとに、早稲田大学、慶應義塾大学、中央大学等の私立の有名大学にも役人出身の大学教授の名前が連なっている。

ここで1つお断りしたい。大学教授の要件として、必要条件は博士号の取得であるが、十分条件としては、大学教授に相応しい、教育業績・研究業績があるかどうかということである。こうした2つの条件を有している社会人教授が大学教授としての資格をもっている人といえるだろう。



ではマスコミで知られている官僚から大学教授に転身した例(過去から現在)を挙げよう。

90年代の住専問題で銀行に多額の公的融資を認めた元大蔵省(現在は財務省)銀行局長の西村吉正氏は、退任後、2007年に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授として就任し、2010年に定年となっている。かつての早稲田大学からすれば、行政権力の象徴である中央省庁の高級官僚を専任教授として迎え入れるなど考えられないことである(彼は早稲田大学教授に就任以前は博士号はなく、就任後、2003年に勤務先のアジア太平洋研究科から博士[学術]を付与されている)。

また、現在でも経済評論家としてテレビ等で活躍している青山学院大学特別招聘教授(2010年就任)の榊原英資氏は、大蔵省の財務官から、慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所長・教授、早稲田大学総合研究機構・客員教授(専任扱い)を経て、現職。経済政策の評論では有名であるが、経済政策に関する学術的な著作や論文を読者の皆さんは見かけたことがあるだろうか(榊原氏は政府の在学研修生として派遣されたミシガン大学で博士号を取得している)。

中央大学大学院法務研究科教授の森信茂樹氏も、財務省・財務総合研究所長を経て、2007年から現職。

竹中平蔵氏(元金融・財政担当大臣、総務大臣)の秘書官を勤めた元経済産業省の岸博幸氏は、慶應義塾大学のデジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教授(2006年)を経て、2008年に同大学院メディアデザイン研究科教授となっている。

他方、竹中氏は政界を退いた後、慶應義塾大学総合政策学部教授となり、同大学定年後、東洋大学国際地域学部教授、現在は同大学国際学部グローバル・イノベーション学科教授となっている(東洋大学は65歳が定年であるが、特別な場合に限り、教授としての任用が認められている)。

彼も小泉内閣時代(2001年4月~2006年9月)の大臣在職当時ほどではないが、メディアへの露出度は高い。

一般的には、中央省庁の官僚が大学教授へ転身するようになったのは大学設置基準緩和以降のことと思われているが、歴史を繙いてみるとそうではないことがわかる。

前述したように、明治時代、帝国大学(現在の東京大学)が設置された頃に、正統なアカデミック教授ではない、行政実務経験を積んだ官僚が社会人教授として登用されていたのである。

西欧の近代化に追いつくために、すぐれた行政官僚を養成するべく帝国大学を設置したが、外国人教師だけでは人数が足らず、帝国大学卒業生で官僚になった人材から大学教授を招聘したのであった。

とりわけ、東京帝国大学に経済学部が誕生した際には、河合栄治郎(農商務省)、大内兵衛(大蔵省)、矢内原忠雄(住友総本店)などが、また、法学部には、田中耕太郎(内務省)、南原繁(内務省)、高木八尺(大蔵省)などが社会人助教授として就任し、後に教授となっている。

この背景には大学教員の人材不足があるが、この時代にすでに、大学と行政・企業の世界との人事交流があったとみてもおかしくはないだろう(『大学という病』竹内洋、中央公論新社、2001年)。



こうした日本特有の大学教員人事が今なお残存しているのは、学問探求の場としての大学の役割が日本社会ではまだ認知されていないことを示しているといってもよいだろう。

米国でも、大学教授と連邦政府の高級官僚との密接な人事交流はある。ニクソン・フォード政権の元国務長官(1973-1977年)兼大統領補佐官(1969-1975年)のヘンリー・キッシンジャー氏(96歳)は、ハーバード大学大学院で博士号を取得し、国際問題の研究者として活躍していたし、コンドリーザ・ライス氏はジョージ・W.ブッシュ(ブッシュ・ジュニア)時代に国務長官(初めてのアフリカ系米国人女性の大臣、2005-2009年)兼大統領補佐官(2001-2005年)を務め、元スタンフォード大学教授である(現在も、スタンフォード大学教授)。

この2人に特徴的なのは博士学位をもち、学問的業績や活動が評価されて連邦政府の高級官僚として遇されており、国際関係問題の専門家として登用されたことであった。日本と米国のこの違いを読者の皆さんには理解していただきたい。

作家・評論家の世界から、社会人教授へ

作家や評論家という職業は、雑誌等への原稿執筆や著作の刊行によって生活費を得る生業であるとともに、一般大衆に文化の価値を伝える文化伝承者でもある。

あの明治の大文豪、夏目漱石は東京帝国大学講師で、京都帝国大学教授として招聘されながらも辞退し、小説を書くことを本業として選んで大学を辞め、朝日新聞の専属作家として作家の道を歩んだ「作家の鑑」ともいえる存在である。

ところが,最近の作家は本業では稼ぎがよくないのか、テレビのバラエティ番組でコメンテーターとして出演したり、テレビのCMに出たりなどして、作家の仕事が本業なのか、余技なのか、よくわからない人たちが増えてきた。

とりわけ近年は1990年末以来の長引く出版不況のせいか、作家専業では飯が食えない人たちが急増している。そのため、安定収入(最低でも、専任教授であれば年収1000万円)を得るために、ツテを頼って大学に専任教授としてもぐり込んで、作家や評論家を兼業している人が多い。

例えば、作家の島田雅彦氏は1998年に近畿大学文芸学部助教授となり、その後、2003年に新設学部である法政大学国際文化学部教授となっている。同じく作家の中沢けい氏も2005年から法政大学文学部教授である。

筆者と大学時代(早稲田大学)に同世代で、かつて『僕って何』(河出書房新社、1977年)で第77回芥川賞を受賞した三田誠広氏は大学教授になりたくて、通常は1回しかできない早稲田大学文学部文芸学科の客員教授を2回も(1997-2001年、2005-2007年)務め、ようやく近年(2011年)、61歳で武蔵野大学文学部教授となっている(2019年度より同大名誉教授)。

この点、異色なのは、早稲田大学文学学術院教授の堀江敏幸氏である。彼は早稲田大学第一文学部フランス文学科を卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学という経歴で、芥川賞(『熊の敷石』講談社、2001年)をはじめとするさまざまな文学賞(三島由紀夫賞[1999年]、川端康成文学賞[2003年]、谷崎潤一郎賞[2004年]、読売文学賞[2006年・2010年]、伊藤整文学賞[2012年])を受賞している。

彼はフランス文学研究とともに、小説や評論を執筆し、高い評価を得ているのである。その点、三田氏とは対照的である。



作家の高橋源一郎氏は大学除籍(横浜国立大学経済学部除籍)にもかかわらず、文芸評論家の加藤典洋氏(1986年から2005年まで明治学院大学国際学部に助教授・教授として勤め、2005年に早稲田大学国際教養学部教授として移籍し、2014年に退職している)の後任として、2005年に明治学院大学国際学部教授に就任している(2019年3月退職)。

また、評論家という職業も同様で、文芸評論家から社会評論家に至るまで種々雑多いるが、この仕事だけでは飯が食えないために大学教授になっている人が多い。

保守派の論客、並びに、文芸評論家の福田和也氏は慶應義塾大学の大学院文学研究科修士課程を修了しているが、あの著名な評論家である故江藤淳氏の鞄持ちというか、秘書役を務めてきたということで、江藤淳の後任者として、現在では、慶應義塾大学環境情報学部の一般教養担当の教授を務めている。もちろん、文芸評論家としての実績は十分に残しているが、学者としての評価となると別問題だ。

尾木ママこと、尾木直樹氏もマスコミに登場する時は教育評論家の名称で登場しているが、彼は早稲田大学教育学部卒業後、中学校・高校の教員を22年間勤め、教育評論家としてメディアに登場した後、なぜか、2004年に法政大学の新学部、キャリアデザイン学部教授となっている(現在は特任教授)。

出版業界の売れっ子、教育評論家の齋藤孝氏も明治大学文学部教授の肩書であるが(1994年に公募で採用され、明治大学文学部教職課程専任講師となる)、実際は教職課程専任の教員である。

彼は2001年に『声に出して読みたい日本語』(全5巻、草思社)が250万部のベストセラ-となり、マスメディアに登場することになった。これまで異常なほど数多くの著作を刊行しているが、教育学者・齋藤孝として評価されるべき学術的な著作・論文はほとんどない。

明治大学文学部の専任講師時代に、『宮沢賢治という身体』『教師=身体という技術』(いずれも世織書房、1997年)という学術的な著作を刊行しているが、それ以降は評論的な著作ばかりである。

ここまでくると、この人は一体、本当に大学教授なのか、評論家なのか、タレントなのか、訳がわからなくなってくる。

この点、テレビのコメンテーターとしてよく登場する評論家の宮崎哲弥氏は慶應義塾大学文学部卒業後、雑誌『宝島30』の執筆活動から始まり、政治・宗教・文化にわたる多彩な評論活動を重ねてきているということで、評価したかったのであるが、2006年に京都産業大学客員教授を引き受けたということで、この人も大学教授という肩書が欲しかったのかと思うと大変残念なことである。大学教授としての肩書がなくても、彼ならば評論家として十分に活躍できるはずである。

これまで見てきたように、作家や評論家で大学教授になっている人たちの大半は大学の学部卒業のみで大学で文学論等を教えているのである。小説を書くことと文学論を講じることは全く別の次元である。

大学院で文学を研究したという学術的経験がないと学生指導も無理である。小説の書き方を教えるのであれば、カルチャー・スク-ルや専門学校レベルで十分だと考えるのは筆者の思い込みであろうか。

このように、作家・評論家は大学における教育と研究を行うだけの教育・研究業績と学位(少なくとも修士学位は必要)がないにもかかわらず、安定した経済的報酬があるということで、大学教員として大学にもぐり込んでいるのが実情なようである。

[筆者]
松野 弘
社会学者・経営学者・環境学者〔博士(人間科学)〕、現代社会総合研究所理事長・所長、大学未来総合研究所理事長・所長、一般社団法人ソーシャルプロダクツ普及推進協会理事・副会長等。日本大学文理学部教授、大学院総合社会情報研究科教授、千葉大学大学院人文社会科学研究科教授、千葉大学CSR研究センター長、千葉商科大学人間社会学部教授等を歴任。『「企業と社会」論とは何か』『講座 社会人教授入門』『現代環境思想論』(以上、ミネルヴァ書房)、『大学教授の資格』(NTT出版)、『環境思想とは何か』(ちくま新書)、『大学生のための知的勉強術』(講談社現代新書)など著作多数。


松野 弘(社会学者、大学未来総合研究所所長)

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