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抗生物質が効く時代はあとわずか......医療を追い詰める耐性菌に反撃せよ

ニューズウィーク日本版 2019年7月5日 10時20分

<猛烈な勢いで耐性を付けた病原体には打つ手がない----安易過ぎる抗生物質の多用が人類の危機を招いている>

大腸菌の特異な変異体のせいで体調を崩した患者が4人いる──米コロンビア大学(ニューヨーク)のアービング医療センターがそう発表したのは今年1月のこと。世間では話題にもならなかったが、感染症の専門家の間には衝撃が走った。

大腸菌は誰の体内にもたくさんいるありふれた細菌で、私たちの腸内にいる限りは無害だが、食物や指などを経由して血中に入れば私たちの命を冷酷に奪う変異体になることもある。抗生物質が効かなければ、感染した人の半数が2週間以内に死亡する。

だからこそ、コロンビア大学で見つかった大腸菌には慎重に対処しなければならない。ここ10年、20年で、大腸菌は次から次とさまざまな抗生物質への耐性を獲得してきたからだ。

残された唯一の希望はコリスチンという抗生物質だが、あいにく強い副作用があり、腎臓や脳にダメージを与える恐れがあるため、誰にでも投与できるものではない。しかもコロンビア大学で見つかった大腸菌ではmcr-1遺伝子に突然変異があり、なんとコリスチンへの耐性も獲得していた。

「こうなると、もう有効な抗生物質は残っていない」。そう言ったのはマサチューセッツ総合病院感染症科感染管理部門のエリカ・シェノイ。「これに感染した患者には打つ手がない」

奇跡の薬と呼ばれたペニシリンが第二次大戦で多くの兵士の命を救って以来、既に100以上の抗生物質が発見され、そのどれもが臨床現場で使われてきた。しかし、もう新しい抗生物質を探すだけでは足りない。

大腸菌だけでなく、ブドウ球菌などでも次々と抗生物質の効かない耐性株が登場している。ある研究によれば、07〜15年で耐性菌の感染による死亡者数は5倍になったと言われる。最近もニューヨークとシカゴの病院で、薬剤耐性を持つ真菌カンジダ・アウリスが確認された。これに感染した患者の半数は90日以内に死亡するという。

米疾病対策センター(CDC)の推計によれば、主要な抗生物質に対する耐性を持つ細菌または真菌に感染する患者は全米で年間約200万人。うち2万3000人が死亡している。

「実数はもっと多いだろう」と言うのは、感染管理疫学専門家協会(APIC)を率いるカレン・ホフマン。「多剤耐性菌に関するまともな報告制度」がないので「感染の実態は把握できていない」そうだ。

耐性菌の脅威は今後も増す一方だろう。WHO(世界保健機関)の予測では、耐性菌による死亡者数は世界全体で今は年間70万人程度だが、50年までには1000万人に達するという。そうなれば耐性菌は癌や心臓疾患、糖尿病などを凌駕して、人類にとって最大の死亡原因となる。

抗生物質の登場前は、小さな切り傷や虫歯、些細な手術でも、感染症による死につながるリスクがあった。ペニシリンに代表される抗生物質のおかげで、そんな状況は一変したのだが、もはや抗生物質が奇跡の特効薬である時代は終わったようだ。



わずか数年で薬剤耐性を獲得

現時点で耐性菌の犠牲になりやすいのは高齢者や体力の弱った患者だが、リスクは広がっている。「膀胱炎や皮膚炎を患う若い患者でも、今は抗生物質を出せない場合がある」と、タフツ医療センター(ボストン)の感染症専門家ヘレン・バウチャーは言う。「このままだと臓器移植も、人工関節置換術などの一般的な手術もできなくなる。みんなが心配するべきだ」

専門家が期待を寄せるのは、感染症対策の全く新しい戦略だ。抗生物質を使わずに細菌を殺す方法はどこにあるのか。ウイルスや魚類の分泌する粘液に注目する人もいる。地球外の物質に期待する人もいる。

病院など、細菌の拡散しやすい場所での除菌・殺菌法の再検討も進んでいる。私たちの体内や病院の院内にいる細菌をコントロールするには、もっと全体的なアプローチが必要だ。

時間は限られている。脅威の耐性菌がゾンビの軍団のように押し寄せてくる前に、私たちは新しい武器を用意できるだろうか。「今までとは違うアプローチに巨額の投資をすべきだ」。マサチューセッツ大学で薬剤耐性を研究するマーガレット・ライリーはそう言い、こう続けた。「本当は15年前に始めるべきだったが」

耐性菌の問題の1つは、その進化の速さだ。人間は生後15年ほどでようやく繁殖能力を持つが、大腸菌は20分で2倍に増殖する。人類には何百万年もかかる進化をわずか数年で成し遂げ、薬剤への耐性を獲得してしまう。

抗生物質を投与された人体は、それらが進化するための完璧な舞台というわけだ。マサチューセッツ総合病院のシェノイは「新しい抗生物質が使われると、約1年後にはそれに耐性を持つ細菌が現れる」と言う。

もっと新しい抗生物質を見つけるのは大変だ。そうした新薬の開発には約20億ドルの費用と少なくとも10年の歳月が必要になる。完成しても爆発的に売れるものではない。「新しい抗生物質は使う量も回数も抑えなければいけない」と、ジョンズ・ホプキンズ・ベイビュー医療センター感染症科(ボルティモア)のジョナサン・ゼニルマンは言う。つまり、製薬会社が元を取れる保証はない。

だから専門家は別のアプローチに期待を寄せる。例えば、生物進化のプロセスに詳しい生物学者との協力だ。マサチューセッツ大学のライリーは1990年代にハーバード大学とエール大学で、ウイルスが細菌を殺したり、細菌同士が殺し合ったりするメカニズムを研究していた。2000年に同僚から、それを医療に応用できないかと質問された。

「考えたこともなかったが、そう言われて初めてひらめくものがあった」とライリーは言う。以来、彼女は今日まで、ウイルスの殺菌戦略を耐性菌対策に応用する方法を模索してきた。



感染症を引き起こす細菌を狙い撃ちできるとして期待が寄せられる「ファージ」 KATERYNA KONーSCIENCE PHOTO LIBRARY/GETTY IMAGES

抗生物質は核爆弾投下と同じ

細菌を殺すウイルスはファージ(正式にはバクテリオファージ)と呼ばれる。ファージはタンパク質に包まれた遺伝情報物質で、細菌の細胞膜を突き破って侵入し、相手の遺伝系を乗っ取り、自らを複製・増殖させる。ライリーはまた細菌が抗菌活性のあるタンパク質(バクテリオシン)を産生して仲間をやっつける仕組みも研究している。

ライリーの目標は危険な細菌を殺すことだけではない。有益な細菌を守ることも視野に入れている。人体の内部や表面に常在する細菌はおよそ400兆個。その大半が有益・無害で、ライリーによると、有害なものは1万分の1%くらいだという。

しかしペニシリンやテトラサイクリンのような在来の抗生物質は、細菌の種類を区別せず、全てを殺そうとする。だからこそ細菌は、生き残りを懸けて耐性を獲得するわけだ。

「感染症で抗生物質を使うのは戦争で核爆弾を使うのと同じ」だとライリーは言う。「それは人体の常在菌を半分以上も死滅させる。有益な細菌が不足すると、肥満や気分の落ち込み、アレルギー体質になりやすい」

一方、ファージやバクテリオシンは(少なくとも理論上は)有害な細菌だけを攻撃できる。無害な細菌まで殺すことはなく、耐性菌が生まれやすい環境をつくり出すこともない。

バイオテクノロジー企業のイミュセル(メーン州ポートランド)は、乳牛の乳腺炎治療に使えるバクテリオシンを開発した。この病気によってアメリカの酪農業界は年間約20億ドルの損失を被っている。ライリーによれば、実験室レベルでは今でも、ファージやバクテリオシンを操作すれば、ほとんどの病原菌に対抗できる。しかも「いずれも20億年前に出現した殺しのメカニズムだから、化学的に安定している」。

ファージを用いた治療法の臨床試験はジョージア(グルジア)やバングラデシュでも行われている。欧米では足の潰瘍の治験で良い結果が出ている。より深刻な病気はまだ治験対象になっていないが、17年に米食品医薬品局(FDA)が特別に認めた多剤耐性菌による感染者のファージ治療が成功し、全米の研究者への刺激になった。

今後は多剤耐性菌による結核や嚢胞性線維症に伴う肺感染の治験が行われる可能性があるという。一方でバクテリオシンの研究はファージほど進んでいない。米政府はこうした研究に20億ドルの支援を約束しているが、「全く足りない」とライリーは言う。

癌の治療では患者の免疫力を高める方法が注目されているが、この免疫療法も耐性菌との戦いに応用できる可能性がある。既に牛などの動物の体内で人間の抗体を作り出す手法が確立されていて、これを患者に注射する治療も考えられる。



ブリガム・アンド・ウィメンズ病院(ボストン)は耐性菌の感染者に緊急措置として抗体と抗生物質を混ぜて注射したと報告したが、結果は明らかにしていない。これ以外には、抗体を用いた実験的治療の報告はないに等しい。また耐性ブドウ球菌などに効くワクチンを開発する動きもあるが、実用化には遠い。

「抗生物質によらない治療は研究が始まったばかり。気長に取り組んでいかなければならない」と、コネティカット大学医療センター感染症予防科のデービッド・バナクは言う。

事態は切迫しているのに、なぜ有望な対策をもっと速やかに試験し、実用化しようとしないのか。

資金がないからだ、とタフツ医療センターのバウチャーは言う。政府は研究に巨額を投じているが、研究を医薬品の製造につなげる民間投資が足りていない。何百万回も処方されるとも1錠当たり何万ドルという値段が付くとも思えない新薬の製造に、製薬会社は消極的だ。バウチャーに言わせれば「製薬の経済モデルが破綻している」。

耐性菌が相手でなければ、抗生物質には文字どおり奇跡的な効き目がある。しかし、それに頼り過ぎたことに問題の一端はある。何十年も前から、中耳炎や咽頭炎にも抗生物質が使われてきた。手術後の感染予防にも使われている。その間に細菌は突然変異を起こし、薬剤耐性を獲得してしまった。そうした細菌の拡散と感染を防ぐには、抗生物質だけに頼らない全体的なアプローチが求められる。

複数の方面からのアプローチが必要だと、専門家も強調する。迅速に細菌を特定して隔離などの予防策を取り、特定の細菌をターゲットにした薬物を投与できれば、感染症の集団発生を防ぎ、遅らせることもできよう。そこで求められるのが、患者とその周辺にいる細菌の遺伝子を速やかに、低価格で特定する検査手法の開発だ。

「病院に来る人を片っ端から遺伝子レベルでスクリーニングするわけにはいかない。干し草の中で針を探すような無駄骨だ」とシェノイは言う。「ハイリスクな患者を早めに選別できれば、適切な処置ができる」

病院で耐性菌をより効果的に封じ込める方法も研究されている。アメリカの病院では、患者のおよそ5%が院内感染の被害に遭う。病院は免疫力の低下した病人が集まる場所なのだから、驚くには当たらない。医師や看護師はさまざまな傷に指や器具で触れ、その器具は院内で使い回されている。

細菌の付着しない素材を開発

院内感染が増えた背景には、高齢者の増加と医療の進歩がある。ジョンズ・ホプキンズのゼニルマンが独自に調査したところ、患者の半数以上がペースメーカーや人工歯根など何らかの医療器具を体に埋め込んでいた。こうした「インプラント」は感染症の温床になりやすい。



「歴史を顧みても、今の病院に集まる患者ほど病んだ集団はいない」とゼニルマンは言う。APICのホフマンも「病院が正しい安全対策を行っている割合は5割程度。これを改善するのが一番の難題だ」と指摘する。

病院側も取り組みを開始した。今では多くの病院がロボットを使って紫外線で壁を殺菌している(紫外線は人体にも有害なので、人間は殺菌中の部屋には入れない)。シカゴの南にあるリバーサイド医療センターでは、ゼネックス・ディスインフェクション・サービス社のロボット2台が毎日30以上の部屋を消毒している。

そもそも診察台の表面や白衣などの衣類に細菌が付着しなければ、病院の衛生管理も楽だろう。コロラド州立大学の生化学者メリッサ・レイノルズは新しい抗菌素材を開発している。

抗菌素材の開発はレイノルズにとって、偶然降って湧いた使命だ。もともと彼女は、外科医が血管を拡張するのに使う医療用メッシュに血が凝固するのを防ぐ方法を調べていた。

すると、メッシュに銅のナノクリスタルを塗ると血球が付着しない可能性があることが分かった。しかもナノクリスタルのコーティングには細菌も着かないらしい。やがて研究室の学生がひらめいた。綿布をナノクリスタルの溶液に浸せば、細菌が着かない素材になるのでは?

レイノルズは「こうして強い抗菌性を持つ新素材を発見したことから、新しい方向性が見えた」と語る。

抗菌素材について行ってきたこれまでの実験は成功している。「ナノクリスタル処理した布をあらゆる種類の細菌に繰り返しさらしても、菌の付着は一切ない」と彼女は言う。「仕組みはまだ解明中だが、異なる種類の細菌に有効なことが分かっている」

レイノルズは既に、ある大手医療用品メーカーと共同で、ナノクリスタルを製造工程に組み込むことに成功している。現在は、ナノクリスタルを病院で使われるステンレスや塗料などに染み込ませる方法を研究している。これが実現できれば、これらの素材は従来の院内設備よりも抗菌効果がずっと長持ちするはずだ。

院内感染を防ぐ方法の研究が進めば除菌作業もずっと楽になりそうだ ANDIAーUIG/GETTY IMAGES

耐性菌との戦いで、もう一つの武器となり得るのがレーザーだ。パーデュー大学の生物学者モハメド・セリームらは、血液に異なる色のレーザー光を照射することで、血中にある感染性の細菌を迅速に特定する方法を研究した。

その過程で彼らは、特定の薬物に耐性を持つ細菌に青色の比較的弱いレーザー光を照射すると、その色が数秒で金色から白に退色することに気付いた。退色した細菌の一部は死滅し、残りは抗生物質への耐性を失っていた。

彼らは現在、さまざまな耐性菌を特定できるレーザー光の色の調整に取り組んでいる。これが成功すれば懐中電灯サイズの照射装置を使って、患者の皮膚上の危険な細菌を殺したり、病院や医局内の消毒をしたりできるようになる。医療従事者の皮膚や衣服に照射して、それが感染源になるのを防ぐことも可能になるかもしれない。



セリームは、血流中に入り込んだ致死的な耐性菌の消毒にもレーザー光の活用が可能だと考えている。患者を血液循環装置につなぎ、管を通る血液にレーザーを照射することで「血液を体外に取り出して殺菌し、再び体内に戻す」方法が考えられると彼は言う。

一方で研究者たちは、今も新たな抗生物質発見の希望を捨てていない。1928年、イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングが研究所に置きっぱなしにしていた培養皿に奇妙な緑色のカビを見つけたことから、抗生物質革命は幕を開けた。

これ以降、研究者たちは自然界のあらゆる場所で、次なる偉大な細菌キラーを見つけようとしてきた。

最近の複数の研究によれば、耐性菌さえも死滅させる(ただし人間の体内に入っても安全な)新たな物質は昆虫や海草、魚類の粘液、ヒ素を豊富に含むアイルランドの泥や火星の土に含まれている可能性があるという。またライデン大学(オランダ)では、人工的に生成した細菌を微調整して新たな抗生物質をつくる研究が始まっている。

アオカビが細菌の生育を阻止しているのを偶然見つけたフレミングは世界初の抗生物質ペニシリンの発見者になった(1955年、ロンドンの研究所) PETER PURDYーBIPS/GETTY IMAGES

抗生物質の乱用に歯止めを

耐性菌の進化を遅らせて、今ある抗生物質を有効に活用しようという考え方もある。前提条件は、耐性菌の進化を促す抗生物質の乱用をやめること。耐性菌は一つの場所で発生したものが拡散されることが多いため、国際的な取り組みが必要になる。

複数の研究によれば、世界の抗生物質の大半は処方箋なしで販売されており、これが一因となって、00〜15年にかけて世界の抗生物質使用量は65%も増加した。その結果として出現した耐性菌が、国外旅行者の体内に入り込んで世界中に広まっている。

患者側にも果たすべき役割がある。軽い鼻づまりや尿路感染症でも医師に抗生物質の処方を求める患者がおり、これが抗生物質の乱用に、ひいては耐性菌の誕生につながっている。

マサチューセッツ州の公衆衛生当局は10年以上前から、医師にも患者にも抗生物質の使用量を減らすよう強く促してきた。この取り組みの結果、同州ではこの4年で抗生物質の処方量が16%減少した。これは私たちが負け続けている大きな戦争における、小さな勝利と言えるかもしれない。

だが10年か20年前に容易に予見できたはずの危機に目をつぶってきたことのツケを、私たちは嫌でも払わねばならない。エボラ熱のような致死性の高いウイルスの大流行とまではいかなくとも、耐性菌への感染は今後ますます多くの人の運命を左右することになるだろう。

何しろ1月にコロンビア大学で見つかったような耐性大腸菌を撃退する新戦略の構築に全力で取り組んだとしても、その成果が得られるまでには10 年以上もかかるのだ。

<本誌2019年6月18日号掲載>


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デービッド・H・フリードマン(ジャーナリスト)

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