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IMF最後の切り札はイケメンすぎるインド中銀元総裁。華麗なる転身なるか

ニューズウィーク日本版 2019年7月8日 18時40分

<インド中銀に在任中は就任直後の利上げに始まり、華麗な手さばきで金融政策を仕切ったラグラム・ラジャン氏。国際金融の「顔」か、難局を迎える英国の「通貨の番人」役か?>

国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事が欧州中央銀行(ECB)の総裁に内定したことで、後任人事に関する報道も出始めた。これまで世界銀行のトップは米国出身者、IMFのトップは欧州出身者が務めるのが慣例となってきた。ただ、近年はアジアをはじめとする新興勢力が世界経済でのプレゼンスを増していることで、この慣例に疑問の声が強まっていることも事実。そんな中、ラガルド氏の後任候補として取りざたされているのが、インドの元中銀総裁、ラグラム・ラジャン氏だ。同氏は現在、シカゴ大学経営大学院の教授を務める。

ラジャン氏は1963年生まれ。インドの超名門大学であるインド工科大学(IIT)を卒業後、IMFの首席エコノミストなどを歴任し、13年から16年までインドの中央銀行であるインド準備銀行(RBI)総裁を務めた。08年のリーマンショックをいち早く予見した世界的なエコノミストであることに加え、物静かな物腰、端正なルックスとも相まって一部では「イケメン過ぎる中銀総裁」として女性のファンも多かった。ただ、彼の名を真に高めたのは経歴でも風貌でもなく、インドのインフレとの戦いに「勝利」したことだった。

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当時のインド経済は規制緩和や構造改革が進んでおらず、成長率は5%未満。新興国の割に伸び悩んでいた一方で、インフレ率は10%近くを記録していた。国土が広大であることに加え、冷蔵・冷凍輸送や倉庫をはじめとする物流インフラが脆弱なため、せっかく収穫した農作物が痛んで無駄になることが多い。このため、国民の食生活の中心となるタマネギやジャガイモの価格が30%以上高くなることもざらにあった。インフレが進行すれば特に貧しい国民の生活を圧迫し、企業も大幅な賃上げをせざるを得なくなるため、経済成長の停滞を招きかねない。なにより、政権に対する国民感情も悪くなる。当時の政権にとって喫緊の課題だったインフレ収束の「切り札」として中銀総裁に抜擢されたのが、ラジャン氏だった。

筆者はラジャン総裁が就任した直後から2年間インドに在住していたが、彼の政策で印象に残っているのは、中銀が繰り出しうる数少ない武器を最大限に活用する手法だった。その最たるものが市場や政府、国民の心理的な反響を織り込んだ利上げや利下げだ。

同氏は総裁就任直後の9月20日にいきなり0.25%の利上げを実施すると、翌月にも利上げを実施。物価抑制を進める姿勢を強く示し、明確なメッセージを国内外に発信した。金融引き締めを進めれば経済成長の勢いを削ぎ、資金調達コストが上がるため国内企業からは激しい反発があったものの、「お金を借りたい人たちの大きな声ばかりに耳を傾けるのは間違いだ」と、怯むことなく14年1月にも利上げに踏み切った。


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15年からは物価が落ち着いたことから、一転して利下げを繰り出すようになる。普通であれば、よほどの緊急事態でもない限り金利の上げ下げは毎月の金融政策会合で発表される。それに対して総裁時代のラジャン氏は何の前触れもなく緊急会合を開き、利下げを発表することがたびたびあった。利下げは0.25ポイントであることがほとんどだったが、「不意打ち」による心理的なインパクトを与えることで、下げ幅以上の効果を狙っていると現地では噂された。突然の発表になると何の準備もない状態で記事を書く羽目になり、なかなか記者泣かせな手法ではあった。ただ、「経済学は人間学」という専門家もいるように、経済とは人間の心理と切り離せないものだ。

就任直後の最も注目が集まるタイミングで物価抑制への決意を見せつけたことや、利下げで金融を緩和する際には「サプライズ」とセットにして大きなインパクトを与えるなど、世界的なエリートでありながら理詰めで攻めるのではなく、市場や関係者の心理面も巧みに突く手法には舌を巻く思いだった。16年はじめにはインドのインフレ率は4~5%ほどに落ち着く。原油安が進行したという幸運もあったが、ラジャン総裁の手腕がインフレ抑制に大きな役割を果たしたという意見は多い。

英中銀の総裁候補にも

国民からの人気が高く「ロックスター」とも呼ばれたラジャン総裁だが、1期目を終えた16年であっさり退任が決まってしまう。経済成長を重視するモディ政権と、金融緩和に消極的なラジャン総裁の意見が対立し、再任が見送られたという見方が一般的だ。ちなみに、後任のウルジット・パテル総裁も政権とそりが合わず、任期途中の18年12月に退任の憂き目に遭った。

数年の雌伏の期間を経てラジャン氏が表舞台に戻る日は来るのか。就任が噂されているのは、IMFの専務理事だけではない。英国の中央銀行であるイングランド銀行(BOE)の総裁候補としても名が挙がっている。BOEは現職のマーク・カーニー総裁がカナダ人で、外国人として初めて総裁に就任している。ラジャン氏にとっても国籍が問題になることはない。カーニー総裁は20年1月に退任が確実視されており、ラジャン氏と共にIMF専務理事の候補でもある。世界経済の減速が予測されていることに加えて、英国はEU離脱という難題も抱える。難しい局面だからこそ、英国政府は国籍よりも能力を優先する思惑が強いのかもしれない。

ラジャン氏が就くのは、国際金融の「顔」なのか、難局を迎える英国の「通貨の番人」役なのか。どちらにしても、実績と実力、そして「スター性」も申し分ない候補だ。



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小堀栄之(経済ライター)

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