Infoseek 楽天

ラガルドECB総裁を待つ難題 エコノミストが中銀トップの時代は終わった

ニューズウィーク日本版 2019年7月8日 18時45分

<中央銀行の実務経験がなく経済学者でもない政治家のラガルドは、政治手腕と調整能力を駆使し、大胆な金融政策を遂行できるか>

EUのトップ人事をめぐる争いは注目のドラマだった。ドイツのメルケル首相は6月末に日本で開催されたG20で交渉をまとめようとしたが、猛反発を食らって炎上した。

メルケルにとっては、政治生活で最も恥ずかしいつまずきだったかもしれない。それでも最後には、EUの行政執行機関である欧州委員会の次期委員長に同じドイツの政治的盟友フォンデアライエン国防相を据えることで何とか面目を保った。

ただし、この椅子取りのゲームは単なるショーではない。真の重要性とリスクをはらんだ人事だ。個々の人選を見れば、EUは順調に前進しているようにも見えるが、懸念すべき面もある。政治にばかり注目が集まり、喫緊の政策課題が脇に追いやられていることだ。

最終結果は民主主義の勝利とは言い難い。選考プロセスは大国の意向を色濃く反映したものになった。欧州委員長にフォンデアライエン、ECB(欧州中央銀行)の次期総裁にはIMFのクリスティーヌ・ラガルド専務理事の起用が決まり、フランスとドイツはそれぞれ1ポストずつ確保した。

【参考記事】次期欧州委員長フォンデアライエン、トランプとの不穏な関係

だが選考プロセスは、EU内でさまざまな国がかつてなく発言権を強めている実態を浮き彫りにするものでもあった。

東欧諸国は影響力を強めている。ユンケル欧州委員長の後任にオランダの社会民主主義者ティメルマンス元外相を据えようとしたメルケルの案が挫折したのは、何よりも彼らの反対があったからだ。

選考プロセスはまた、党派的忠誠心の重要性を再認識させるものだった。2つのポストはいずれも中道右派が押さえた。IMF入りする前のラガルドは、いずれも中道右派のシラク、サルコジ両フランス大統領の下で閣僚を務めていた(そしてシラクやサルコジと同様、スキャンダルがらみで法的責任を問われた経験がある)。

国籍と党派は選考プロセスにおいて極めて重要だったが、対照的に具体的な政策はほとんど議論された形跡がない。そのためECBのトップ人事は、これまでとは異なるものになった。

ECBは域内に強力な政策遂行能力を持つEUで唯一に近い機関であり、その総裁は欧州で最も強い権力を持つ。その点では欧州委員長よりもはるかに重要なポストだ。世界レベルで見ても、最も重要な政策決定者の1人と言っていい。

中央銀行トップの新条件

ECBは、アメリカのFRB(連邦準備理事会)に次いで世界で2番目に影響力の大きい中央銀行だ。しかも、今年に入ってからユーロ圏の経済は極めて厳しい状況にある。それに対処するために、ECBは金融緩和による景気刺激策を強く求められている。



イタリアの財政状況も相変わらず深刻だ。昨年は、国家財政の危機と金融機関の経営危機の悪循環が起きる悪夢が再び頭をもたげてきた。この悪循環を断ち切れるのはECBだけだ。

このような重責を担うECBの総裁を選ぶ際は、金融政策の手腕と中央銀行の独立性を重んじるべきだと思うかもしれない。しかし、その原則が通用したのは、元FRB議長のベン・バーナンキのような学究肌の専門家が中央銀行トップを務めた時代の話だ。

弁護士から政界に転じたラガルドは経済学者ではなく、ましてや中央銀行での実務経験もない。昨年、やはり経済学者ではないジェローム・パウエルがFRB議長に就任したのに続き、ラガルドがECB総裁に指名されたことは、超一級の経済学者が中央銀行トップを務める時代が終わったことを意味している。

今回、政治家兼法律家がECBの総裁に選ばれたことに不満を抱くより、これを時代の変化を象徴するものと受け止めたほうがいい。完全に政治的な理由でラガルドが次期総裁に指名されたことは、EUの経済と政治が大きく変わりつつあるなかでECBの存在感が大きく高まったことを反映している。

一連のユーロ危機を通じて明らかになったように、政治と金融政策の境界線は常に変化し続けるものだ。現ECB総裁のマリオ・ドラギは金融政策に精通しているが、総裁として成功できたのはそれだけが理由ではない。卓越した外交手腕を持っていたこと、そして欧州通貨統合の深化という一大政治プロジェクトにのっとった行動を取ったことも大きかった。

ドラギは、1990年代にイタリアの経済財務省で総務局長を務めたときに欧州通貨統合を推進したことで知られている。このとき財政規律を重んじたことで、緊縮財政志向の強いドイツからも信用を得ていた。

これらの要素がなければ、2012年7月、ユーロを安定させるために「いかなる措置をも取る用意がある」と宣言することはできなかっただろう。2015年に思い切った量的緩和策を導入することもできなかったに違いない。

前任者の路線を継承?

ドラギは、ECB総裁に政治的なふてぶてしさが不可欠なことも実証した。この10年間で明らかになったように、ECBが中央銀行らしく国債市場を支え、加盟国がデフレに陥ることを防ごうとすれば、金融緩和に消極的で財政均衡を重んじるドイツや北欧・東欧諸国の不興を買う可能性が高い。

一方、こうした国々に受けのいい政策を採用すれば、ユーロ圏が崩壊する可能性が高い。ユーロ圏の安定が遅々として進まず、イタリアの債務問題が危険な状況にあるなかで、破滅的な危機が起きる可能性は無視できない。誰がECBの総裁になるかは、ヨーロッパだけでなく、世界の金融システムにも影響を及ぼすのだ。



中央銀行での実務経験がないラガルドは、ECBのほかの幹部たちに頼ることになる。特に大きな役割を担うのが、6月にチーフエコノミスト兼専務理事に就任したフィリップ・レーンだ。アイルランド中央銀行総裁から転身したレーンは、金融緩和に前向きとみられている。

ほかのECB理事の顔触れも大きな意味を持つ。とりわけ、ドラギの盟友だったブノワ・クーレ専務理事の後任が誰になるかは見過ごせない。

IMF時代のラガルドはイデオロギーの劇的な転換を推進し、IMFをかたくなな緊縮財政主義から脱却させた。ECBでも同様の辣腕を振るえれば、大胆な金融緩和を辞さなかったドラギの路線を継承できるだろう。

【参考記事】IMF最後の切り札はイケメンすぎるインド中銀元総裁。華麗なる転身なるか

危機への対処に関しては、ラガルドには既に実績がある。フランスの経済財務雇用相だった2008年に世界金融危機が起きるとその対応に尽力し、早い段階でヨーロッパ共通の対策が必要だと訴えた。しかしこのとき、その主張はドイツのメルケルに阻まれた。

もし将来、ユーロ圏で深刻な危機が再び持ち上がれば、ラガルドはECB総裁として、2008年より強力な権限で対策を推進できるだろう。もっとも、その権限を振るわずに済むのが一番なのだが。

From Foreign Policy Magazine

<2019年7月16日号掲載>


※7月16日号(7月9日発売)は、誰も知らない場所でひと味違う旅を楽しみたい――そんなあなたに贈る「とっておきの世界旅50選」特集。知られざるイタリアの名所から、エコで豪華なホテル、冒険の秘境旅、沈船ダイビング、NY書店めぐり、ゾウを愛でるツアー、おいしい市場マップまで。「外国人の東京パーフェクトガイド」も収録。



アダム・トゥーズ(コロンビア大学歴史学教授)

この記事の関連ニュース