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質問・批判をかわす「安倍話法」には4パターンある、その研究

ニューズウィーク日本版 2019年7月12日 11時0分

<「ご飯論法」「一・1で強調して否定」「YES・NOで答えない」「印象操作」――今こそ読んでおきたい『「安倍晋三」大研究』>

女性新聞記者とエリート官僚との対峙を描写した映画『新聞記者』が話題だ。誰もが知る政治事件(と似た話)が続々と登場するサスペンスドラマであり、ベースになっているのは東京新聞の望月衣塑子記者による同名書籍である。

その書籍も非常に興味深く読んだし、映画もぜひ見ておくべきだと感じる。が、同じように"いま、この時期だからこそ"読んでおきたいのが、望月氏が中心となって作られた『「安倍晋三」大研究』(望月衣塑子&特別取材班 著、KKベストセラーズ)だ。安倍晋三首相、そして安倍政権をさまざまな角度から解き明かした一冊である。

 なぜ、安倍政権はこうも長く続くのか、安倍首相とは一体、何者なのか。首相を支える日本社会の変質、政治やメディアの在りようについて、本書を手に取った読者の方々が様々な視点で、考える契機となることを願います。(「まえがき」より)

第1章では、特別取材班の佐々木芳郎氏による検証に基づき、安倍首相の誕生から第一次内閣辞任までの流れが漫画形式で紹介される。第2章では話法と歴史観から安倍首相を分析し、第3章では思想家・内田樹氏と望月氏が、「安倍晋三はなぜ"嘘"をつくのか?」について激論を交わす。

第1章の時点からぐいぐい引き込まれてしまうのだが、ここでは第2章「最強首相・安倍晋三を考える 〜安倍話法と安倍史観〜」の中からその「話法」に注目してみたい。

論点をずらす第1のテクニック

まず「安倍話法を考える①」として紹介されているのが、「『ご飯論法』で論点をずらす」である。ピンとくる方もいるだろう。この「ご飯論法」とは、安倍首相や彼に忖度する大臣、官僚たちが使う特徴的な話し方のことである。

法政大学キャリアデザイン学部の上西充子教授と、ブロガー/漫画評論家である紙屋高雪氏が発案し、命名したものだという。例えばこんなやりとりだ。

Q 「朝ごはんは食べなかったんですか?」A 「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っている)」Q 「何も食べなかったんですね?」A 「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので......」(上西充子教授のツイッター)(128〜129ページより)

確かにこれは、国会中継などで聞いたおぼえのある論法だ。「朝ごはんは食べなかったんですか?」と聞かれたとき、もしパンを食べていたのだとしたら、「はい、パンを食べました」というような答えになるはずだ。しかし、なにか都合の悪い事情があって「食べました」と答えたくない場合には、独特の理屈を展開することになってしまうということ。言うまでもなく、論点をずらそうとする心理が働くからだ。

だから「朝ごはんを食べたか」については答えず、「ご飯は食べていません」という不自然な返答になる。そうすれば、相手(国会審議の場合は、質問者や国民)に「そうか、朝ごはんを食べていなかったのか」と思わせることも可能になるからだ。



また上西教授は、これに続くやり取りも紹介している。

Q 「では、何か食べたんですか?」A 「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食を摂る、というのは健康のために大切であります」Q 「いや、一般論を伺っているんじゃないんです。あなたが昨日、朝ごはんを食べたかどうかが、問題なんですよ」A 「ですから......」(上西充子教授のツイッター)(129〜130ページより)

確かに安倍首相の国会答弁には、こうした話法を使ったものが多い。例えばその一例として、総裁選中の2018年9月17日、安倍首相がTBS『NEWS23』に出演したときのことが紹介されている。

キャスターの星浩氏から、加計孝太郎理事長とゴルフや会食を頻繁に重ねたことの是非を問われて、「ゴルフに偏見をもっておられると思います。今、オリンピックの種目になってますから。ゴルフがダメでですね、テニスはいいのか、将棋はいいのか、ということなんだろうと思いますよ」と持論を展開。(130〜131ページより)

「学生時代からの友人であっても利害関係者との飲食やゴルフなどの交流を持つこと自体を、慎むべきではないか」と追及されているにもかかわらず、「ゴルフはなぜ、いけないんだ」と、開き直って、質問の論点を曖昧にしているということだ。著者はそれを「見ごとなすり替え」と表現しているが、むしろ滑稽に感じてしまうのは私だけだろうか?

さらに安倍首相は、「はっきりと申し上げたいのは、利害関係者から一円の献金も受けていないわけですから。加計さんからもそうですし、獣医師会からも一円も献金を受けていません」と続けている。

「"一円も"献金を受けていない」と強く否定することで、視聴者に「もしや、質問者は間違った情報を首相にぶつけているのではないか?」という「印象」を植え付けつつ、安倍首相は「相手が利害関係者であっても、以前からの友人だから問題ない」という独自の論理を展開(披露)したのだと、著者は解き明かす。

だが、それ以前に「一円」という表現も実に大人げない。そして、それが「安倍話法を考える②」に紐づいていく。

根拠なき事実を強調しようとする傾向

「安倍話法を考える②」は、「『一』『1』で強調して否定する」こと。この話法については、2つの事例が引き合いに出されている。

 二〇〇七年参議院選挙の政見放送で、安倍首相は消えた年金問題について、「最後のお一人にいたるまで、記録をチェックして真面目に保険料を払ってこられた方々にしっかりと、年金を正しくお支払いしていくということです」と公約を掲げた。(132ページより)

 また、国民民主党(当時)の今井雅人議員から、「森友と加計、その他いろいろの問題をお伺いしたいと思いますが、(中略)ここまで来て、総理は、うみは出し切るとおっしゃっておられましたが、もううみは出しきられたというふうに思われますか」と問われた安倍首相は、「加計問題について言えば、まさにプロセスにおいてはこれは一点の曇りもなかったのは間違いないだろう、こう思うところでございますし、私から指示や依頼を受けた人は、これは前川次官も含めて、誰もいないということは明らかになっているというふうに考えるところでございます」(二〇一八年五月二八日 衆議院予算委員会)と返答。(132〜133ページより)



安倍首相が「一(いち)」や「1(ワン)」という数字を使うときは、根拠なき事実を強調しようとしている傾向が見られると著者は言う。安倍首相の「一」をどう受け止めるか、読者にも考えてもらいたいとも。

「一度も」あるいは「一回もない」というのは、非常に強い否定である。自分への疑いを晴らすには効果のある言い方だと著者は言うが、子供の言い訳に近いと個人的には感じる。事実、根拠もないのにはっきり否定してしまうのは幼児性の表れでもあろう。

二者択一の質問なのに、関係ないことをダラダラ話す

「安倍話法を考える③」は、「YES(はい)NO(いいえ)で答えない」。YESかNOか二者択一の質問に対しては、「YES(はい)」とも「NO(いいえ)」とも答弁しないということだ。

2017年5月8日、衆議院予算委員会で、民進党(当時)の長妻昭議員が「自民党憲法草案の主要な3点については、取り下げるのか?」と安倍首相に質問した。本来なら安倍首相は、肯定するか、否定するか、どちらかを選べばいいだけだ。

ところが安倍首相はここで、必要以上に長い答弁をしてみせたのである。少し長いが、引用したい。なぜなら、この中身のなさは必見だからである(著者自身、同書へにこの長い答弁を引用しているのは「現職総理大臣のありのままの姿を知ってほしいという思いがあるから」だと述べている)。

長妻委員 (略)自民党の例えば九条、自民党憲法草案の国防軍とか、あるいは公共の福祉という文言を全て公益及び公の秩序に変えるとか、あるいは憲法九十七条の基本的人権の尊重という条文をばっさり全部削除する、こういう自民党の憲法草案についても総理といろいろ議論しましたけれども、今申し上げた三つの観点についてはもう取り下げる、自民党憲法草案の今の主要な三点については取り下げる、こういう認識でよろしいんですか。

安倍内閣総理大臣 いま、繰り返しになるんですが、私は、ここは内閣総理大臣として立っており、いわば私が答弁する義務は、内閣総理大臣として義務を負っているわけでございます。自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてありますから、ぜひそれを熟読していただいてもいいんだろうと。これは自民党......(発言する者あり)済みません、ちょっと静かに。(中略)つまり、それはもうそこに、いわば党総裁としてはそこで述べていますから、ぜひ党総裁としての考え方はそこで知っていただきたい。ここで党総裁としての考え方をるる述べるべきではないというのが私の考え方でありますから、それはぜひそこでいわば自民党総裁としては知っていただきたく。あるいはまた、ビデオでそれは述べているわけでございます。(中略)結局、この長い長い答弁を止めたのは、浜田靖一委員長だった。浜田委員長 総理、済みません、簡潔に願います。しかし、安倍首相は諦めない。安倍内閣総理大臣 簡潔に申し上げますと、結果を出す上においては、まさに議論をしていく上においてだんだんこれが収れんしていくという中における一つの考え方として申し上げたところでございます。どうかその点を御理解いただきたい。こう思うところでございます。(二〇一七年五月八日 衆議院予算委員会より)(136〜138ページより)



「簡潔に申し上げます」どころか、まったく正反対である。「いよいよ結論を言うのか?」と期待させておいて、結局は意味のないことをダラダラ話し始めるのだから。

これを著者は、時間を使って相手を煙に巻く「ダラダラ話法」だと呼んでいるが、長い答弁で相手をうんざりさせるためには、なるほど効果的かもしれない。

「印象操作だ」「レッテル貼りだ」が視聴者に与える影響

そして「安倍話法を考える④」は、「『印象操作』は時間稼ぎのテクニック」である。

ご存じのとおり安倍首相は、国会で対立相手の野党や質問議員から森友・加計問題などを追及されると、「印象操作だ」「レッテル貼りだ」と興奮しながら批判を繰り返す傾向がある(そもそも、それは総理大臣にあるまじき態度なのだが)。しかし、こうした答弁そのものが、議員が質問した内容は「間違っている」という印象を植え付けようとしているのではないかと著者は言う。

首相のそんな発言をテレビで聞いた視聴者が、「ああ、○○議員の言っていることは、正しくないのだな」と思ってしまったとしても無理はないということだ。

 国際医療福祉大学の川上和久教授(政治心理学)は、「『印象操作だ』と言って正面から疑問に答えず、時間稼ぎをしながら野党を批判するという安倍首相のテクニックだ」(毎日新聞二〇一七年六月五日)と分析する。(139ページより)

相手が聞きたがっている核心部分について答えたくないから、議論や質問に無関係な答弁をしてはぐらかす。それが「安倍話法」のひとつだということだ。

なお、安倍首相が「印象操作」という言葉を多用し始めたのは、2017年2月のこと。森友学園問題をめぐる朝日新聞のスクープがあり、安倍首相や財務省の言葉の真偽に世間の注目が集まっていた時期だ。

この年、衆参両方の委員会で、安倍首相は計27回も「印象操作」という言葉を発しているのだという。よほど、それが自身を防御するために有効だと思ったのだろう。

著者もその点を突いているが、つまり安倍首相の答弁は、相手が知りたいことに誠実に答えようとするものではなく、「はぐらかすための答弁」だということだ。

◇ ◇ ◇

客観的な視点に基づいた緻密な分析がなされているため、本書にはとても読み応えがある。しかし、だからこそ読み終えると暗澹たる気持ちにならざるを得ない。言うまでもなく、その幼稚さに呆れるしかないからだ。


『「安倍晋三」大研究』
 望月衣塑子&特別取材班 著
 KKベストセラーズ


[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。


印南敦史(作家、書評家)

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