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「無差別殺人はなくならない」という常識に、戦いを挑む高校生たち

ニューズウィーク日本版 2019年7月23日 16時0分

<銃乱射事件の取材を続ける作家が、18年のパークランド銃乱射事件を生き延びた若者たちの行動に見た希望>

バレンタインデーの惨劇だった。昨年2月14日、米フロリダ州マイアミ郊外の町パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校に元在校生が侵入し、生徒と教職員17人を射殺した。犠牲者数では、アメリカの数多くの銃乱射事件でも十指に入る。

数時間後には、全米のメディアがのどかな町に押し寄せていた。ある意味、それはおなじみの光景だった。

当時ニューヨークにいたデイブ・カレンは、テレビ局の出演依頼でこの事件を知った。カレンは09年のベストセラー『コロンバイン 銃乱射事件の真実』(邦訳・河出書房新社)の著者。99年にコロラド州のコロンバイン高校で生徒2人が13人を射殺し、自殺した事件をテーマにした本だ。

おかげで彼は、いわば「大量殺人コメンテーター」として有名になり、正直なところ、銃乱射事件について語ることには、いささか疲れてもいた。

しかしカレンは、銃撃を生き延びた高校生デービッド・ホッグがテレビで語るのを見て「今度は違うぞ」と直感した。その日の晩はどこのテレビも、犯人ニコラス・クルーズの素性よりも決然とした若者たちの声を伝えていた。「銃を規制しろ、今すぐに!」と叫ぶ声だ。

数日後、カレンはフロリダに飛び、事件を契機に銃規制の運動を立ち上げた生徒たち(前出のホッグ、エマ・ゴンザレス、キャメロン・カスキー、ジャッキー・コリン)に会った。彼らはその後、わずか1カ月で首都ワシントンでの80万人集会「マーチ・フォー・アワ・ライブズ(私たちの命のための大行進)」を成功させた。

現地で密着取材したカレンは先頃『パークランド──行動の誕生』を出版した。10年前に出した『コロンバイン』では2人の銃撃犯(エリック・ハリスとディラン・クリーボールド)の素顔を克明に描いたが、今度の本には新しいメッセージを込めた。「前へ進もう」というメッセージだ。なぜ銃乱射が起きるのかを問うたのが『コロンバイン』なら、『パークランド』は二度と惨劇を繰り返さないためにはどうすればいいかを問い掛けている。

カレンはマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で銃撃を生き延びた若者たちを徹底的に取材し、観察した。そして彼らが恐怖と怒りをバネに全米規模の抗議行動を組織し、何カ月もかけて全米各地を回り、銃規制を訴え続ける姿を追った。

幼い頃から「校内で銃が乱射されたときの避難訓練」を受けて育った彼らだが、それを当然のことと受け止める大人の態度(著者カレンもそうだった)に反発し、「アメリカでは銃規制なんて不可能」という常識を打ち破ろうと立ち上がった。そして全米ライフル協会(NRA)と対決し、州知事や上院議員に抗議し、ライフル銃を構えて彼らを迎える銃所持擁護の活動家にも論戦を挑んだ。

カレンは本書で、大人が処理できない問題の解決を10代の若者たちに委ねるのは酷だと思い、大人の読者に行動を促している。そんな著者の真意を、本誌ニコール・ストーン・グッドカインドが聞いた。





『パークランド──行動の誕生』の著者デイブ・カレン JUSTIN BISHOP

――若者たちへの称賛の気持ちがよく伝わってくる。あの生徒たちは特別な存在なのか?

いろいろ考えてみた。優秀な子がたまたま集まっただけなのか? 確かに優秀だけれど、子供らしい純朴さもある。とにかく彼らには立ち上がる力が残されていた。大人の多くは始める前から諦めてしまうが、彼らはそうではなかった。引き下がらず、その場しのぎの答えを受け入れない。大人の中には目が覚めて、彼らに感謝する者もいるだろう。事件から24時間もたたないうちに、デービッド・ホッグは犯人よりも注目されていた。銃乱射事件がそんな展開を見せたのは初めてだ。

――コロンバインからパークランドまでの間に200件以上の同様の事件が起きた。パークランドに特に注目した理由は?

テレビで見たデービッドにクギ付けになった。私は事件翌日の生存者を20年間見てきたが、彼の反応は違っていた。私はすぐに電話し、簡単なインタビューをした。彼はスピーカーフォンにして仲間とも話させてくれた。するとジャッキー(・コリン)が「バスで(フロリダの州都)タラハシーに行く計画なの」と言う。「タラハシー? ワシントンじゃないんだ」と私。これからワシントンで行進すると聞いていたからだ。しかしタラハシーでも政治家に訴えるという。私は翌日、フロリダ行きの飛行機に飛び乗った。

この若者たちは突然、スポットライトを浴び、あれこれ詮索されるようになった。コロンバイン事件でもFBIは当初、若者2人だけの犯行ではなく共謀者がいると疑っていた。そして今回の場合は、「自分たちだけで(銃規制を求める)行動を思い付くわけがない。彼らを操っている黒幕は?」という声が出た。私にも「誰が裏で糸を引いているのか調べてほしい」というコメントが寄せられた。

――彼らの特徴は?

カメラに慣れていることだ。スナップチャットやインスタグラムを使いこなして、子供時代からコンテンツを作ってアップしている。

――コロンバイン事件はソーシャルメディアが存在しない時代に起きた。パークランドではどんな役割を果たした?

銃撃中、生徒は携帯電話で友達と情報交換していた。今の子供は短時間で多数の相手とメッセージをやりとりし、チャットする。そして事件が終わって帰宅するとソーシャルメディアだ。この違いは大きかった。ソーシャルメディアは思いがけない役割をした。生徒たちの「私たちは何をすればいいのか?」という気持ちを一つにして、行動に移させたのだ。

過去の例では事件について語り合うのは2〜3人のグループだった。今では何百人とつながり、リツイートするから同じ思いが拡散する。事件の晩、彼らはある考えを共有しながら眠りに就いた。なぜ同じ事件が繰り返されるのか、なぜ大人は手を打たないのか、と。





高校生たちの戦いの日々を克明に記録した『パークランド』 NO CREDIT

――あの高校生たちは恐怖よりも「怒り」を抱いていた、と著書にはあるが。

彼らが行動を起こせた背景には、あの事件が何時間も続いたという事実がある。大半の乱射事件は発生から10〜15分で終わり、巻き込まれた人々は逃げることに必死で、怒りの感情が生まれる余裕はない。

しかしパークランドの高校生は、(銃撃が終わってからも)校内に閉じ込められていた。もはや「どうやって助かるか」の問題ではなかった。それよりも「どうしてこんなことになってしまったのか」と考える余裕があった。

あの晩、テレビでデービッドを見た私は衝撃を受けた。彼は「事件に遭ったばかりの被害者」のステレオタイプとは違っていた。

――著書では、生徒たちがNRAと戦おうと決意するまでの経緯にも触れている。

州都タラハシーへの旅は彼らにとって驚きの連続だった。旅の目的は、新たな乱射事件の被害者である自分たちが地元の政治家に面会し、銃規制の運動に弾みをつけることにあった。

でもタラハシーでジャッキーは気付いた。政治家は、目の前で少女が号泣しても動じない冷血なモンスターではなかった。ただし何かもっとずっと恐ろしいものが、政治家の行動を縛っていた。それがNRAの政治力に対する恐怖だ。

――『コロンバイン』には、銃撃犯を偶像化する高校生がけっこういるとの記述があるが。

今もそうだ。彼らは「コロンバイン・トゥルー・クライム・コミュニティー」を名乗り、今も活動している。

パークランドの銃撃事件の前、私は毎週30〜50人のこうした人々をソーシャルメディアでブロックしていた。彼らは大きな乱射事件があると1〜2週間は鳴りを潜めるが、やがて戻ってくる。でもパークランド後は戻ってこなかった。

――この国で将来、銃規制が実現する望みはあるか?

過去20年間、私はもっぱらアメリカで銃規制が不可能な理由を説明してきた。

だからフロリダに行って、私がずっと言い続けてきたことを「くだらない」と一蹴する若者に出会ったのは新鮮だった。それで思った。自分は降参するのを急ぎ過ぎたのかと。

その点こそ、彼らの運動が訴えていることだ。おまえたち大人はさっさと諦めた。くそ食らえ。邪魔するな。僕らにチャレンジさせろ、とね。

――銃の乱射をなくすにはどうしたらいいのか。

考えられる方法は3つある。まずは銃規制。2つ目はメディアが殺人者のイメージを低下させること──間違っても彼らのエゴを満足させ、彼らを英雄視するような機運を醸成してはならない。

そして3つ目は10代の若者の鬱病検査だ。年に1回か2回、ホームルームの時間に検査を行ってはどうだろうか。検査表は紙1枚で、「悲しくなる日は週に何日あるか」といった質問が10個ほどあればいい。これなら結果の集計も簡単で、どこの学校でもたいした費用をかけずに行えるはずだ。

これくらいは誰でもできる。私たちがコロンバインから学んだ教訓は、多くの場合、銃で人を襲うのは、自殺したくなるほど気分が落ち込んでいる者だという事実だ。

<本誌2019年2月26日号掲載>


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ニコール・ストーン・グッドカインド

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