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志願兵制と徴兵制はどちらが「自由」なのか?──日本における徴兵制(3)

ニューズウィーク日本版 2019年7月25日 11時45分

<志願兵制にすると、食い詰めた没落士族が喜んで志願し、旧武士階級が再び威張りちらし始めかねない......。こんな議論が明治時代にあったことを、尾原宏之・甲南大学准教授が論じる。論壇誌「アステイオン」90号は「国家の再定義――立憲制130年」特集。同特集の論考「『兵制論』の歴史体験」を4回に分けて全文転載する>

※第1回:徴兵制:変わる韓国、復活するフランス、議論する日本──日本における徴兵制(1)
※第2回:明治時代の日本では9割近くが兵役を免れた──日本における徴兵制(2)

「自由」の代償

民権派と呼ばれた人々の兵制論は、立志社建白のように参政権と兵役義務との関係に着目したものばかりではない。「自由民権」という言葉の、その「自由」にこだわる議論もあった。現役兵として徴集され三年間フルタイムの兵になれば、個々人の自由は著しく制限されることになる。そんな強制的徴兵制は一刻も早く廃止し、本人が自発的意志で軍務につく志願兵制を導入すべきである、という意見も非常に有力であった。

今日の「自由」という言葉の感覚からすれば、徴兵制を「良制」とする立志社建白よりも、こちらの主張のほうが多くの共感を集めるだろう。自分の行動を束縛されることをなによりも嫌う人々から見れば、政府が専制的であろうが民主的であろうが、徴兵制は悪制に決まっている。

たとえば、民権派色の強い新聞である『東京曙新聞』は、明治一二年の夏、社説「自由兵制」を五回にわたって掲載し、徴兵制を「強迫兵制」と呼び、「私人ノ自由権ヲ犯スノ所業」と強く批判した。それに代わるべきなのが「自由兵制」すなわち本人の自由意志に基づく志願兵制である。個人の自由を重視するタイプの民権思想家が志願兵論を唱える傾向はたしかにあり、著名な例でいえば植木枝盛もこれに該当する。

ただし、民権派にはそう簡単に志願兵論を押し出すことができない事情があった。個人の自由権を守るための志願兵制が、逆に自分たちの首を締め上げるかもしれなかったからである。

志願兵軍隊に入ろうとするのは、おもに旧社会の支配者から転落したばかりの士族である。食い詰めた貧乏士族ほど、狂喜乱舞して志願するはずだ。それは、横柄で、乱暴で、古臭い身分意識が染みついた武士階級が再び勢力を得ることを意味する。要するに〈逆コース〉である。彼らは自由と平等を唱える生意気な民権活動家を大喜びで抑圧するに違いない。最も恐ろしいのは、薩長藩閥政府がみずからの手の内の者を軍隊に招き入れ、私兵とすることである。結果として志願兵制は、藩閥の強大化につながることになってしまう。

民権派の葛藤

この民権派の葛藤を示す興味深い討論会の記録が、民権結社国友会の雑誌『国友雑誌』(第五五号・五六号、明治一五年)に掲載されている。最初の発話者は、『朝野新聞』編集長として知られ、自由党の創設にも参画した末広重恭(鉄腸)である。

末広は、過去に徴兵制を非難して義勇軍(志願兵制)導入を唱えたが、この討論会でその説を撤回した。熟考の結果、志願兵制には恐ろしい「害毒」があることが判明したからである。それはまさに、志願兵軍隊が貧乏士族に専有されて「封建ノ死灰」に再び火がついてしまう危険性、そして、すでに軍の将官と士官を寡占している薩長藩閥の下に薩長出身兵が集められる危険性であった。



これに対し、大正期にいたるまで政党政治を牽引した人物である大石正巳は、専制政治の下では徴兵制であろうと志願兵制であろうと権力者による武力濫用の危険性は回避できないと反論した。それよりも、若者が強烈な下剤を飲み、自分の身体を傷つけてまで兵役を忌避している問題を直視すべきである。のちにアメリカで客死する思想家の馬場辰猪(たつい)も、志願兵制こそが「自然即チ自由ニ任カスルノ幸福利益」をもたらす兵制だと訴えた。

立憲改進党創設者のひとりであり、民権派を代表する思想家でもある小野梓も、この問題に無関心ではいられなかった。その主著『国憲汎論』(下巻、明治一八年)のなかで、小野は一、士族兵制、二、志願兵制、三、免役制度つきの徴兵制、そして四、国民皆兵制の四つの兵制を比較し、国民皆兵制がベストであるとの結論を下した。士族兵制や志願兵制は特定の人々が軍事を独占し、利害を異にする一般人を迫害するおそれがある。そればかりか、彼らは武力を背景に権力をほしいままにするかもしれない。

また、コストもかかる。兵を勧誘するために手厚い給与や年金を用意せねばならないからである。それに、好んで軍隊に入ろうとする人間は無頼漢か「無能の痴漢」に決まっている(と小野は考える)。軍紀は守られず、軍事技術の習得もむずかしいので、きわめて質の低い軍隊ができあがる。

三番目の免役制度つきの徴兵制は明治初期日本の徴兵制も該当するが、富者や知能ある者は容易に免役となるので、これまた軍隊は「貧者痴漢の藪淵(そうえん)」と化すことになる。

結局、国民皆兵制しか残らない。これはプロイセン型の一般兵役制のことである。国民皆兵制は、兵役義務に基づいて施行されるので給与や年金を支払う必要がなく、コストがかからない。さらに、ほとんどの成年男子に兵役を課すので、いざ有事になった時に大量の兵員を確保できる。なにより、兵は服役期間や有事以外は市井の人として生活するので、国民と敵対する懸念がない。



小野は、国民皆兵制は強制的服役をともなうので個々人の自由を侵害する制度だと誤解されているが、事実は逆だと訴える。国民皆兵制は、特定の人々が軍事力を掌握し、一般国民が奴隷状態に置かれかねないほかの制度より、はるかに「自由」を増進する制度なのである。つまり小野は、徴兵制の強化によって国民全体の自由を軍から守ることができると信じていた。

これが楽観的な展望であったことは、その後の歴史を見れば明らかであろう。大石正巳のような、専制政府の下では志願兵制だろうと徴兵制だろうと武力濫用の危険性は変わらないという見方のほうが、正しかったように思われる。だとするならば、兵制が政治のありかたを左右するのではなく、政治のありかたが兵制を左右すると考えたほうがよさそうである。

ただし、小野は国民皆兵制にも問題があると考えた。兵役によって、青年が将来に向けた準備をする大切な年月が失われることである。小野は、服役期間を短縮するために小学校の体操に「操銃」教育を導入することを主張した。兵式体操は、のちの悪名高い学校教練の祖型として知られるが、明治期の兵式体操導入論は、多くの場合現役兵の負担軽減策として提案されている。学校で基礎的な軍事教育を行っておけば、実際に入営して訓練する時間を省略でき、結果として早く帰郷できると考えられるからである。一八七九年、徴兵令改正に関する元老院会議で提起されたが実現しなかった兵式体操導入案も、第一の目的は服役期間短縮であった。

※第4回:福澤諭吉も中江兆民も徴兵制の不公平に注目した──日本における徴兵制(4)

尾原宏之(Hiroyuki Ohara)
1973年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科単位取得退学。博士(政治学)。NHK、首都大学東京助教などを経て、現職。専門は日本政治思想史。著書に『大正大震災』『娯楽番組を創った男』(ともに白水社)、『軍事と公論』(慶應義塾大学出版会)など。

当記事は「アステイオン90」からの転載記事です。



『アステイオン90』
 特集「国家の再定義――立憲制130年」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス



尾原宏之(甲南大学法学部准教授) ※アステイオン90より転載

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