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50年前の今日地球帰還、アポロ11号の知られざる危機が今になって明らかに

ニューズウィーク日本版 2019年7月24日 18時0分

<宇宙飛行士の命を奪ったかもしれない危険が隠れていたという事実は、アポロ11号のミッションから50年近く経ってから明らかになった>

アポロ11号の宇宙飛行士が地球に帰還したのは、50年前の1969年7月24日。日本時間では25日午前1時50分35秒にあたる。歴史上初めて、月を探査し地質サンプルを持って帰還するニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ、3人の宇宙飛行士を全米が待ちわびた日だ。

3人の搭乗したアポロ11号の司令船(コマンドモジュール:CM)は、太平洋上に無事に着水した。その29分前、帰還の旅路を共にした機械船(サービスモジュール:SM)が分離され、大気圏再突入の衝撃でバラバラになって燃え尽きている。CMとSMの再突入は、待機していたNASAの航空機によって撮影され、美しい画像として記憶に残されている。

50年経って明らかになったアポロ11号の危機

だが、美しい画像の背後に、宇宙飛行士の命を奪ったかもしれない危険が隠れていたという事実は、アポロ11号のミッションから50年近く経ってから明らかになった。サイエンスジャーナリストのナンシー・アトキンソン氏の新著『Eight Years to the Moon: The History of the Apollo Missions』には、この画像を重大なインシデントとして捉えていた当時のNASAのエンジニアの証言が記されている。

Nancy Atkinson『Eight Years to the Moon: The History of the Apollo Missions』

地上への帰還後、テキサス州ヒューストンのNASA 有人宇宙機センター(現:ジョンソン宇宙センター)で開かれたミッション報告会の席上で、「サービスモジュールを見たか?」との質問にマイケル・コリンズ宇宙飛行士は「見た。私たちの近くを飛んでいった」と答えた。バズ・オルドリン宇宙飛行士も続けて「私たちの近くを飛んでいった。右側の少し上を、前方に向かって飛んでいった。回転していた。始めは4番ウインドウから見えて、そのあと2番ウインドウで見えた。本当に回転していた」と詳細を説明している。

2人の宇宙飛行士の証言に、報告会は騒然となった。直ちに公式の調査が始まり、レーダーの記録と航空機から撮影された画像など資料の見直しが行われた。

エンジニアたちを驚愕させた理由は、サービスモジュールを宇宙飛行士が肉眼で目撃するようなことはあってはならなかった、という点にある。コマンドモジュールと分離した後のサービスモジュールは、スラスター(小型エンジン)を噴射して軌道を変え、もっと後から大気圏に再突入するはずだったからだ。

万が一、再突入時にバラバラになったサービスモジュールの一部でもコマンドモジュールの軌道と交錯し、接触するようなことがあれば、時速4万キロメートルでの衝突となる。大事故は避けられず、3人の宇宙飛行士の帰還は危うい。宇宙飛行士がコマンドモジュールからサービスモジュールを目撃したということは、同じタイミングで接触の可能性があるほど近くを飛んでいたということを意味する。記録の調査により、「2つの機体は、同じ再突入コリドーを通過していた」と結論づけられた。

アポロ11号大気圏再突入後の画像。Image Credit: NASA

分離前のコマンドモジュール、サービスモジュールの構成図。図右側の機体の点線から下がサービスモジュール部分。Image Credit: NASA History Office



ケネディ宇宙センターでのアポロ11号、コマンド・サービスモジュール。Image Credit: NASA

オライオン宇宙船のサービスモジュール。ESA(欧州宇宙機関)が開発を担当している。Image Credit: NASA/ESA

問題が改修されたのはアポロ13号になってから

当時、NASAの電子システムおよび安全担当エンジニアだったゲーリー・ジョンソン氏は、Eight Years to the Moonの中でこれが「ジェットソン・コントローラー(SMJC)」と呼ばれる、コマンドモジュールとサービスモジュールの分離を制御する機器の動作問題だと説明している。

「ジェットソン・コントローラーは4つのスラスター(RCS)を機体後部のマイナスX面方向へを噴射する。2秒後に4つのロール制御用RCSが噴射を開始し、5.5秒間のスピン安定マヌーバを行うことになっていた。この動作で、サービスモジュールに残っていた推進剤を使い切ることになる」

しかし、データから一連のシーケンスを分析した結果、分離後に残っている推進剤が非常に少ないといった場合に、軌道変更が計画通り行われず、サービスモジュールの一部がコマンドモジュールに接触する可能性があることがわかった。マイスX面方向のRCSが25秒間噴射し、ロール制御RCSが2秒間噴射する設定に変更すれば、サービスモジュールは適切な軌道に入り、衝突を防ぐことができる。ジョンソン氏はただちに設計を見直したが、アポロ12号の打ち上げが迫っていた。12号に設計の改良を反映することはできず、実際に改修されたのはアポロ13号になってからだった。

恐ろしいことに、衝突を招くRCS動作の問題は、アポロ8号、10号でも同じようにあった。ただ、8号、10号では宇宙飛行士がサービスモジュールを目撃するという「問題に気がつくきっかけ」がなかっただけなのだ。アポロ8号から12号まで、12人の宇宙飛行士が地球を目前にして帰還できないリスクを抱えたまま飛行していたことになる。

ミッション後間もなく機密事項に

このインシデントに関する報告は、アポロ11号のミッション後間もなく機密事項に分類され、1970年11月まで公の報告書に記載されなかった。公開まで時間が経ってしまったことで、アポロ11号のエピソードとして注目されなかったのだろうとジョンソン氏はいう。

「2016年になって、古いアポロ時代のファイルを見直していたところ、問題の報告書を見つけた」というジョンソン氏は、2017年にNASAの新型宇宙船「オライオン」のサービスモジュール開発エンジニアにこの件を教えた。オライオンの開発チームは、設計の段階では分離後のサービスモジュールに、スラスター噴射による機体の制御が必要だという具体的な要求項目はなかった話したという。分離後のサービスモジュールがコマンドモジュールに接触する危険を指摘した文書もなかったため、オライオン開発チームは、ジョンソン氏の知見を機体設計に取り入れることになった。

「失敗から学んだ知見は、自由に利用し共有できるようにするべきだ」というジョンソン氏の報告は50年を経て宇宙工学の専門誌に掲載され、オンラインで誰でも読めるようになっている。








秋山文野

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