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香港デモの行方は天安門事件より不吉、ウイグル化が懸念され始めた

ニューズウィーク日本版 2019年8月5日 17時35分

<暴力的なエスノナショナリズムの激化で、軍事介入よりも、新疆ウイグル自治区やチベット自治区に対する強硬政策が及ぶ可能性が指摘されている>

ニュージーランドのオークランド大学構内で、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案への抗議活動に参加していた香港出身の女子留学生が中国大陸部出身の男性に押し倒された──7月29日、そんな事件が報じられた。

大した出来事には思えないかもしれない。しかしこれは香港で続く抗議デモを、中国政府が民族間対立に変貌させていることを示す憂慮すべき兆候だ。

香港は制御不能状態だ。前代未聞の大規模デモと抗議行動、激化する市民的不服従が約2カ月にわたって続き、終息の兆しは見えない。市民と警察の信頼関係はほぼ完全に崩壊している。

香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、逃亡犯条例改正案の撤廃や普通選挙の実現など、デモ隊が掲げる5つの要求に正面から向き合わず、政治的逃避に走っている。公の場に現れる頻度は激減し、姿を見せても大抵は形式ばった記者会見を行うだけ。7月25日には、香港にある中国人民解放軍駐屯地を訪れ、青少年軍事サマーキャンプの卒業式に出席した。

民主化を求める香港の民衆の蜂起を鎮圧すべく、中国共産党が人民解放軍に命令を下す日は来るのか。抗議活動が始まって以来、デモ隊側と識者はそろってこの問いを口にしてきた。

中国国務院香港・マカオ事務弁公室の報道官が7月29日に行った記者会見では、軍事的介入が差し迫ることを裏付ける発言はないに等しかった。報道官が語ったのは「香港の政府と警察を断固として支持し、暴力的で過激と見なされるデモ参加者を強く非難し、『一国二制度』を再確認する」という言葉だ。

経済制裁や国際的孤立という脅威を考えれば、中国が香港で「第2の天安門事件」を引き起こすことはないだろう。だが事態は既に、はるかに不吉なものにエスカレートしつつある。

数多くの証拠が示すとおり、香港情勢を受けて、中国共産党がエスノナショナリズム(国家と民族を同一視するナショナリズム)的暴力という悪魔を解き放ったことは明らかだ。香港市民は反抗的少数派との位置付けが強まっており、新疆ウイグル自治区やチベット自治区に対する強硬政策が香港にも及ぶ可能性がある。

7月21日の大規模デモでは、中国政府の出先機関の入り口に掲げられた国章が黒ペンキで汚される事件が起きた。これは非常に挑発的で、極めて象徴的な市民的不服従の表れだ。政治的レベルでは、この行動は自己決定権の追求を再主張するものと解釈できるだろう。一方で心理的レベルでは、香港市民に服従を強制することはできないという中国政府への宣言だった。

この「聖像破壊」行為が何を意味するか、中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は見逃さなかった。



国家主席に加えて、中国共産党中央委員会総書記と中央軍事委員会主席の座にある習の権力は相当なものであり、権力を行使する気で満々だ。「中華民族の偉大な復興」というスローガンの根底にある習の信条とは、欧米による世界秩序に反発する急進的な修正主義と国内外での拡張主義。その野望の実現には周縁地域の平定が不可欠であり、その実現のためなら、ほとんどどんな代償も惜しまない。

国章が汚された一件を国営メディアで大きく取り上げることにより、中国政府は意図的に本土の市民のナショナリスト的情熱をかき立て、国家の仮想敵に対して行動に出る許可を与えている。この手の政治戦・心理戦は通常の軍事弾圧をも上回る悲劇につながる可能性がある。香港市民と本土市民の関係に、今後数世代にわたる悪影響を及ぼしかねないからだ。

限定的衝突が大騒乱に?

習の「劇薬」が早々にもたらした苦い現実の1つが、オーストラリアの駐ブリスベン中国総領事の発言だ。同市にあるクイーンズランド大学で香港支持の平和的デモが行われた際、参加者ともみ合った中国大陸部出身の留学生らに対して、総領事は称賛を口にした。

エスノナショナリズム的感情は既に、中国西部の周縁地域ですさまじい規模に拡大している。09年、広東省の工場で起きた漢民族とウイグル人の衝突は新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに飛び火し、死者197人(当局発表)に上るウイグル騒乱に発展した。この事件の後、中国共産党は強制的な民族・文化・宗教同化政策の開始を決定。チベット人とウイグル人がその犠牲になっている。

中国共産党の人道に対する罪は今や国際的に有名だ。新疆ウイグル自治区ではウイグル人などの少数民族150万人以上が、「職業訓練センター」と称される強制収容所に拘束されている。

自国のソフトパワーや国際的評判を犠牲にすることもいとわずに強制収容を実行する中国共産党の姿勢を考えれば、香港市民のアイデンティティーを破壊すべく、将来的に同様の強硬手段に出ることも想定不可能ではない。とはいえ香港の現状と09年のウイグル騒乱には大きな違いがある。

東アジアの金融ハブとしての国際的重要度のおかげで、香港の市民が国際社会で持つ存在感はウイグル人に比べてはるかに大きく、外国で学んだり働いたりしている香港出身の若者も数多い。今回の対立は地域の枠を超えて、世界各地へ遠からず拡大するはずだ。

この予測が正しければ、香港や中国大陸部、あるいはその他の場所で起こる限定的な民族間のいさかいも、ウイグル騒乱と同様の激烈な暴力を引き起こしかねないということになる。これこそ、誰もが懸念すべきシナリオだ。

From Foreign Policy Magazine

<2019年8月13&20日号掲載>

【参考記事】香港は最後の砦――「世界二制度」への危機
【参考記事】ウイグル人活動家の母親を「人質」に取る、中国の卑劣な懐柔作戦


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アンドレアス・フルダ(英ノッティンガム大学社会科学助教)

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