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「ポスト平成」におけるフランチャイズ化の行方

ニューズウィーク日本版 2019年8月8日 14時0分

<この30年、地方や地域の存在感が強まり、地域ごとの価値が認められるようになる「フランチャイズ化」が進んだが、東京独り勝ちの30年でもあった。それには少子高齢化と、もう1つ、理由があった>

元号の変わり目だけに、時代としての「平成」を振り返る動きが盛んである。人々の行動や社会のあり方が元号で変わるわけではないから、「平成とはどんな時代だったのか」といった問いかけには、あまり意味があるようには思われない。しかし、一九八九年に始まって三〇年余りという期間は、物事が変化し、それを人々が認識するようになるには好適であった。三〇年を一つの世代や時代として把握することは、政治学などでもごく一般的である。

このことは、昭和と対比すれば明らかであろう。六〇年以上の期間があり、そこに第二次世界大戦や高度経済成長といった大きな環境変化が複数含まれていたために、昭和以前と昭和を対比させるのは容易ではなかった。端的には、大正時代に既に大人であった人は明治生まれ、昭和が終わるときには最も若くても八〇代半ばで、多くは鬼籍に入っていたであろう。大正と昭和の違いについて実感を持って語れる人は少なく、しかも昭和は長かったために内部での違いも大きかったのである。

したがって、「平成」というよりも「過去三〇年」というべきではあるが、意味のある年数であることは間違いなく、その間に大きく変化したと実感されていることは多い。経済活動のグローバル化や情報通信技術の革新はその代表例である。

日本国内に目を向けると、地方や地域の存在感が強まるとともに、地域ごとの違いが正の価値として認められるようになったことも一例として指摘できる。ここではそれを「フランチャイズ化」と呼んでおこう。

一九七〇年代末頃から「地方の時代」という言葉が唱えられるようになり、八〇年代後半のバブル景気に乗った部分はあるにしても、フランチャイズ化は過去三〇年の顕著な動きであった。

たとえば、九三年に発足したプロサッカーのJリーグは、各チームの地域密着を理念に掲げ、チーム名に企業名ではなく本拠地名を入れることを求めた。まさにフランチャイズの具現化である。このような動きは他のスポーツにも波及した。プロ野球の場合、平成が始まる前年の八八年には、チーム名に本拠地名が明示されているのは広島(東洋)と横浜(大洋)のみだったが、二〇一九年には東京(ヤクルト)・北海道(日本ハム)・東北(楽天)・埼玉(西武)・千葉(ロッテ)・福岡(ソフトバンク)が加わり多数派になっている。それと並行して、球団経営における地元観客動員の意味は強まり、テレビで全国中継される巨人とそれ以外、という構図は完全に崩れた。

エンターテインメントの世界では、いわゆるローカルアイドルとかご当地アイドルと呼ばれるタレントの台頭が著しい。AKB48が各地に姉妹グループを持つことは有名だが、それ以外にも各地におびただしい数の、その地域のみで活動し、ほぼ知名度もその範囲に限られるグループが存在するという。



政治の世界に目を転じれば、地方政治の自律性の強まりや地域政党の出現は、過去三〇年の最も注目すべき変化であった。この動きは、まず九〇年代に既成政党の支持や支援を受けない無党派首長の登場として顕在化した。東京都知事に青島幸男、大阪府知事に横山ノックが当選したのは、九五年のことであった。既成政党を否定するところに重点があった無党派首長は、次には既成政党へのオルタナティヴを目指す地域政党に立脚した首長へと代わっていく。二〇〇八年に橋下徹が大阪府知事になり、その後に大阪維新の会を結成したのは、その代表例である。

制度的には、中央政府と地方自治体の関係を変化させる地方分権改革がなされたことも、このような変化を後押しする効果を持ったであろう。地方分権改革は、九三年の衆参両院による「地方分権の推進に関する決議」を起点とすることが多く、平成期における政治改革の重要な一要素であった。今日に至るまで不十分であるという批判は受け続けているが、地方自治体への権限や財源の移譲は広範に進められ、自治体ごとの政策の差異も拡大傾向にある。

かくして、過去三〇年の間にフランチャイズ化の傾向は明確になり、中央集権化や社会的画一化こそが望ましいという価値観は、現在の日本にはほとんど存在しなくなった。明治の廃藩置県から少なくとも高度経済成長期まで、一〇〇年以上にわたり追いつき型近代化を国家的目標に定め、そのための最も効率的な方法として集権化と画一化を追求してきたことを考えれば、この変化は一般に思われているよりも遥かに劇的である。

しかし、ここまで述べてきたような動きが、価値観としてではなく実体的な面で地方や地域の活力を生み出しているかといわれれば、疑問を抱かざるをえない。フランチャイズ化の三〇年は、東京独り勝ちの三〇年でもあったように思われる。確かに、名古屋圏や大阪圏などには経済が好調な時期があるが、それでも東京圏との差は拡大する一方である。それ以外の地域となると、事情はいっそう芳しくない。

そうなったのはなぜだろうか。社会における価値観の変化と政治行政による政策的な後押しが行われているのに、東京圏を筆頭とする大都市圏以外の地域は全般的に活力を低下させている理由としては、大きく二つのことが考えられよう。

一つは、少子高齢化の影響である。東京圏への人口流入は、基本的には若者をはじめとする生産年齢人口の流入であり、これが地方の活力を奪う。東京都に神奈川県・千葉県・埼玉県を加えたエリアは、出生率で見る限りは少子化が他の地域より顕著なのだが、人口流入によってそれを補っている。とりもなおさず、それは東京圏以外で育った若者が移り住み、地方には高齢者のみが残されるということである。

価値観としてのフランチャイズ化にもかかわらず、とくに非大都市圏には雇用や高等教育の機会が十分にない。少なくない若者が、地方に住み続けたくともできないのが実情なのである。現在、地方創生の名の下に、大都市圏の大学の定員管理厳格化などが行われているが、たとえば「行きたい学部がない」といった状況が解決するわけではないので、その効果は限定的に止まらざるを得ない。

もう一つには、社会経済の活動単位と政治行政の活動単位が整合しないために政策が打ちづらい、あるいは政策の効果が表れにくいという問題、すなわち圏域問題が発生していることが指摘できよう。



政治面での地域政党の出現にせよ、行財政面での地方分権改革にせよ、その対象となったのは基本的に既存の都道府県や市町村であった。政策についても同様である。しかし、大都市圏においては都道府県の境界を超えた社会経済活動(たとえば、兵庫県に住みながら大阪府に通勤する)が珍しくなく、非大都市圏でも市町村の境界を超えることはごく一般的である。むしろ近年では、財政事情などから公立病院の広域利用化などが図られることも多く見られるようになっている。

社会経済の活動を政治行政の単位に押し込めることが全く現実的ではない以上、圏域問題を解決しようとすれば、政治行政の活動単位と政策の対象を広域化するか、あるいは活動ごと、政策ごとに単位を異ならせるしかない。

広域化の代表例が合併であり、市町村については既に試みられたが、成功であったという確信を抱く人は少ないようだ。都道府県の合併となると抵抗はいっそう大きく、実現は困難だといわざるをえない。

さしあたっての対応としては、政治行政の活動や政策対象の単位の柔軟化ということになるのだろう。柔軟化とは、都道府県や市町村といった単位にほぼすべての行政の活動や政策の対象を固定的に揃えてしまうのではなく、たとえば産業立地は近隣の複数の市町村が合同で推進する、人口の増加策は複数の府県が共同で企画する、といった動きを指す。

社会経済の活動ごとに成立している圏域について、それぞれに見合った政治的意思決定や行政活動の単位を柔軟に作り出せるかどうかが鍵を握る。

このような動きは、たとえば近畿圏の府県による「関西広域連合」など萌芽的には存在しているが、まだ実効性のある政策を打ち出すには至っていない。ゴミ処理について複数の市町村が作る「一部事務組合」のような古くからの手法もあるが、狭い範囲の行政事務に止まっている。

現状では柔軟化に二の足を踏む地方自治体が多いことを踏まえて、それを乗り越える理論的根拠や誘因を設定できるか。少子高齢化の悪影響をすべてはね返すのは難しいであろうが、将来展望に乏しい従来型の公共事業や場当たり的な政策を打つよりも、考える価値はあるように思われる。圏域問題にいかに取り組むかは、ポスト平成の時代における重要な政策課題である。

【参考記事】学術言語としての日本語
【参考記事】京都市の大胆な実験

待鳥聡史(Satoshi Machidori)
1971年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士課程退学。博士(法学)。大阪大学大学院法学研究科助教授、京都大学大学院法学研究科助教授を経て、現職。専門は比較政治・アメリカ政治。著書に『財政再建と民主主義』(有斐閣)、『首相政治の制度分析』(千倉書房、サントリー学芸賞)など。

当記事は「アステイオン90」からの転載記事です。



『アステイオン90』
 特集「国家の再定義――立憲制130年」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス



待鳥聡史(京都大学大学院法学研究科教授) ※アステイオン90より転載

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