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日本人が知らない監視社会のプラス面──『幸福な監視国家・中国』著者に聞く

ニューズウィーク日本版 2019年8月19日 16時25分

<中国の監視社会化に関するネガティブな報道が相次いでいるが、「ミスリード」であり「誤解」だと、梶谷懐と高口康太は言う。「幸福な監視国家」は「中国だけの話ではなく、私たちの未来」とは、一体どういう意味か>

100万人超を収容していると伝えられる新疆ウイグル自治区の再教育キャンプ、街中に張り巡らされた監視カメラ網、政府批判の書き込みが消され風刺漫画家が逮捕されるネット検閲、さらにはデジタル技術を生かした「社会信用システム」の構築など、中国の監視社会化に関するニュースが次々と報じられている。

ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』さながらの状況に思えるが、かの国はいったい何を目指しているのか。このたび新刊『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)を共著で出版した梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授、専門は中国経済)、高口康太(ジャーナリスト)に聞いた。

◇ ◇ ◇

――中国の監視社会化に関する報道が相次いでいる。中国共産党は自らの権力基盤を不安に感じ、独裁体制を強化しているのか。

高口 日本のみならず各国の報道では、少数民族弾圧から監視カメラ網まで、その手のニュースはすべて監視社会化、独裁体制強化の手段としてひとくくりに報じられていますが、これはミスリードでしょう。

再教育キャンプなどの少数民族弾圧や人権派弁護士逮捕、ウェブ検閲など、"昔ながらの"体制維持の取り組みが強化されている一方で、統治の問題よりも経済や市民の生活向上に焦点を当てた、新しい監視が中国では普及しつつあります。

その代表例が社会信用システムです。「信用スコアが下がった中国人は飛行機に乗ることすら許可されなくなる。内心まで縛る、恐るべき監視システム」といった誤解が広がっていますが、実態はそうではありません。

信用という言葉には「相手を間違いないとして受け入れること」のほか、「評判」「貸し付け限度額」など多義的な意味がありますが、中国の社会信用システムもまた言葉通りに多様な内容を持ちます。

制度建設のガイドラインにあたる「社会信用システム建設計画綱要(2014~2020年)」(中国国務院が2014年に発表した公文書)や、2000年代初頭から始まった社会信用システム関連の法律制度を分析すると、その主な対象が金融、ビジネス、道徳の3分野であることが分かります。

金融面では、金融サービスを享受できる人・企業の数をどれだけ増やすか、特に農民などクレジットヒストリー(融資の返済履歴などの金融関連の個人情報)を持たない人々に対する融資をいかに評価するかが課題とされています。



――ビジネス面ではどのような取り組みがあるのか。

高口 ビジネス面では、不正を働いた人や企業の"やり逃げ"をいかに抑止するかが課題となりました。中国は広いので、焼き畑農業的にある地域、ある業種でやらかした人間が、別の場所でそしらぬ顔をして不正を繰り返すということが横行しています。

不正を取り締まる法律はありますが、証拠を集めて、訴えて、裁判して......というのはともかくコストがかかる。不正を働いた人・企業の情報を集めてブラックリストで公開するのが、ビジネス面での最大の柱です。

日本でも、不正を働いた弁護士や行政書士が懲戒処分を受けるとその名前は公開されますし、消費者庁による問題ある企業の実名公開もあります。これらはすべて中国では社会信用システムに含まれるものなのです。

日本や米国など先進国の法律制度を研究して政府が導入したのですが、今の時代に合わせてデジタル化が進められている点が異なります。すべての国民・企業に付与された「統一信用コード」によって、複数のブラックリスト・データベースを貫き検索できる。ブラックリスト・データベースと連携して、飛行機のチケットを発券しないといった処罰を与えられるようになっているわけです。

今やデジタル化、デジタルトランスフォーメーション(進化し続けるデジタル技術が人々の生活を豊かにしていくという概念)は世界の趨勢です。そしてデジタル化が進めば、大量のデータが記録され活用可能なものとなります。データを有効活用すれば、それだけ効率は上がる。その試みを世界に先駆けて進めているのが中国でしょう。

――では、道徳ではどのような取り組みが行われているのか。国家による道徳心への干渉となると、監視国家そのものにも思えるが。

高口 道徳面の社会信用システムは啓蒙、宣伝の強化が一般的です。ゴミのポイ捨てはやめましょう、高齢者は大事にしましょうといったポスターを張り出したり、新聞やテレビで啓蒙番組を流したり......。

注目すべき動きは、地方政府による信用スコアの導入です。信用スコアというと、アリババグループの芝麻信用(セサミクレジット)が有名ですが、こちらはあくまで民間企業が提供する返済能力や契約履行意志を点数化したツールです。芝麻信用とは別に、政府が住民の「信用」を点数化する取り組みが一部の都市で試行されています。

「献血をしたらプラス何点」「人助けをしたらプラス何点」「交通違反でマイナス何点」といった形で、各住民にスコアを付ける。そして、高い点数の人にはちょっとした特典を与え、点数が低いとちょっとした制限をかけることで、良きふるまいを促そうというものです。



「パターナリスティックな功利主義」で説明できる

――なるほど。それでも日本人の感覚からすると、過干渉と言えるかもしれない。そもそも、なぜ政府が国民の道徳心を高めようとするのか。

梶谷 「パターナリスティックな功利主義」という言葉で説明できるでしょう。

パターナリズムとは「温情主義」「父権主義」と訳されますが、上位者が下位者の意思に関わらず、よかれと思って介入することを是とする態度です。功利主義とはある行為の善し悪しは、それが結果的に社会全体の幸福量を増やすことができるかどうかによって決まる、という考え方です。

両者が結合すると、ゴミの分別を守ることであれ、交通ルールを守ることであれ、政府が人民に対して「こうすればあなたも他のみんなもハッピーでしょ?」という選択肢を提示して、それに従う者には何らかの金銭的見返りを与える、人民のほうもそれに自発的に従う、という状況が生まれます。

政府が人民を監視によって無理やり従わせるというより、「親心」を示すことによって緩やかに管理しよう、というやり方だと言えるでしょう。

――国民の同意が必要な民主主義国とは異質な、中国だからこその試みに思える。

高口 果たしてそうでしょうか。日本には「監視社会は恐ろしい、プライバシーの流出は危険です」という論考はあふれています。一方で「デジタル化は社会の必然だ、便利になる、経済成長につながる」という議論も多い。

ただ、デジタル化によってデータが取得され活用されるようになれば、中国の社会信用システムとの間にはそんなに距離はありません。

その意味で「幸福な監視国家」とは中国だけの話ではありません。恐ろしい異国の話ではなく、私たちの未来の話だと考えています。

梶谷 「監視社会は嫌だ」という立場と「デジタル化で徹底的に利便性の追求を」という立場は対立しているように見えて、実は"慣れ"の問題として捉えられる部分もあると考えています。

監視につながる新しいテクノロジーが登場すると、なんとなく気持ち悪いからと反発する世論が一時的に盛り上がるが、結局利便性が高いため広がっていき、最初は反発していた人たちもそれに"慣れ"ていく。

Suicaなどの交通系ICカードや防犯カメラなどがそうだったように、これまで日本社会でも繰り返されてきた歴史です。

そう考えれば、今は異形に見える中国の監視社会が、気が付けば日本でも当たり前になることは十分にあるのではないでしょうか。



梶谷 先日、大学のデジタル出欠確認システムに関するニュースがありました。出欠や成績から退学候補者を洗い出し、事前に面談などのケアを行うというものです。

ツイッターやフェイスブックの書き込み情報を結合させれば、退学候補者の予測精度はより向上するかもしれません。あるいは中国ではすでに一部で導入されているように、授業中の表情解析によってどれだけ集中できているかという情報を加味することも考えられます。

今すぐ日本で導入することには抵抗が強いでしょうが、もしこの取り組みで退学者を激減させられるとしたら、私たちはそれでも拒むのかが問われているのです。

また、これも先日話題となった(就職情報サイト)リクナビの内定辞退率予測については、学生側にメリットが見いだせず、またリクナビは学生に情報を提供させつつ不利益を与える利益相反の立場にあった、データ活用の方法を具体的に伝えていなかったなどの瑕疵(かし)があり、厳しい批判を受けました。

ただ、将来的にはこうした問題をクリアするような内定辞退率予測システムも登場するかもしれません。例えば、学生がデータを提供することによって、言葉以上の重みで「貴社こそが私の本命企業だ」と伝えられるのであれば、一定のメリットを持つでしょう。

もし「デジタル化=監視社会化」の流れが続くとしても、これまでのようにただなし崩し的に"慣れ"ることで導入を認めていくことがいいのか、というのが、もう一つの問題です。導入にあたって市民社会によるチェックを有効に働かせる方法はないものか、この点についても著書では検討しています。プライバシーか利便性かの二者択一ではないデジタル化=監視社会化の議論が今、求められているのです。


『幸福な監視国家・中国』
 梶谷 懐、高口康太 著
 NHK出版新書



※8月27日号(8月20日発売)は、「香港の出口」特集。終わりの見えないデモと警察の「暴力」――「中国軍介入」以外の結末はないのか。香港版天安門事件となる可能性から、武力鎮圧となったらその後に起こること、習近平直属・武装警察部隊の正体まで。また、デモ隊は暴徒なのか英雄なのかを、デモ現場のルポから描きます。



森田優介(本誌記者)

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