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カシミールを襲うインドの植民地主義

ニューズウィーク日本版 2019年8月21日 17時40分

<「拡張主義」のモディ政権が軍隊を送って自治権を停止――数多くの係争の舞台となった地域が非常事態を迎えている>

インドのナレンドラ・モディ首相にとってカシミール地方は、映画の格好のロケ地という程度の場所のようだ。

インドは8月4日、カシミールに数万の兵士を派遣して同地方を封鎖。通信網を遮断し、地元有力者を自宅軟禁下に置いた。さらにインドが実効支配するジャム・カシミール州に自治権を認めている憲法370条を廃止し、同州を2つに分割してそれぞれ連邦直轄領に格下げした。

モディは8日、一連の措置について初めて演説を行い、カシミールが抱えるテロや分断主義の問題は全て自治に問題があったとして自らの決断を正当化した。モディはカシミールの開発を約束し、この地域はボリウッド(インド映画)だけでなく、全世界から映画の撮影に訪れる土地になると展望を語った。

カシミール地方は映画のロケ地で、住民はエキストラのようなもの――そんな感覚を抱いているのはモディだけではない。イスラム教徒が多数を占めるカシミールは、インドの映画や文学で常に神秘的な「他者」として扱われてきた。欧米人の幻想の中にあるオスマン帝国時代のハーレムに似て、美しくも残酷な土地というイメージで捉えられてきた。

だからインド人にとって、カシミールは思いどおりに開発すべき場所なのだ。そこに住む女性たちは「解放」しなくてはならず、少数派は「保護」しなくてはならない。だがインド人の抱くこうした幻想が、カシミールの現実を覆い隠している。

「開発」という名の抑圧

実際のカシミールは軍事拠点化が進んでいる。駐留する冷酷な治安部隊は、市民を殺しても拷問しても罪に問われない。

しかしカシミールの日常には、コミュニティーとしての団結と粘り強さが感じられる。強さの源は、カシミールがインドに依存しているのではなく、むしろインドがカシミールに依存しているという思いだ。だからこそインドは、大きな代償を払いながらカシミールの占領を続けているという認識がある。

今回のインドの動きは、開発の名の下にカシミールの粘り強い精神をたたきつぶそうとするものだ。口先だけの道徳的意義や経済的合理性の下で行われる「開発」、住民を銃で脅すばかりで彼らの意見を取り入れない「開発」は「植民地化」と呼ぶべきだ。いくらインドが民主主義を標榜しても、カシミールは開発の名の下に紛れもなくインドの「植民地」と化した。

こうした動きは初めてではない。歴史をいくらか振り返れば、カシミールの希望は繰り返し抑え付けられてきた。



2016年と17年には、インド軍が地元住民を「人間の盾」に使って暴動を封じ込めようとした。2014年の洪水のときは、インドが救助費用をカシミールに請求した。2010年に起きた蜂起は「パキスタンが支援するテロ」としか見なされなかった。

1990年代には拷問や集団レイプが起き、1980年代後半には信仰による差別があった。全ては1947年の印パ戦争の際に、カシミールの帰属を決める住民投票が実施されなかったことが原因だ。

イギリスが1846年のアムリトサル条約によって創設したジャンムー・カシミール藩王国に同地方の住民と領土を売り渡した頃の植民地政策が、今も続いているという解釈もできる。カシミールに関する論調には既得権益という地雷がちりばめられ、政治的に正しい歴史はごく一部しか伝えられていない。

こうした見方を支持しない人もいるかもしれない。だが1947年8月にインドとパキスタンが分離独立したとき、カシミールはどちらにも属していなかった。これは否定できない事実であり、同時に問題の根源でもある。

当時のカシミールは、民族と宗教が複雑に絡み合う分断状態だった。インドとパキスタンはまずこの地方を占領し、そして分割した。以後、両国はカシミールにそれぞれのナショナリズムを押し付け、基本的人権まで否定してきた。

いわば合憲のクーデター

国際社会はカシミールへの視点を改めるべきだ。住民の立場から問題を考え、印パ対立というお決まりの図式から脱するべきだ。住民の参画なしに、平和で正しい解決はあり得ない。

もちろん、それは簡単なことではない。インド独立後に世界各地に離散した右翼ヒンドゥー勢力は、欧米諸国では少数派の権利を求めて闘っても、母国に戻れば自分たちの優越性を主張しがちだ。

人口14億近い多民族・多宗教国家のインドで、その8割を占めるヒンドゥー教徒の立場だけを擁護するヒンドゥー・ナショナリズム派にとって、立憲主義の非宗教的な民主主義国というインドの在り方は受け入れ難い。彼らは民族の純血性を求めるナチスを尊敬した勢力の系譜を受け継いでいる。多くの支持者は、たとえ住民の絶滅につながろうと、カシミールは絶対に手放さないという主張に賛同している。

1989年にカシミール盆地からカシミーリー・パンディットと呼ばれる少数派ヒンドゥー教徒勢力が脱出した。この一件をヒンドゥー・ナショナリズム派は巧みに利用してきた。宗教的な分断や少数派への暴力、多様化への対応の欠如ではなく、ヒンドゥー教徒への迫害やイスラム教徒の野蛮性、パキスタンによる陰謀という見方を打ち出した。

それでいて虐殺やレイプ、イスラム教徒とパンディットそれぞれの被害について司法機関に捜査を求めることはなかった。和平を模索することもない。ただこの地方を、ヒンドゥー国家支持者の集結地にしようとした。



今回のインドの動きは、極右の準軍事組織である民族義勇団(RSS)とその支持派、そして財界が支えるモディ政権与党のインド人民党(BJP)を利するだけだ。インドの国際的な信用は落ち、世俗的な民主主義国になる構想は葬られかねない。

政治家たちはそれを知りながら、今回の動きを支持している。反対すれば「反国家的」というレッテルを貼られるからだ。カシミールでの動きは、与党BJPとその思想的な支えであるRSSが「合憲」のクーデターを起こしたようなものだ。

この表現が言い過ぎだと思うなら、いまインドで起きていることが、強権的な手段で民主主義が覆されるという普通の現象以上の意味を持っていることに注目してほしい。RSSは膨大な数の支持者を全国のあらゆる組織や職業に擁している。彼らの夢は「統一インド」。パキスタンからバングラデシュまでを広く一国にまとめる大インド構想だ。この構想に反対する人々は、目下の事態に注目を集めることくらいしかできない。カシミール出身の非イスラム系女性である私も、その1人だ。

カシミールの人々は、インドによる暴政を道徳的な恥さらしと見なしている。インド国民も政府が勝手に抱いている幻想と、人間性を無視するような行動に抵抗しなければ、ヒンドゥー至上主義かつ植民地主義の国に生きていることに気付く日は遠くないかもしれない。

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年8月27日号掲載>

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※8月27日号(8月20日発売)は、「香港の出口」特集。終わりの見えないデモと警察の「暴力」――「中国軍介入」以外の結末はないのか。香港版天安門事件となる可能性から、武力鎮圧となったらその後に起こること、習近平直属・武装警察部隊の正体まで。また、デモ隊は暴徒なのか英雄なのかを、デモ現場のルポから描きます。



ニタシャ・カウル(英ウェストミンスター大学准教授)

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