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日本を超える長寿国スペインの特効薬とは

ニューズウィーク日本版 2019年8月29日 17時20分

<食生活や温暖な気候だけじゃない──身心の健康を生涯にわたって促進する独特の社会制度と今後の課題とは>

100歳まで長生きしたい? それならスペイン移住を考えたほうがよさそうだ。

ワシントン大学健康指標・評価研究所は昨年10月に発表した報告書で、2040年までにスペインが日本を抜いて世界一の長寿国になると予測した。2016年までに82.9歳だった平均寿命は85.8歳に延び、日本もシンガポールも上回ることになる。

スペインのバラ色の未来はほかの研究でも明らかだ。今年2月にブルームバーグが発表した「健康な国」指数は、平均寿命や食生活、さらに安全な水や衛生施設へのアクセスといった環境要因に基づいて、スペインを「世界一健康な国」と評価した。

スペインの高い健康度は有利な自然条件のおかげだ。気候は温暖で、伝統的で健康的な食習慣である「地中海食」の材料になる優れた農産物を生産する。

食から生まれた支え合い

とはいえ記録的な平均寿命は、充実した福祉制度や社会的な結び付きの強さの証明でもある。この国では、高齢者は公的医療制度のみならず、家族やコミュニティーの支援という形の恩恵を享受できるのだ。

スペインは西欧で長らく国民皆保険を確立している国の1つで、国内居住者は誰でも無料で救急医療やプライマリーケアを受けられる。昨年発足した中道左派の社会労働党政権は、住民登録や所得税納付をしていない移民にも受診の権利を保証する法令を制定した。

スペインの医療制度は、各地方が独自に運営しているのが特徴だ。その理由は、75年の独裁者フランコの死を機に民主化を進めた際、地方分権が取り決められたことにある。

しかし世界一の長寿国となる2040年以降も、この「スペインモデル」を維持できるかは怪しい。労働力人口は減少し、所得税収入が減るなか、福祉予算などが打撃を受けかねない。スペインの出生率は世界最低レベル。1人の女性が生涯に産む子供の人数の平均は1.3だ。

魚介類やオリーブ油を多用するヘルシーな食事 KISSENBO/ISTOCKPHOTO

魚やオリーブ油を多用し、心血管疾患の減少に効果的だと判明している地中海食に、スペイン人が背を向けつつあるのではないかと懸念する声も医師の間で上がる。ファストフードの広がりに加えて、新鮮な果物や野菜など、南欧ならではの伝統的な農産物の消費量が減っているとWHO(世界保健機関)は研究で指摘。スペインで現在、毎日果物を口にする子供の割合はわずか30%ほどだという。



MARTA ORTIZ/ISTOCKPHOTO

そうしたなか、画期的な取り組みを行っているのが、独自の言語を持ち、長年にわたって高度な自治を目指してきたバスク州だ。同州はスペインの標準的な医療制度に、住民の身心の健康を生涯にわたって促進する工夫を組み込んでいる。

バスクはグルメ天国であることが自慢のタネ。スペインではこの数十年の間に、北東部カタルーニャのレストラン「エル・ブリ」(2011年に閉店)のフェラン・アドリアなど、大物シェフに代表される美食体験が大きな魅力の1つになっているが、こうした流れに大きな役割を果たしてきたのがバスクだ。

この地域では、ミシュランの星を獲得したレストランが23店に上る。地元には、コミュニティーを食で結ぶ伝統的な交流グループ「チョコ」が存在し、メンバーは定期的に集まっては一緒に食事を作って食べる。

社会的な結び付きを支えるチョコというシステムは単なる料理クラブの枠を超えて、病人・高齢者支援を補完的に担う組織を州内各地に生み出している。

一例が、会員530人を擁するパーキンソン病患者団体「アスパルビ」だ。年会費は80ユーロで、会員は北部ビルバオ郊外にある施設を好きなときに訪れ、言語聴覚療法を受けたりピラティスで体を動かしたりと、さまざまな活動に参加できる。

同団体は1994年、看護師の資格を持つベゴニャ・ディエス・アロラが創設した。きっかけは、母親がパーキンソン病と診断されたことだった。「母は当初、病気であることすら誰にも知られたがらなかった。この体験によって、病気を恥じて孤立すれば、どれほど速く状況が悪化するかということに気付いた」

「老人ホーム化」のリスク

バスク当局は1990年代に予防治療を重視する路線に転換し、市民のよりよい健康管理や検診による病気の早期発見にも力を入れてきた。乳癌や大腸癌に加えて、昨年には子宮頸癌の無料検診プログラムを開始。同様の制度はほかの地方にも存在するが、バスクほど広範囲に実施しているとは限らない。

「わずかな投資で大きな成果を手にできる」と言うのは、ビルバオ近郊の病院に勤務する医師、アマイア・エチェバリア・アルトゥナだ。「さもなければ、ほかの国のように、テクノロジーや医療機器、複雑にせずに済んだはずの問題の解決に巨額を費やす羽目になる」

事実、スペインの医療費は欧州のほかの多くの国に比べて少ない。OECD(経済協力開発機構)の最新データによれば、2018年の国民1人当たりの医療支出はフランスが約4965ドルで、ドイツが約5986ドル。一方、スペインは約3323ドルだった。



だが人口統計や財政状況を考えると、65歳以上を定年とする年金制度の維持は難しい課題だ。08年の金融危機の際には社会保障基金が大変な損失を被り、スペインは2009年に1200億ユーロ近い財政赤字に陥った。

今年4月には総選挙が行われ、社会労働党が第1党の座を確保したが、選挙戦では労働力人口減少が争点になった。とはいえ、これという解決策は不在のまま。高齢化が進み、成長率が鈍化するなか、これからの指導者には国家の要望を見据えた新たな政策への取り組みがますます求められることになる。

今の世代の国民は長生きできても、大きな変革を実現しなければ長期的に行き詰まるだろう。「ハーバード大学の数学者でなくても、より長期的に見てつじつまが合う数字でないのは明らかだ」と、バスク州のビチョル・オロス・イサギレ農業・食料政策担当副大臣は語る。

「欧州の大半の国と同じく、国家が年金制度頼みの老人ホーム化するリスクを抱えていることは誰にでも分かる。このままでは、制度はいずれ破綻する」

From Foreign Policy Magazine

<本誌2019年9月3日号掲載>

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ラファエル・ミンダー(ニューヨーク・タイムズ紙スペイン・ポルトガル特派員)

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