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暴力と血のにおいが漂う、中国名監督ジャ・ジャンクーの最新作

ニューズウィーク日本版 2019年9月5日 15時30分

<社会の末端を生きる人々を描いてきた名監督が『帰れない二人』で切り取る中国の現在地>

賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の映画からは、その時の中国のにおいが立ち上がってくる。

最も濃厚なのは2006年の『長江哀歌(エレジー)』だろう。赤銅色に日焼けした出稼ぎ労働者の体に浮かぶ汗、建築物の撤去現場に舞い上がるほこり、男たちがむやみに吸うたばこの煙、白い麺が浮かぶ真っ赤な香辛料のスープ、全てを押し流す長江の流れ。

賈の最新作『帰れない二人』から立ち上ってくるのは、現代社会の中国人の血のにおいだ。

物語は賈の故郷であり、彼の作品ではおなじみの山西省にある中都市・大同から始まる。賈作品の常連であり、妻でもある趙濤(チャオ・タオ)演じるチャオは「江湖(やくざ者)」のビン(廖凡、リャオ・ファン)と恋人同士。半ば暴力をなりわいにして生きる彼らは、暴力の返り討ちに遭い、別離と再会を繰り返しながら三峡ダム完成が間近い長江の古都・奉節、新疆ウイグル自治区、さらに再び大同へと流れていく。

裏社会である「江湖」は、古代中国に生まれ、特定の産業や地域にネットワークを広げながら、下層階級の人々に生きる手だてを与えてきた。1949年の共産中国成立後、江湖はその掟や暴力と共にいったん姿を消すが、1970年代末期の改革開放と共に再び台頭し始める。

常に中国の底辺を生きる人々の息遣いと、彼らが変わりゆくさまを描いてきた賈が、今回「江湖」をテーマに選んだのはある意味必然でもある。

「中国の伝統文化の中で江湖の人物は描かれてきた。香港映画でもだ。しかし、現在の大陸の文化の中で現在の江湖が表現されることはなかった」と、賈は言う。「江湖自身も変化している。これまで『情』や『義』という価値観を重視していた彼らがいま大事にするのはカネだ。伝統的な道義を重んじていた彼らの変化は、中国社会の大きな変化を体現している」

実際、やくざ者のビンは不動産取引をめぐるトラブルの果てに、恐れを知らない、ならず者の若者集団に襲われる。次から次へと殴り掛かる少年たちに応戦して血まみれになり、半死状態のビンを救うため、チャオは拳銃を抜いて空に向かい、威嚇のために一発発砲する。

やくざ、暴力、拳銃。どれも、現在の中国では表向き存在しないことになっているものだ。だが、いかに「なかったこと」にしても、人は暴力から離れることができない。それは中国社会とて変わりはない。



ただ賈にとって、暴力は単なる人間の本能の発露ではない。「暴力が存在するのは、社会に非合理や不公平が存在するからだ。暴力は新旧概念の衝突の結果でもある」

江湖の宿命である「流浪」がテーマの映画でもある。北京五輪開催が決まった2001年の大同、三峡ダム完成が迫る2006年の長江と新疆ウイグル自治区、そして高速鉄道駅が完成した2017年の大同へ。猛スピードで変化した中国のありさまを、炭鉱の町だった大同に似つかわしくない超近代的な高速鉄道駅が象徴する。

香港デモ襲撃との「符合」

賈はこう言う。「『長江哀歌』でわれわれは直接、変化を目にすることができた。(三峡ダム建設で)上がる長江の水位、取り壊される建物、船に乗って立ち退いた人々などだ。だが、今回撮りたかったのは見えない変化、人々の感情処理の変化だ」

情と義を重んじてきたはずのやくざ者にすら、中国の発展は変化を迫ってきた。だが、物語の最後でチャオとビンは江湖の価値観へと帰っていく。

続く香港の抗議活動で、江湖の1つである「三合会」がデモ隊襲撃に関わったとされている。「新旧概念の衝突」のリアルな場に江湖が現れたのは示唆的だ。

ASH IS PUREST WHITE
『帰れない二人』
監督/ジャ・ジャンクー
主演/チャオ・タオ、リャオ・ファン
日本公開は9月6日

<本誌2019年9月10日号掲載>

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長岡義博(本誌編集長)

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