Infoseek 楽天

香港デモはリーダー不在、雨傘革命の彼らも影響力はない

ニューズウィーク日本版 2019年9月14日 17時30分

<多様な顔を持つ指導者なき運動を生んだのは、過去10年の政治に対する「失望」だった>

「黄之鋒(ジョシュア・ウォン)? 影響力はほとんどないですよ」。香港中文大学の講師でもある香港人ジャーナリスト、譚蕙芸(ビビアン・タム)は筆者の現地取材にこう断言した。

現在の香港デモはリーダー不在の運動だと報じられてきたが、一方で国外メディアには黄、周庭(アグネス・チョウ)という、14年の民主化運動「雨傘革命」リーダーたちのインタビューが頻繁に掲載されている。

黄はリーダーなのか、違うのか。彼らはどれほどの影響力を持っているのか。不思議に思っていたが、デモの最前線で取材を続ける譚の答えは明快だった。影響力どころか、デモに姿を見せると他の参加者から「帰れ」と罵声を浴びせられることすらあったという。黄らが主導するデモの動員数は昨年時点で数十人規模にまで減っていたので、譚の指摘は納得がいく。

今回のデモにリーダーはいない。この構造は過去10年間にわたる香港政治に対する「失望」の産物だ。香港の政治勢力は大きく建制派(親中派)と民主派に分けられてきたが、通常の直接選挙以外に業界団体ごとに議員を選出する枠があるため、議会では常に建制派が多数を占めてきた。政治制度的に民主派は永遠の野党であることを宿命付けられていたわけだ。

2010年代に入ると、実効力を持たない民主派を批判する新たな勢力が台頭する。中国人意識が希薄な若い世代が声を上げ始めたのだ。彼らは「香港から中国本土の民主化を目指す」民主派とは距離を置く。香港特有の事情と既存の政治勢力とは異なるオルタナティブの出現という世界的潮流との交差点に起きた現象だが、その中身は目まぐるしく移り変わっていった。

誰も何もできなかった

12年の立法会選挙では「文化的独立」を主張する城邦派が注目されたが、16年選挙では惨敗。14年の雨傘革命で黄や周らが名を上げたが、運動末期には政府との妥協案を取りまとめようとした穏健派の指導部と過激派との間で対立が起きる。結局政府との合意は結ばれないまま、長引く占拠によって市民からの支持を失った末の強制排除という結末に終わった。

雨傘革命の終結後、より強硬な路線を主張する港独派(香港独立派)が支持を集めた。その政党「青年新政」は16年の選挙で梁頌恒、游蕙禎という2人の議員を生み出すが、規定にのっとった就任宣誓をしなかったとして議員資格を失った。結局、港独派も何もできないではないかとの失望が広がった。



新たな勢力が登場しては消えていく。その繰り返しが続いた末、今回のデモではついにリーダーという存在が消えたわけだ。これには過去の反省が込められているとされる。第1にリーダーの逮捕によって運動が瓦解する事態を避けるため。第2に雨傘革命末期のような内部崩壊に陥らないようにするためだ。

デモのスローガンの1つにこんな言葉がある。「兄弟よ、各自で努力して山を登ろう」

このスローガンが、思想や手法が異なる相手でも批判せず、それぞれ干渉することなくデモを続けようという方針になっている。かくして、静かに歩いてアピールする人のすぐ隣で、地下鉄設備を破壊するような暴力行為に及ぶ人もいる、多様な表情を持つデモが出来上がった。

今までにはない形態のデモだけに、香港政府や警察も対策に苦慮している。リーダーがおらず、政府との妥協を決断する人間も存在しないとあって、終わりが見えない。

<本誌2019年9月24日号掲載>

※9月24日号(9月18日発売)は、「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集。終わりなき争いを続ける日本と韓国――。コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)が過去を政治の道具にする「記憶の政治」の愚を論じ、日本で生まれ育った元「朝鮮」籍の映画監督、ヤン ヨンヒは「私にとって韓国は長年『最も遠い国』だった」と題するルポを寄稿。泥沼の関係に陥った本当の原因とその「出口」を考える特集です。




高口康太(ジャーナリスト)

この記事の関連ニュース