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閣僚がはんこ産業を代表して「ペーパーレス」を遅らせるな - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年9月17日 16時0分

<行政手続きの「デジタル化」と「はんこ」を両立させると言うのは、まるで冗談にしか聞こえない>

今回の安倍政権の内閣改造で閣僚となった竹本直一IT政策担当相兼内閣府特命担当大臣(科学技術政策、宇宙政策、クールジャパン戦略、知財戦略)は、通称はんこ議連(「日本の印章制度・文化を守る議員連盟」)の会長を務めているのだそうです。

就任にあたっての記者会見では、はんこ業界の権益を代表する立場と、閣僚としてデジタル化を進める立場との整合性を問われたそうですが、これに対しては「対立軸に見るのではなくて、ともに栄えるためにはどうしたらいいか」という言い方で行政手続きのデジタル化と「はんこ文化」の両立を目指す考えを示したそうです。

もしかすると安倍総理の任命意図としては、はんこ議連会長という守旧派を取り込むことではんこの廃止への抵抗を突破するという作戦があり、竹本大臣としては現時点では業界代表の「フリ」をしてタイミングをうかがっているのかもしれません。

そう言うと、まるで冗談のように聞こえますが、そもそも「電子化」と「はんこ」が両立するという言い方が冗談としか言いようがない以上、そのような「うがった見方」をするしかないわけです。

そもそもはんこの問題とは何でしょうか。

1つは非効率ということです。まず、はんこを押すという作業は大変に非効率です。朱肉をつけて捺印欄に正確に押すとか、角印の場合は用紙の方向に平行に押すとか、面倒ですし時間がかかります。はんこの収納も面倒ですし、悪用されないように管理するのも手間です。

それ以前の問題として、はんこを要求するスタイルの事務作業においては、必ず紙が介在します。また、原本主義もこれに伴っており、重要書類は必ず原本を作って当事者間でその原本を物理的に回覧しつつ、順番に捺印していくことになります。要するには紙が介在するのであれば、物理的に作成、移動、収納という物理的な作業が発生するわけです。

そのために、決済には異常な時間がかかるか、あるいは急ぐ場合には決済者を物理的に集めて一堂に会するようにしなくてはなりません。とにかく、はんこの絡まる事務作業、決済作業は何から何までが非効率であり、21世紀においては民間のビジネスにおいても、官公庁の公的な事務にしても時代遅れです。

もう1つの問題は、これと相反するようですが、決済書類が余りにも簡単に作れるというセキュリティの低さです。まず、捺印という行為は面倒な作業ですが、誰でも簡単に正式な契約原本が作れてしまいます。

例えば、法人の印鑑の場合ですと、社名の入った大型の角印、代表取締役印、そして法人銀行印という3点セットが一般的です。また大きな会社の場合は、捺印簿というものを作り、決済プロセスを経ないと捺印できないし、また捺印の記録を残すことになっています。

ですが、それはあくまで社内の管理ということであり、仮に印鑑の管理が甘くて勝手に第三者なり、権限のない人物が捺印したとしても、事実上その印影をニセモノと見破ることはできません。つまり、印影というのは「正規の手続きを経て捺印された」という仮の前提で使うだけであり、印影があるから認証レベルが高いというわけではないのです。



ですが、一般的に印影には効力があるとされています。実印、つまり印鑑登録をされた印の場合は、認証レベルが高いイメージがありますが、これも印鑑証明書さえ入手して、その印影と同一の印影を押してあれば、仮に悪意の第三者が作成した偽造書類であっても見破ることはできません。

もちろん、こうした認証レベルの問題ではサインも特に優れたわけではありませんが、サインの場合は「それ自体が手書きで揺れのあるもの」だという前提で、他に認証を補完する仕組みがあります。例えばウィットネス(立会人)の署名や、ノタリー(公証)の仕組みなどです。

印鑑が問題なのは、正確に捺印がされていると、ビジュアル的に「完璧」であることでどうしても心理的に「ないはずの認証レベル」を感じてしまうということ、その結果として悪用が可能になってしまうということがあります。

これは心理的な問題だけでなく、実務的な問題でもあります。例えば、宅配便の受け取りには印鑑が必要で、その場合、社会通念上は「シャチハタでもOK」とされています。ですから、極論を言えば鈴木さん宛の宅配を横取りしようと思えば、鈴木というシャチハタ印を数百円で購入して、鈴木さん宅の玄関の周辺に潜んでいれば出来てしまいます。

ですが、宅配業者としては、シャチハタ印の認証レベルが低いことは承知の上で、それでも一定のレベルの認証ツールとして機能している、つまりコストに見合う低い認証でOKとしているわけです。この場合に、サインが主流になってしまうと、仮に横取り事件の捜査や裁判となった場合に、形式要件として真贋チェックの世界に入っていくと認証の正当性を証明するのも否定するのもコストがかかってしまうわけです。

いずれにしても、印鑑というのはビジュアル的に完結してしまう反面で、認証レベルは低いツールです。こうしたもので「良し」としているようでは、世界中にハッキングや成りすましを生業とする悪意が跋扈する21世紀におけるセキュリティ対策は進みません。

とにかく、竹本大臣にははんこ業界全体を説得して、政府も民間もペーパーレス、脱はんこ時代へと向かうように、その結果としてホワイトカラーの事務効率がOECD参加国中最低レベルという悲惨な状態から脱するように、尽力することを望みます。


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