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日韓が陥る「記憶の政治」の愚:どちらの何が正しく、何が間違いか

ニューズウィーク日本版 2019年9月18日 16時35分

<過去を政治の道具にする「記憶の政治」とは何か。泥沼の関係に陥りつつある日韓が仏独から学べること。本誌最新号「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集より>

またしても、日本と韓国の間で緊張が高まっている。そして、またも双方が、敵意が膨れ上がる主な原因は「歴史問題」だと言い出している。

韓国人は、日本人が戦時中と植民地時代の行いを十分に認識してないと非難する。日本人は、自国で語られる歴史に欠けている部分を蒸し返されることにうんざりしている。過去を武器にして現在に損失をもたらしているという意味では、どちらの国も同罪だ。

日本人も韓国人もこれは「歴史」論争だと言っているが、実際に話しているのは「記憶」についてだ。

歴史と記憶は同じものではない。歴史とは過去に起きたことであり、記憶とは、そのストーリーをどのように語るかということだ。国家が自らのストーリーを語るときは特に、記憶は選択的、政治的、感情的になりがちだ。

国民の歴史という概念は目新しいものではない。全ての国が、時には英雄として、時には犠牲者として自分に都合よくストーリーを語るが、それらは常にアイデンティティーと国家の誇りに関わっている。

一方で、何が新しいかと言えば、いま私たちは「記憶の政治(メモリー・ポリティクス)」の時代を生きているということだ。記憶の政治では、歴史が国境を超えた問題になる。過去を利用して国内でアイデンティティーを築くだけでなく、国際関係でも過去を政治の道具にするのだ。

国境を超える記憶の政治は、1945年からの数十年間で変化してきた。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)など戦時中の不正義を事実として認め語ろうという努力を機に、「世界的な記憶の文化」が徐々に生まれてきた。

国の過去の中でより暗い部分とどう向き合うかについての基準には、公に認めること、正式な謝罪、被害者への賠償が含まれるようになった。こうした記憶の基準は、奴隷制や先住民族への暴力など自国民に対してだけでなく、戦争や内戦で対峙した昔の敵や、帝国主義時代の旧植民地にも適用される。

日本と韓国は今まさに、国家の歴史と国際的な記憶の政治の複雑な網にからめ捕られている。

本誌2019年9月24日号22ページより

日韓双方が正しく間違っている

韓国でリベラルな文在寅(ムン・ジェイン)大統領が「われわれは二度と日本に負けない」と宣言するとき、彼は国家の経済への脅威について訴えている。親日派(「親日反民族行為者」)をやり玉に挙げるとき、彼は韓国の独立を、1948年に南北朝鮮がそれぞれ独立した冷戦下の反共産主義というより1919年の反日独立運動(三・一独立運動)に結び付けようとしている。このようにして、最終的に南北統一を目指す韓国の国民のストーリーに、北朝鮮が取り込まれていく。

こうしたレトリックは、国内的な目的のために日本に対する敵意を振りかざすものだ。



一方、日本で保守派の安倍晋三首相が従軍慰安婦問題に関する新たな謝罪を拒み、強制連行という解釈を認めないとき、彼は国家のプライドと国内の政治基盤に語り掛けている。日本政府が韓国やアメリカなどに設置された「平和の少女像」の撤去を求めるのは、国際社会で日本の名誉が傷つけられると考えているからだろう。

そこでは記憶についての世界的な基準より、国力に関する愛国主義的な物語のほうが優先されている。これはどちらの国も正しくて、どちらの国も間違っていると言える。

韓国は、日本の戦争と植民地支配の過去は適切に認識されなければならず、将来にわたって日本の歴史の良い面も悪い面も教育しなければならないと主張する。これはそのとおりだ。また、韓国の裁判所が昨年、元徴用工問題で日本企業に賠償を命じる判決を出したことも、ドイツの戦時中の強制労働に関する判例をある程度なぞっていた。

日本は慰安婦問題で、不完全な部分はあるにせよ既に公式に謝罪と賠償をしたにもかかわらず、韓国が受け入れないことに戸惑っている。慰安婦をはじめとする戦争被害者のために市民社会の日本人が尽力していることも、韓国は認めようとしない。これについては日本の言うとおりだ。

一方、韓国は元徴用工への賠償金のために日本企業の資産を差し押さえて売却すると脅しているが、これは間違っている。こういう脅しは記憶についての世界的な基準からは外れている。

そして、日本は記憶をめぐる傷を貿易政策と安全保障政策にすり替えているが、これも間違っている。韓国が「日本の経済侵略対策特別委員会」を設置するなど、同じような報復をするのも間違っている。

1998年には金大統領と小渕首相が日韓共同宣言に署名した REUTERS

仏独のようにはなれなかった

どちらの国も、過去の間違いを現在の間違いにすり替えているだけだ。75年近い年月の間に何も変わっていないかのように。だが実際は、多くのことが変わっている。「歴史問題」に関してもさまざまな変化が起きているのだ。

今から21年前の1998年に、金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相は日韓共同宣言に署名。日本による植民地支配が韓国に多大な損害と苦痛を与えたことを認めた上で、未来志向の両国関係を目指すと約束した。

その後、韓国で日本の映画や音楽、マンガなどが解禁され、J-POPとK-POPが人気を集めた。2002年にはサッカー・ワールドカップを共同開催。日本で韓流ブームが起きて、互いに観光客が増えた。日韓関係は新しい段階を迎えたと思われた。

私はその頃、日本と韓国が、60年代前半の仏独のような和解に向かっているかもしれないと書いた。しかし、私は間違っていた。それでも、長く敵対していたフランスとドイツが第二次大戦後に関係を修復できた理由を検証することは、役に立つのではないか。

【参考記事】韓国に対して、宗主国の日本がなすべきこと



フランスとドイツの関係を変えた要素は3つある。双方の市民社会団体と草の根の運動(初めはドイツのほうが積極的だった)、シャルル・ドゴール仏大統領とコンラート・アデナウアー西独首相という2人の力強い指導者の政治的な意思、冷戦とソ連の脅威という文脈におけるそれぞれの国益だ。

両国は1963年にエリゼ条約(仏独協力条約)を結んで敵対関係に終止符を打った。しかし、その関係を強固にしたのはその後の教育の変化と、若い世代を中心に社会のあらゆるレベルで交流が深まったこと、そして、EUを通じて地域的な力が強まったことだ。

こうした順応はもちろん個人の記憶を消し去りはしなかったが、それでも両国の関係を変え、両国とほかの西欧諸国との関係を変えた。

時代や歴史的背景は異なるが、フランスとドイツの相互理解を深めた要素は今日の日本と韓国にも通じるだろう。

今年6月初めの世論調査では日本人と韓国人の約半数が相手国に良くない印象を抱いているが、その傾向は変化してきており、今後も変わるだろう。両国とも、若者のほうが年長者より互いへの好感度が高い。観光や大衆文化が草の根レベルで影響を与えていると思われる。

金大中が未来志向の日韓関係を宣言したときのように、指導者の姿勢も変化を起こし得る。文大統領は今年8月15日に、日本の植民地支配からの解放を記念する式典で「日本が対話と協力の道に進むなら、われわれは喜んで手をつなぐ」と語った。日本政府もむき出しの敵意にばかり反応せず、こうした前向きの発言を積極的に受け止めることもできるだろう。

2002年にはサッカーW杯を日韓で共催した DESMOND BOYLAN-REUTERS

「帝国の慰安婦」としての記憶

変化の背景には地域的な文脈もあった。仏独は、欧州というコミュニティーに共に参加することに共通の利益を見いだした。現在、日本と韓国の国益も東アジアの域内関係に同じくらい密接に結び付いているのではないか。

ただし、過去の敵が未来の友になるというシナリオには、もう1つ課題がある。フランスとドイツは戦争の敵国同士だったため、仏独の記憶の政治は戦争が軸になっていた。それに対し、韓国は日本の植民地だったため、韓国は慰安婦や徴用工の問題を、戦争というより植民地時代の抑圧として考える。

日本では少なくとも90年代前半以降、戦争の記憶を積極的に呼び起こす動きが広まっているが、帝国主義時代の過去にはあまり向き合ってこなかった。日本人は南京虐殺や七三一部隊、従軍慰安婦を知ってはいるが、例えば慰安婦については帝国主義ではなく戦争の産物と見なす人が多いだろう。



帝国主義の歴史を持つ多くの国と同じように、日本は長い間、自らの帝政の悲惨な行為について公には沈黙を守ってきた。イギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランスでも、今なお帝国主義時代の記憶が問題化している。

確かに帝国主義の過去を乗り越えて和解を目指そうという決然たる努力に、大きな壁が立ちはだかることも多い。例えばフランスと旧植民地のアルジェリアは2003~07年に友好条約の締結を模索したが、かなわなかった。1962年にアルジェリアが独立を果たしてから数十年がたっても、1世紀以上に及んだ植民地支配とアルジェリア戦争の残忍な記憶は重く、「歴史の傷」を癒やすことはできなかった。

日韓の関係はフランスとアルジェリアより近く、より友好的だが、日本の植民地支配に対する韓国の記憶はほかの旧植民地と同じくらい強烈なものも少なくない。日本と韓国が歴史の溝を埋めようとするなら、植民地時代の知識を学んで歴史的事実を認めることがおそらく出発点になるだろう。

記憶の政治の時代を生きる困難について、解決策が分かっているとは言わない。それでも明白なことが2つある。

まず、ナショナリズムは現代の惨劇だ。世界のナショナリズムは、国内外のほぼあらゆる場所で不確実性に対する反応として生まれている。日本と韓国のナショナリズムは、海峡の両側で同じように人々の目を塞ぎ自分たちの国益さえ見失わせている。

そして、過去を政治の武器として利用することは、前向きではなく後ろ向きに生きるということだ。過ぎ去った過去が、これから訪れる未来を危機にさらす──そうした事態を許すということだ。

(筆者の専門は日本近現代史。近著に『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義──学生との対話──』〔講談社現代新書〕)

<本誌2019年9月24日号掲載「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集より>

※「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集では他に、映画監督のヤン ヨンヒが自らの半生を振り返りながら、現在滞在するソウル近郊で見聞きし、考えたことをルポとして寄稿。また、本誌コラムニストで南モンゴル出身の楊海英が、日本が朝鮮半島を支持すべき理由を論じます。

※9月24日号(9月18日発売)は、「日本と韓国:悪いのはどちらか」特集。終わりなき争いを続ける日本と韓国――。コロンビア大学のキャロル・グラック教授(歴史学)が過去を政治の道具にする「記憶の政治」の愚を論じ、日本で生まれ育った元「朝鮮」籍の映画監督、ヤン ヨンヒは「私にとって韓国は長年『最も遠い国』だった」と題するルポを寄稿。泥沼の関係に陥った本当の原因とその「出口」を考える特集です。



キャロル・グラック(コロンビア大学教授〔歴史学〕)

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