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小学校の教育現場で広がる「スタンダード」の危うさ - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 2019年10月1日 19時30分

<日本の小学校で進む規範や方法論の「スタンダード」の導入は、あくまで目標達成へ向けた方法論でしかないことを忘れてはならない>

日本全国の小学校で「スタンダード」という考え方の導入が進んでいます。この「スタンダード」ですが、意味合いはかなり広いものです。各教育委員会が教員に授業方法を示す「授業スタンダード」がまずあり、学校としては各教員に指導の統一を求める「教員スタンダード」があったりします。

さらに教員が保護者に持ち物の基準などを伝える「保護者スタンダード」、また教室内では「授業開始時にはHB1本、B1本の鉛筆を机の右上に」といった準備動作など「児童の行動スタンダード」まで登場しています。

一部には「ブラック校則の低年齢化」などという批判も聞こえてきますが、現場としては切実なものがあるようです。ベテラン教師が引退する一方で、優秀な人材は集まらず、研修の時間も取れない、そんな中で学級運営を何とか維持する一方で、保護者との関係ではトラブルを未然に防止したい、そんな切羽詰まった状況が背景にあるからです。そうした中から生まれた緊急避難的な対策だということを考えると、一方的に批判して済ませることはできません。

そうは言っても、一つだけ強く申し上げたいことがあります。仮に、前思春期までの規範を厳しくしないと組織としての小学校が回らないとします。どうしてもそうしなくてはならないのであれば、反対に思春期教育に関しては個々人の生徒の人格を尊重し、自発的なモチベーションを引き出す方向にスイッチする、そのような全体設計をぜひお願いしたいということです。

低学年に甘く、思春期を規則で縛る方法論よりは、人材育成ということでは、その方がアウトプットは改善すると考えられるからです。

さらに、この「スタンダード」というネーミングに関しては一考するべきと思います。そもそも「スタンダード」という言葉の発祥は、アメリカにおける「ナショナル・スタンダード」から来ています。その源流は、1980年代から90年代初頭における「日米構造協議」に端を発するものです。

この時、日本からアメリカに「集中豪雨的な輸出」がされるとして、激しい貿易摩擦が起きましたが、その一つの解決策として日米の外交や経済の高級官僚が「お互いに学ぶことで、お互いの社会の構造を変えるべきだ」として大激論を続けたのが「構造協議」でした。

アメリカから日本へは、主として民間活力や規制改革への提言がされました。一方で、日本からアメリカに突きつけたのは「一部のエリートだけを育て、残りの人材は放置されるアメリカの教育」は欠陥であるとして、「分厚い中間層を育てるべき」という指摘だったのです。



日本側では、結局のところ社会の改革は既得権益層の抵抗にあって進まず、結果的にその後の30年で日本経済は大きく傷んでしまうこととなりました。その一方で、アメリカではクリントン政権時代に「K(キンダーガーテン、つまり幼稚園の年長)から12(高校の最高学年)」に至る13年間の主要科目について「全国標準の到達度目標」が設定され、まがりなりにも教育改革が進んだのです。

この改革は100%成功したとは言えず、現在でもアメリカでは低い教育水準に苦しむ貧困層は少なくありません。ですが、結果的にこの改革が行われたことで上位100校くらいまでの大学における学力の底上げには成功したのです。これが90年代のIT革命、2010年代のAI革命の基盤になっています。

日本としては、相手が日本の提案を活用して経済的な躍進を遂げた一方で、自分たちの改革には失敗したわけで、全体のストーリーは極めて「ほろ苦い」ものがあります。それでも文科省は、今般の中教審答申にもあるように「義務教育の使命の明確化」のなかで「義務教育の内容・水準は、ナショナル・スタンダードとして、全国的に一定基準以上のものを定め、その実現が保障されることが必要」ということを改めて確認しようとしているのです。これは現在進行中の教育改革の中核を成す考え方と言っても良いと思います。

現在、全国の小学校で進んでいる規範や方法論の「スタンダード」というのはあくまで、この到達度の「ナショナル・スタンダード」を実現するための方法論で、しかも人材確保の問題や、学校と保護者の関係再構築の途上というなかでの「緊急避難的」なものだと思います。

規範はあくまで方法論であり、目的は到達度ということ――この順序が狂っては国家的な損失を生むのではないでしょうか。その意味で、現在全国の小学校で進んでいる規範のパッケージを「スタンダード」と呼ぶ習慣については、やはり名称の再考を望みます。


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