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夢と消えた「中国の60兆ドル金融市場」 米中対立で「儲け話が暗転」...国家安全保障を最優先する習近平

ニューズウィーク日本版 2023年8月31日 17時27分

<中国政府系資金で米英企業を次々と買収していたことが明らかに。だが中国金融市場で儲けようとする試みには暗雲が立ち込めている>

[ロンドン発]英紙フィナンシャル・タイムズ(電子版8月29日)は米金融大手ゴールドマン・サックスが中国と西側諸国の緊張が高まる中、中国の国家マネーで設立されたファンドを利用して英国政府にサービスを提供するサイバーセキュリティー企業を含む米国や英国の先端企業を買収していると報じた。

英国政府関係者は「国家安全保障上の懸念がある場合、躊躇なく権限を行使する」と同紙に話している。米金融を隠れ蓑に使った中国による西側諸国の企業買収や人権弾圧に関係している中国企業への投資に対する監視の目は一層厳しくなっている。ドナルド・トランプ前米大統領の対中強硬路線とデカップリングはジョー・バイデン米大統領にも引き継がれている。

フィナンシャル・タイムズ紙によると、ゴールドマン・サックスは、中国政府系ファンドの中国投資有限責任公司(China Investment Corporation)とともに2017年に設立した25億ドルのプライベート・エクイティ「パートナーシップ・ファンド」の資金を使い、グローバル・サプライ・チェーンを追跡するスタートアップなど7件の買収を行った。

クラウド・コンピューティングに関するアドバイスを提供するコンサルティング会社や薬物検査会社、人工知能(AI)、ドローン(無人機)、電気自動車(EV)のバッテリーに使用されるシステムの製造会社などが含まれる。こうした先端企業への投資は発表済みだが、中国政府系ファンドの資金が含まれていることは明らかにされていなかった。

インデックス・ファンドを通じた中国投資の問題点

ゴールドマン・サックスは 「中国・米国産業協力パートナーシップ・ファンドは米国のマネジャーによって運営される米国のファンドであり、すべての法律と規制を順守するよう管理されている。このファンドは米国企業やグローバル企業への投資を続け、中国市場への販売拡大を支援している」と同紙に説明している。

人権英団体「香港ウオッチ」は昨年12月、MSCIエマージング・マーケット・インデックスなどを通じて、世界最大の米資産運用会社ブラックロックやスイスの金融大手UBS、英アセットマネジメント企業シュローダー、世界最大の年金基金が中国新疆ウイグル自治区の少数民族弾圧への関与が濃厚な中国企業に投資していると指摘している。

香港ウオッチの共同設立者ジョニー・パターソン氏は「MSCIエマージング・マーケット・インデックスに採用されている13社は中国当局のウイグル族強制労働や収容所建設に関与していることが知られている。国際的な金融機関が人権やESG(環境・社会・ガバナンス)の『S(社会)』をどれほど真剣に受け止めているかという深刻な疑問が生じる」と語る。

カナダの年金制度投資委員会(CPPIB)や公務員年金基金、大学基金、ブリティッシュコロンビア州、オンタリオ州、アルバータ州、ケベック州の年金基金もMSCIエマージング・マーケット・インデックスなどの「インデックス・ファンド」を通じて、中国当局の人権弾圧に加担していることが濃厚な企業に投資していた。

「次は民主主義の自由が奪われる」

英投資プラットフォーム会社AJベルの取締役会議長を務めたヘレナ・モリッシー氏は「西側諸国はすでに中国に経済的に依存するようになり、多くの人々にとって撤退は不可能と思えるのかもしれない。しかし敗北主義は非常に危険だ。今日行動を起こすのは難しく思えても、明日はもっと難しくなる」と警鐘を鳴らしている。

00年3月、当時のビル・クリントン米大統領は「世界貿易機関(WTO)に加盟することで、中国は単にわが国の製品をより多く輸入することに同意しているのではなく、民主主義が最も大切にしている価値観の一つである経済的自由を輸入することに同意しているのだ」との考えを示した。

「中国が経済を自由化すればするほど、中国国民の潜在的な能力、すなわち自発性、想像力、卓越した企業精神がより完全に解放されることになる」ともクリントン氏は強調した。しかし「そんなことは起こっていない。その代わり、西側は産業力を手放したのだ。次は民主主義の自由が奪われるかもしれないと懸念するのは突飛な話ではない」(モリッシー氏)

20年、中国の習近平国家主席は外資系保険会社が中国保険市場の4分の3を占める生命保険を提供する100%出資会社を設立したり、外国人が全額出資の投資信託運用会社を設立したり、海外企業が先物取引を行うために独自の事業体を設立したりできるようにする金融市場の開放政策を進めた。

19年の地方銀行を皮切りに、証券会社、投資信託会社、生命保険会社、先物取引会社の完全な外国人所有を許可しだしたため、「中国の60兆ドル金融市場」にブラックロック、JPモルガン・チェース、ゴールドマン・サックス、HSBC、バンガード、シュローダーといった米英の巨大マネーが一斉になだれ込んだ。

習氏「金融安全保障は国家安全保障の重要な一部」

香港ウオッチのパターソン氏によると、習氏は17年、中国共産党中央政治局メンバーの勉強会で「金融安全保障は国家安全保障の重要な一部である」と強調した。パターソン氏は早くから「中国共産党の国家安全保障の概念は広範囲に及ぶ。中国が無条件で金融市場を開放すると信じている強気の投資家はもう一度考えるべきだ」と注意を呼びかけていた。

米ブルームバーグは今年5月、「中国の金融開放から3年以上が経過し、ウォール街大手にとって60兆ドル市場からの大儲けの夢がこれまで以上につかみどころがないことが明らかになりつつある」と指摘。米国のJPモルガン、シティグループ、バンク・オブ・アメリカ、モルガン・スタンレー4行の中国へのエクスポージャーは昨年、前年比で16%も減った。

習氏によるテック企業の規制強化、不動産バブル崩壊、米中対立で、フィナンシャル・タイムズ紙のケイ・ウィギンス記者は「米国投資銀行にとって、中国がより厄介な存在になりつつある。中国企業の株式をオフショアで売却することは、かつては儲け話であったが、もはやそうではない」と強調する。マネーの世界も2つに分断し始めている。


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