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関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する動きを憂う

ニューズウィーク日本版 2023年9月1日 21時21分

<歴史的事実として認められた事件でも、日本人の加害性を否定しようとする傾向に拍車がかかっている>

2023年の9月1日は、関東大震災からちょうど100周年の日になる。関東大震災は、地震や火災により10万人もの犠牲者を出した一方で、朝鮮人を中心とする、多数の人々に対する虐殺が行われた。その犠牲者は6000人ともいわれる。

しかしこの節目の年に至るまでの数年は、朝鮮人虐殺事件について意図的に風化させたり事実をねじ曲げようとしたりする動きが拡大した時期でもあった。また、朝鮮人虐殺だけでなく、公共の場から日本の負の記憶を排除するニュースが最近は相次いでいる。今こそ、元ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」という言葉を思い出すべき時だろう。

小池百合子都知事の追悼文見送り問題

2016年に就任した小池百合子都知事は、2017年以降、それまでの都知事が行ってきた9月1日の朝鮮人追悼式典に追悼文を送るのを取りやめている。関東大震災の慰霊大法要で全ての震災被害者を追悼しているという理由によるものだが、自然災害ではなく明確な意図をもって行われたジェノサイドの犠牲者であるという性質上、朝鮮人虐殺は震災による被害者とは別に扱われるべき特別性があるはずだ。都知事は朝鮮人虐殺の歴史を認めるかどうかについて、直接的に明言することを避けており、虐殺を否定したいか、少なくとも過小評価する意志があるとみられても仕方がない。

この小池都知事のスタンスに合わせてか、東京都ではこの朝鮮人虐殺に触れることを忌避するような動きが広がっている。2022年には、「東京都人権プラザ」の企画展で上映される予定だった美術家の飯山由貴氏の映像作品が、「朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用することに懸念がある」という理由で上映中止に追い込まれた。企画展のテーマは精神疾患であり、朝鮮人患者が出てくる映像作品の中で、関東大震災の朝鮮人虐殺に触れるシーンがあった。そこが問題視されたのだ。しかし「懸念」も何も、流言飛語によって多数の朝鮮人が虐殺されたという、当時から多数の目撃証言があり、それらをまとめた学術研究も複数存在している歴史事件を事実として言及することに何の憚りがあるだろうか。しかもこの通達を出したのがよりによって東京都の人権部であるという、笑えない冗談のような事態が東京都で起こってしまっているのだ。

2017年に小池都知事が追悼文の送付をやめてから、墨田区にある関東大震災における朝鮮人虐殺慰霊碑のすぐそばで、「そよ風」など複数の右翼団体が「真実の」「慰霊祭」を行うようになった。それは朝鮮人虐殺を否定するもので、「不逞鮮人」などという、まさに当時の虐殺者が用いていた差別的な言葉が飛び交う。その理屈は、現在ではデマだと分かっている関東大震災時の朝鮮人の犯罪を報じた新聞記事を根拠に、虐殺を否定しむしろ朝鮮人こそを加害者であるとする、二重三重に歴史認識を後退させたものだ。差別的であるだけでなく歴史学の議論にも到底耐えうるものではない言説が勢いを増しているのは、事実を事実と認めることすらしない東京都の態度も一因だろう。

国レベルでもおかしなことが起きている。8月31日、松野博一官房長官は関東大震災時の朝鮮人虐殺について「調査した限り、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」と述べた。そんなはずはない。2008年の中央防災会議の報告書では明確に朝鮮人虐殺についての報告記述があるし、関東大震災当時の裁判記録など含めて政府内で保管されている文書はいくらでもある。1923年の朝鮮人虐殺について、事実関係を認め、過ちを二度と繰り返さないよう言明してはならない空気が、この国に広がってしまっているようだ。

排除は朝鮮人虐殺の記憶以外にも

2022年5月に開設した長野県飯田市の平和祈念館では、展示される予定だった731部隊のパネルが非公開のままになっている。731部隊は、アジア太平洋戦争中の中国で細菌兵器の開発や人体実験を行った日本軍の部隊だ。歴史学的には研究は揃っているにもかかわらず、これも日本政府は資料が不足しているとしていまだにその事実を公的に認めていない。この部隊の公的な記録は証拠隠滅のため終戦時に焼却されたりアメリカ側に提供されたりしてほとんど残っていないが、2014年にはないとされていた資料が実は存在したり、今年8月にも新資料が発見されたりしたので、政府の調査不足もあるに違いない。

また、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」にある太平洋戦争中に労務動員された朝鮮人労働者の追悼碑について、県は追悼碑の設置時に「政治的行事を行わない」という条件を付けていたが、2014年、「条件違反の「政治的発言」があった」として撤去を要請していた。慰霊碑を設置した市民団体は、撤去の取り消しを求めて裁判を行っていたが、今年6月の最高裁で県側の主張が認められた。県が問題視したのは、2012年の同地での追悼式で、強制連行の事実を日本政府が認めないことや、民族教育への迫害を批判する発言、日朝友好を求める発言、また正しい歴史認識を持つべきだという発言が出たことであった。しかし追悼行事の中で一部の参加者からこうした発言が出たからといって、追悼碑自体を撤去するのは行き過ぎだと考える。追悼碑の性質上、参加者の発言を完全に非政治化することは難しく、それを行政が厳密にチェックするならば、検閲にあたるだろう。「政治的発言」が出たからといって即座にそれが「政治的行事」であるとはいえない。約束違反だと判断するには、より慎重な検討が必要ではなかったか。

過去の悲劇から学ぶべきこと

自分たちの国が犯してしまった様々な過ちを直視することは難しい。世界的にも奴隷制や侵略戦争、植民地支配などを負の歴史認識として拒否する人々は多い。しかし敢えて過ちを認め、それらを国家のアイデンティティの一部とすることによって、二度と負の歴史を繰り返さないと決意することが大切なのではないだろうか。

関東大震災から100周年である9月1日のこの日を、歴史否定ではなく、民族差別・ジェノサイドに対する戒めの日として、しっかりと迎えたい。



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