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処理水放出、なぜ中国だけが怒り狂う? 日本叩き「真の狙い」とは

ニューズウィーク日本版 2023年9月5日 13時30分

<日本に難癖をつけようと事実を無視して、メディアを統制し庶民の怒りに火を付ける動機>

「歴史は巡る」と言われるように、中国4000年の歴史にも周期的な変化がある。王朝のサイクルは「朝代更替」、良い統治と悪い統治のサイクルは「治乱循環」と呼ばれる。そして1949年に共産党の統治が始まってからは反日感情の高まりが周期的に繰り返されるようになった。

最近では2012年に日本が尖閣諸島(中国名・釣魚島)を国有化したことをきっかけに反日ムードが高まり、BBCの14年の世論調査では日本が嫌いと答えた中国人は過去最高の90%に上った。

その後に事態は多少改善したものの、今また同じような騒ぎが繰り返されている。きっかけは福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出を中国政府が激しく批判し、日本産水産物の輸入停止にまで踏み切ったことだ。

もっとも過去の日本たたきと比べ、今回の騒ぎは異質さが際立つ。中国政府は通常、地理的・歴史的な「根拠」や古文書の記載などに基づく自国の解釈を「動かしようのない事実」と主張し、国内外でプロパガンダを繰り広げて、国民の怒りや憎悪をあおる。

ところが今回は日本政府の海洋放出を「無責任」と断じるばかりで、処理水の安全レベルという肝心要なポイントについては、ひたすら事実を無視するか曖昧にしている。IAEA(国際原子力機関)の調査団が検証を行い、処理水の放出は「国際的な安全基準に合致」し、人や環境への影響は「無視できる程度」と結論付けたにもかかわらずだ。

中国政府はなぜ今回、「事実」をめぐる議論を避けているのか。今の騒ぎの異質さを深掘りすると、中国人の反日感情の深層が見えてくる。日本バッシングが中国の庶民にもたらす効能、中国の社会政治体制に果たすその機能、さらには中国の支配層がさまざまな問題を口実にして反日感情をあおり、利用する巧妙極まりない手口も......。

官制NGOが運動を主導

中国の社会政治体制は古代から今に至るまで極端なヒエラルキー型の硬直的なシステムだ。毛沢東時代には誰もが「人民服」を身に着けていて、外国人の目にはいかにも平等な社会に見えたかもしれない。だが、その人民服でさえ縫製や素材などに細かな共産党の規定があり、中国人が見ると着用者の政治的地位が一目で分かったものだ。

これほど徹底した階層社会では、当然ながら階層の上位者が下位者を経済的に搾取し、肉体的・心理的な虐待を加える。マルクス主義が想定するのは資本家と労働者の2つの階級だが、中国社会はさらに抑圧的でありながら、安定している。各中間階層で個人は抑圧者であると同時に被抑圧者だからだ。

上位者にいじめられた人間は自分よりも下位の人間をいじめて憂さを晴らすものだが、最下層に位置する人間はどうやって鬱憤を晴らすのか。そう、サンドバッグ代わりの対象を攻撃するのだ。

共産党支配が始まった当初は地主が「人民の敵」としてサンドバッグになった。その後は「資本主義に走る特権的官僚」のレッテルを貼られた鄧小平ら「走資派」がその役目を果たし、鄧の時代、そして今の習近平(シー・チンピン)時代には、「小日本」がたたかれることとなった。

皮肉なことに、抑圧された人々はその時代のサンドバッグをたたきまくって憂さ晴らしをする一方で、深層心理ではたたく対象にひそかに憧れている。貧しい農民は建前としては地主の不当な搾取を非難しつつ、本音では毛沢東式の農業の集団化に不満を抱き、自分も農地を所有したいと思っていた。走資派を目の敵にしていた人々も鄧が市場経済を導入するや、われ先にと起業し、投資を行った。

処理水問題で嫌がらせ電話をかけまくった中国人も、日本に観光に行きたいと思い、日本製品を爆買いしたいと思っている。それでも日々の現実に戻れば、日本たたきをして習政権の体制維持に貢献し、エゴを満足させるのだ。日頃から鬱憤がたまっていれば、大使館に投石して愛国的ヒーローとたたえられることに喜びを見いだすようになる。

ただ、際限なき日本たたきは「ブーメラン」になる恐れもある。現地のトヨタ工場やイオンモールに人々が石を投げすぎて困るのは誰か?

しかしその点の心配は要らない。そうなる前に党指導部はブレーキをかける。間違ってはいけないのは、反日デモは自然発生的に見えるかもしれないが、実際は入念に演出されたものであるということ。党は草の根レベルの党細胞によって統制された「愛国組織」を通じて暴発を操作し、微調整することができる。

「中国民間対日索賠連合会」「中国民間保釣連合会」などがそれに当たる。名目上はNGOだが、実際は党によって厳しく管理されている。そしてこれらの組織は反日活動に熱心になりすぎて暴走すれば、解散させられる。

いい例が「愛国者同盟網」だ。「毛左(毛沢東を妄信する急進左派)」として知られるネット上の組織だが、03年に上海〜北京間の高速鉄道への日本の新幹線の導入阻止に一役買った。当時の党指導部(胡錦濤〔フー・チンタオ〕国家主席と温家宝〔ウエン・チアパオ〕首相)は日本の技術を好んでいたにもかかわらず同盟網が珍しく勝利を収めたが、その後解散に追い込まれた。

共産党が利用する反日問題のほとんどは、党の支持者たちには関係がない。例えば党が好まない歴史観の教科書が日本で出版されたとか、日本の閣僚が靖国神社を参拝したとか、尖閣諸島付近の海域に侵入した中国漁船を海上自衛隊の艦船が追い払ったといったことは、彼らには遠い話だ。

このような問題に声を上げる反日デモ参加者は、何の不都合もなく純粋に満足感を得られる。だから「愛国的」になりすぎて日本がもたらす利益や有益な外交関係までも危うくしないため、党指導部はしばしば自制を求め、事態を収拾する必要に迫られる。

自発的行動と錯覚させる

しかし、共産党が目立たせたい対日問題で、潜在的なデモ参加者にデメリットをもたらすものもある。そのような場合、党は人々に騒ぎを起こす動機付けを与えるか、彼らをだまし、自発的に行動を起こしたかのように錯覚させる嘘をつかなければならない。

その例が福島原発の問題だ。中国共産党は、日本の岸田文雄首相の台湾主権に関する立場や自由で開かれたインド太平洋を重視する姿勢、日本政府の防衛関連予算の大幅増額が気に入らず、原発問題を利用して日本を苦しめたい。

しかし、共産党が中国国内で福島原発の話を思いどおりに展開させるには、放出された処理水は非常に有害であると主張しなければならない。そうなると、日本の水産物の輸入を全て止めるべきということになるし、日本の海鮮料理店の経営者たちや日本の海の幸を好む中国人は、たちまち不満になる。

しかし処理水放出に問題がないことはデータが明確に示している。だから今回、反日感情をたきつけるため、党は公然と事実を無視し、中国メディアから正しい情報を検閲するという手段に出た。非常に邪悪だが、「賢い」動きではある。

練乙錚(リアン・イーゼン、経済学者)

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