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タイ、帰国後収監されたタクシン元首相に仮釈放の可能性 シナリオ通りとの批判で反政府運動の危機も

ニューズウィーク日本版 2023年9月6日 18時35分

<新首相が決まったのもつかの間、政情不安化に向かうのか?>

5月の総選挙から紆余曲折を経てようやく新首相、閣僚が決まったタイでは帰国したタクシン・チナワット元首相(74)の処遇が最大の焦点となっている。そのタクシン元首相は帰国後禁固8年で収監されたものの、国王の恩赦で1年に減刑され、そしてさらに保釈で早期釈放の可能性が出てきた。こうした一連の動きが報道されると「最初からそのシナリオができていたのではないか」「政権との出来レース」などという憶測が飛び交う事態になっている。

タクシン元首相を支持するタイ貢献党は自党の実業家セター・タビシン氏を新首相候補として擁立し、親軍派や保守派の支持を取り付けた多数派工作でセター氏を新首相に選出した。

この国会での首相選出に合わせ、タクシン元首相は 8月22日に「海外逃亡先」の中東からシンガポール経由でバンコクに15年ぶりに帰国を果たした。在任中の汚職などによる禁固8年の実刑が課されていたタクシン元首相は直ちに刑務所に収監された。

しかしタクシン元首相は心臓や肺の疾患、高血圧による体調不良を訴えて同日深夜には医療設備の整った警察施設の特別病棟に移送され、そこで加療を受けながらの服役となった。

さらに9月1日にはワチラロンコン国王による恩赦で刑は8年から1年へと大幅に減刑され、その結果1年後の釈放が現実問題となっていた。

こうした動きをタイ貢献党関係者やタイ東北部の農民、貧困層などの熱心なタクシン元首相支持派はおおいに歓迎し、早期釈放で政界復帰への期待が高まっていた。

弁護士が仮釈放に言及

こうしたなか、タクシン元首相の弁護士が元首相の健康状態を理由に「早期の仮釈放を申請する可能性」に言及したのだ。

タイの法律によれば仮釈放の条件は刑期の3分の1を経過していることとされている。このためタクシン元首相は現在の禁固1年の3分の1である4カ月が経過した時点で仮釈放が申請できることになる。このため早ければ2024年1月にも仮釈放の申請手続きが可能となり、申請が認められれば仮とはいえ釈放されることとなるという。

ただ健康状態が仮釈放申請の理由となるため、仮釈放後は医療機関での治療が必要となる見通しで、直ちに政治活動を再開はできないとの観測が有力だ。

シナリオ通りの展開との見方も

こうした帰国、刑務所収監、警察病院への移送、国王による恩赦という一連のタクシン元首相の処遇をめぐる目まぐるしい動きは「帰国前からタイ貢献党関係者との間でできていたシナリオであり、それに沿った一連の動きではないか」との見方が出ているのも事実だ。こうしたシナリオにはタイ貢献党関係者だけではなく、プラユット前首相自身ないしはその周辺も関わっていたのではないかとの疑惑も浮上している。

実際、総選挙で野党第一党となった「前進党」のピタ党首の首相選出を上院のプラユット前首相支持派や親軍勢力が反対して阻み、第二党だったタイ貢献党が前進党抜きの連立を形成し、プラユット前首相が新設した「タイ国家団結建設党」や親軍政党「国民国家の力党」など11党と組んで新政権を誕生させたここ1カ月あまりのタイ政界の動きは、プラユット前首相の復活シナリオを実現させるためとの見方を納得させるものがある。

さらにこうした情報に加えてタクシン元首相の健康状態に関してもシナリオ通りの展開のための「偽症状」ではないかとの詐病説までささやかれている。

こうなるとタクシン元首相のタイでの「政界復帰ありき」で前政権とタイ貢献党の間でひそかに結ばれた密約の存在が疑われ、それが前政権の影響力を残した人物の新内閣への入閣にまでつながっているのではないかと、タイ政界の闇を指摘する声も出ている。

反政府運動の懸念も

タイ貢献党のセター氏を新首相とする新内閣の閣僚34人が掲載された名簿は9月1日のワチラロンコン国王による承認を得て2日に官報で発表され新政府が実質的にスタートした。

ただ、第一党になりながらピタ党首の首相就任が阻止されて新政権から疎外された形の前進党の支持者、さらに反軍、反クーデターの立場で選挙戦を戦って支持を集めたタイ貢献党の支持者の中にはこうした一連の動きに対する不満が渦巻いている。

そのため、バンコク市内の国会周辺や繁華街、地方都市での反セター内閣の反政府運動が盛り上がるとの懸念も払しょくできない状況だ。2010年にタクシン支持派の赤シャツ集団がバンコク市内中心部や郊外のスワンナプーム国際空港を占拠した「バンコク・ロックダウン」のような状況が生まれる可能性も否定できないといわれ、タイ情勢は予断を許さない状況となっている。

[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

大塚智彦

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