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イスラエル人とは何かを掘り下げる、『6月0日 アイヒマンが処刑された日』

ニューズウィーク日本版 2023年9月6日 18時45分

<アルゼンチンに潜伏するアイヒマンの逮捕劇やエルサレムでの裁判は、これまでにも描かれてきたが、アメリカ人監督パルトロウが注目したのは、死刑を宣告されたアイヒマンの最期だ......>

ユダヤ人の血を引くアメリカ人監督ジェイク・パルトロウが、イスラエルを訪れて作り上げた『6月0日 アイヒマンが処刑された日』は、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンにまつわる歴史に新たな光をあてることがその出発点になっている。アルゼンチンに潜伏するアイヒマンの逮捕劇やエルサレムでの裁判は、これまでにも描かれてきたが、パルトロウが注目したのは、死刑を宣告されたアイヒマンの最期だ。

たとえば、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』(みすず書房、2017年)では、最高裁が判決を下してから2日後の1962年5月31日に、イスラエル大統領が一切の恩赦請願を却下し、その数時間後にアイヒマンは絞首され、死体は焼却され、灰はイスラエル領海外の地中海にまき散らされたというように説明されている。本作のプレスにあるパルトロウのインタビューによれば、火葬を行わない文化・宗教において、それが実行された事実に興味を覚えたことが作品の発端になったという。そこでリサーチを進め、火葬のための焼却炉が作られた工場で働いていた人物の証言が得られたことで、ストーリーが形になっていった。

アイヒマンの処刑や火葬に関わる3人の人物

本作はアイヒマンという存在がなければ成り立たないが、彼は主人公ではないし、顔も映らない。主人公は、それぞれに異なる立場でアイヒマンの処刑や火葬に関わる3人の人物であり、その造形が印象的なコントラストを生み出すことで、パルトロウ独自の視点が見えてくることになる。

そんな特徴ある人物たちを見ながら筆者が思い出していたのは、エフゲニー・ルーマン監督の『声優夫婦の甘くない生活』を取り上げたときに引用したドナ・ローゼンタールの『イスラエル人とは何か』のことだ。そこには、ユダヤ人国家を構成する人々のことが詳述されている。

『声優夫婦の甘くない生活』の主人公であるロシア系もそのひとつだが、ここで注目する必要があるのは、「アシュケナジム」、「ミズラヒム」、「セファルディム」という3つの集団だ。

アシュケナジムは、ヨーロッパからやってきたエリート層で、イスラエルを建国したパイオニアの子孫や、ホロコーストを生き延びて第二次大戦後にやってきた人々などが含まれる。これに対して、ミズラヒムはイスラム教圏出身の人々で、セファルディムはイベリア半島から各地に四散していった子孫たちだ。ちなみに、ミズラヒムも含めてセファルディムと呼ばれることも多いが、ローゼンタールは、ミズラヒムのルーツがイベリア半島にはないという理由で、ふたつを明確に分けている。

そんな3つの集団を頭に入れておくと、本作でアイヒマンの処刑や火葬に関わる主人公たちの立場がより興味深く思えてくるだろう。まず注目したいのは、1年前に父親や弟とリビアからやってきた少年ダヴィッド。本作は1961年、彼が通う学校の場面から始まる。教室では授業を中断して先生と生徒たちが、アイヒマンの裁判の判決を伝えるラジオに聞き入っているが、ダヴィッドは放送を無視して勝手な行動をとり、先生から「歴史的瞬間だぞ」とたしなめられる。その先生はアシュケナジムであり、その後も授業の邪魔をする彼に、「君はユダヤ人に属するか? 君はイスラエル人か?」と問いかける。

ダヴィッドの父親は彼を町はずれの鉄工所に連れていく。社長のゼブコが炉のなかに入って掃除ができる人間を探していたからだ。それをきっかけに、ダヴィッドは学校を抜け出して鉄工所に入り浸るようになるが、そんなときにアイヒマンを火葬にするための小型焼却炉を作るという極秘プロジェクトが舞い込むのだ。

ローゼンタールの前掲書には、ユダヤ人の現代史ではめったに語られないミズラヒムのユダヤ人について、以下のように説明されている。

『イスラエル人とは何か ユダヤ人を含み超える真実』ドナ・ローゼンタール 井上廣美訳(徳間書店、2008年)

「一九四〇年代、アラブ・イスラム民族主義が台頭すると、中東や北アフリカで反ユダヤの暴力が吹き荒れた。(中略)一九四八年から一九六〇年代までの間に、イエメン、イラク、エジプト、シリア、レバノン、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、イラン、アフガニスタンといった国から、計八七万人のミズラヒムが脱出した。このうち、イスラエルにやってきた難民は六〇万人」

さらに、両親がイエメン出身で、テルアビブの貧困地区で育った少女が語る学校の話も参考になるだろう。学校の教科書はアシュケナジムの視点で書かれ、勉強するのはヨーロッパのユダヤ人やホロコーストのことばかりで、貧しいミズラヒムやアラブ系ユダヤ人のことはまったく出てこない。「私だって仲間に入れてほしかった。でも、私の話なんて教科書にはありませんでした。私たちの文化なんて数に入ってないように見えました」

ダヴィッドもそんなミズラヒムのひとりで、ずっと周縁に追いやられてきたが、焼却炉作りに加わることで歴史と関わる。そんな彼には帰属意識が芽生え、高まっていく。

スペイン語で会話する二人

次に、アイヒマンが収監されているラムラ刑務所で、アイヒマンの警護にあたる刑務官のハイム。彼は本人が語るようにモロッコ出身だが、単純にミズラヒムとはいいがたいところがある。

彼は有力な地位にあり、刑務所の所長から、処刑直後にアイヒマンの遺体を所内で内密に火葬し、灰にする計画の遂行も任されている。そこでハイムは、焼却炉のプロジェクトを、イスラエル独立闘争の戦友であるゼブコに委ねた。さらにもうひとつ見逃せないのが、ハイムとアイヒマンがいつもスペイン語で会話していることだ。

彼が単にモロッコのスペイン語を話す地域からやってきただけなのか、あるいはイベリア半島をルーツとするセファルディムの文化と深い関わりを持っているのかは定かでないが、明らかにダヴィッドの立場とは一線を画す人物に設定されている。

そして3人目の主人公が、イスラエル警察の捜査官ミハだ。前半では彼の立場や行動は間接的にしか描かれない。本作では、アイヒマンの裁判そのものはまったく描かれないが、ラムラ刑務所で顔を合わせたミハとハイムの会話から、ミハはアイヒマンの取調官として、ハイムは護衛として裁判に臨んでいたことがわかる。ハイムはそのときのことを振り返り、法廷で自らのホロコースト体験を証言したミハを"真の英雄"と称える。そんな会話から察せられるように、ミハは大戦後にイスラエルにやってきたアシュケナジムなのだ。

ダヴィッドとハイムとミハが、それぞれに異なる集団を代表しているだけであれば、それは図式に過ぎない。しかし本作では、アイヒマンの運命が彼らそれぞれにとって大きな分岐点となる。

ミハとダヴィッドの分岐点はある意味で対照的といえる。ミハは前半では、アシュケナジムの一集団を代表しているだけのように見えるが、後半でホロコースト以外にも心に傷を負っていることが明らかになる。ミハがイスラエルにやってきたとき、管理官は彼の体験を作り話と結論づけた。それ以来、彼は過去について口を閉ざすようになっていた。つまり裁判は、彼が歴史との繋がりを取り戻す機会となる。

一方、焼却炉作りに加わることになったダヴィッドは、限られた時間のなかで重要な役割を果たす。彼がいなければ火葬は失敗していたかもしれない。それほど深く歴史に関わっていたが、極秘プロジェクトだったために、事実は封印されてしまうのだ。

アイヒマンにまつわる歴史からユダヤ人の多様性へ

では、ハイムの場合はどうか。アイヒマンを警護する彼が、裁判などでホロコーストについて知れば知るほど、重圧がのしかかる。常に神経を尖らせ、疲労が滲む彼は、アイヒマンからも心配される。そして、アイヒマンの要望で床屋が呼ばれる場面のやりとりなどは、滑稽ですらある。

ハイムは床屋に「東欧系ユダヤ人にはナチを警備させない。ホロコーストの生存者と家族は近寄らせない。中東と北アフリカだけ。俺は見た通りモロッコ出身だ」と語る。彼は警護のためにそんな線引きを余儀なくされ、疑心暗鬼にとらわれている。床屋は自分がトルコ系だと主張するが、ハイムにはその顔がヨーロッパ人に見えるのが気になる。床屋がハサミを入れるときには、一回ごとに許可を求めるように命じるが、ハサミを見つめるうちに、床屋の腕に識別番号が刻まれている妄想にとらわれ、銃を抜く始末なのだ。

パルトロウ監督は、アイヒマンにまつわる歴史からユダヤ人の多様性へと視野を広げ、独自の視点でイスラエル人とは何かを掘り下げている。

『6月0日 アイヒマンが処刑された日』
9月8日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
(C)THE OVEN FILM PRODUCTION LIMITED PARTERNSHIP



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