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イーロン・マスクからスターリンクを買収することに決めました(パックン)

ニューズウィーク日本版 2023年9月9日 16時49分

<衛星通信サービス「スターリンク」は世界の命運を左右するポテンシャルを持つ画期的なもの。だけど、それが「特殊な一般人」イーロン・マスクの手に握られていていいの?>

すみません、誰か10兆円貸してくれない? 買いたいものがあって、クレジットカードを切ってもいいんだけど、限度額を9兆9999億9950万円ほど超えてしまうんだ。

買いたいのは今話題の「スターリンク」。これは、小さなパラボラアンテナを設置し、ルーターにつなげるだけでインターネットへアクセスできる画期的な衛星通信システムだ。僕が買いたいのはアンテナとルーターのセットではない。それは(今半額セール中で!)3万6500円しかしない。自慢じゃないけど、限度額内の数字だ!

そもそも、スターリンクの月額料金(6600円~)より安くて通信スピードが速い光ファイバーが通っている新宿区(個人情報!)に住んでいる僕にこのサービスはいらない。だが世界の中でインフラが整っていないエリアに住んでいる人にとってはゲームチェンジャーになり得るのだ。

スターリンクのコンステレーション(衛星網)には現在5000もの衛星があって、60もの国で利用可能だという。将来的に衛星の数を4万基以上まで増やし、世界のどんな辺ぴな場所からでも利用できる目標を掲げている。いつか相方のマックンが住んでいる杉並区にも、インターネットが来るかもしれない!

このサービス域の広さはスターリンクにとんでもないポテンシャルをもたらしている。そこが最大の魅力だし、僕が欲しくなる理由だ。そして欲しいのはアンテナやルーターではなく、スターリンクというシステムそのもの。だから高くつきそうなのだ。

スターリンクは群を抜いて優秀

スターリンクのすごさに世界中の人が目覚めたきっかけはウクライナ戦争。ロシア軍の攻撃によって従来の通信インフラが破壊され、光ファイバーも電波もない街や戦場からでも、ロシアの攻撃が届かない宇宙経由で情報通信を可能にしたことが革命的だった。スターリンクはウクライナの民間人にも軍にとっても命綱になった。

今の時代、衛星通信網の安全保障上の意義は単なる連絡手段だけに留まらない。戦争で実際に武力を使う場合、「目標の識別」、「標的への武力特派」、「攻撃の決定と命令」、「実行」、「成果の評価」といった過程を踏む。この流れはキル・チェーンと呼ばれるが、その全ての段階に通信がかかわることもある。

各種センサーや衛星写真による目標の識別や評価も、戦術や手段を決めるリモート会議も、命令の伝達もだ。しかも従来の銃や大砲などと違って、遠隔操作のドローンや発射から目標に当たるまで電波を利用する精密誘導兵器自体も通信に頼っている。

今後、この傾向は加速する一方と思われる。通信力が実力となり、戦場の勝負を決する可能性がさらに拡大するはず。その流れのなか、スターリンクは特に通信の優位性に寄与すると思われる。その理由は2つ。質と量だ。

まずは量。現在、われわれの頭上を飛び交う全衛星の実に半分がスターリンクのものだ。ライバル会社と桁が違う。質としては速さが挙げられる。高度2000キロ以下の「低軌道」衛星のなかでも600キロ以下を周回するスターリンク衛星は高度約3万6000キロの「静止軌道」に乗っている従来の通信衛星と、レイテンシ(遅延時間)やアップロード・ダウンロードの速さがだいぶ違う。

普通にインターネットを使う分には、この差はあまり関係ない。TikTokの動画のダウンロードぐらいなら、全く気にならないでしょう。そんなに早く「踊ってみた」を見なくていい。

だが、戦争においてはこのカバー範囲と速度がキル・チェーンの各段階に、特に兵器の精密さに大きく響く可能性はある。今後、通信衛星網を牛耳る人は戦争の行方を握る。そんな日が必ず来るはず。実は、すでにその将来を仄めかす一件があった。言ってみれば、早い段階で世界が「踊らされた」。

あっ、大事なことを言うのを忘れた。スターリンクという最強の通信衛星網を牛耳っている人というのは、このサービスを展開するスペースX社の創業者、イーロン・マスク氏だ。

このマスク氏に、世界が踊らされた。昨年2月にウクライナ政府の要求に答え、マスク氏はウクライナ国内でスターリンクのサービスを開始した。5月までに、スペースXは4000近くのアンテナやルーターのセットを寄付した。徐々にユーザーが増え、昨年8月までに2万セット以上が配布された。スターリンクはウクライナの生活と防衛に欠かせなくなった。

そこへきて10月にマスクは「過去4カ月のウクライナでのサービス提供で8000万ドルもの損失が出た! 今後12カ月で4億ドルもかかる!」と喚き出し、アメリカ国防省に利用料金を要求した。これを半分恐喝のように感じた人もいるでしょう。

「特殊な一般人」が握る世界の命運

ドナルド・トランプが発信できるよう、アカウント凍結解除のため440億ドルもかけてツイッターを買収した人なら、ウクライナが通信できるよう、4億ドルぐらいかけてもいいんじゃないかな~と思いつつ、スペースXの負担は明らかなのだから、最初から利用料を払ってあげればいいのにと、僕は思った。今年6月にアメリカ政府も同意見になったようで、スターリンクとの正式な契約成立を発表した。

料金設定は未公表だが、「1年で4億ドル」というマスク氏の数字はかなり大げさに感じるのだ。日本でスターリンクの定額サービスを払っても、1年分が7万9200円だから2万セット分が15億8400万円。プランを少し高く見積もって月1万円だとしても、2万個の1年分が(10,000×12×20,000=)24億円だ。合わせてみても計39.8億円。ウクライナのサービスがこれより10倍かかるとしても、4億ドルに届かない。もちろん交渉のとき、アメリカ国防省も同じような計算をしたはずだからきっと......8億ドルぐらいで契約したんだろうね。

しかし、ぼったくられるのが問題ではない。740億ドルもウクライナ戦争にかけているアメリカにとって、4億ドルははした金だ。問題なのは、安全保障上こんなに重要なインフラが1人の民間人の手中にあること。それが誰であっても心配だが、自分の子供に「X Æ A-12」と名付けたり、コロナ関連の陰謀論を広めたり、マーク・ザッカーバーグに金網デスマッチの決闘を申し込んだりするような、少し特殊な民間人だからひときわ心配だ。

特に、昨年、ウクライナ側が領土を譲るというロシア寄りの「和平案」を発表したマスク氏がウクライナの命運を握っていることはウクライナ人にとって大きな不安材料になっているはず。

では先日、通信網強化を目指しスターリンクを使った実証実験を進めている、と発表した自衛隊を擁する日本の皆さんに聞こう。今年5月、テレビインタビューで台湾の併合は「不可避だ」と言ったマスク氏が、自国の防衛のカギを握っていいのでしょうか。忘れないでほしいのは、マスク氏は納車台数の半分以上を上海工場で製造し、中国が自社にとってアメリカに次いで2番目に大きな市場であるテスラ社のオーナーでもあること。やはり少し不安ですかね?

なら、ぜひ誰か僕に10兆円を貸してください!1つも工場を中国に置いていない、1回もザッカーバーグに決闘を申し込んでいない僕が肝心の衛星網を持っていた方が安心ではないか? マスク氏はいくらぐらいでスターリンクを譲ってくれるかわからないが、10兆円あれば何とかなるでしょう。おつりが出るなら、終わったらみんなで飲みに行こう!

おっ、これがまさに衛星の「打ち上げ」になるね!

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