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ブラック・ライヴズ・マター運動と映画の交差: ケネス・チェンバレン事件の衝撃的な再現

ニューズウィーク日本版 2023年9月15日 12時43分

<2011年の事件を中心に、社会的背景や警官とケネスの間の葛藤をリアルタイムで描き出す。この映画は、現代社会の偏見や差別、そしてそれに起因する悲劇を鋭く浮き彫りにする......>

アメリカ各地の映画祭で注目を集めたデヴィッド・ミデル監督の『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』は、無実の黒人が集合住宅の自分の部屋で、白人警官に殺害された事件に基づいている。

2011年11月19日午前5時22分、双極性障害を患う黒人の元海兵隊員ケネス・チェンバレンは、医療用通報装置を誤って作動させてしまい、会社からの通報によって警官たちが安否確認にやってくる。ケネスは緊急事態ではなく誤作動であることを伝えるが、警官はドアを開けるのを拒む彼に不信感を抱き、押し問答になる。

そして、警官到着から90分後の午前7時、ケネスはドアを壊して入ってきた警官に撃たれ、死亡する。何も罪を犯していないケネスは、なぜ殺されなければならなかったのか。本作は、ケネスと警官たちの間に何が起こったのかを、ほぼリアルタイムで描き出していく。

社会的背景と映画の時代背景

本作の終盤には、取り押さえられたケネスが「息ができない」と訴える場面があり、同じように訴えた黒人男性ジョージ・フロイドのことを思い出す人も少なくないだろう。ミネソタ州ミネアポリス近郊で、ジョージ・フロイドが警官に殺害されたのは、2020年5月25日のことで、この事件をきっかけにブラック・ライヴズ・マター運動が再燃し、暴動にまでエスカレートした。

本作はそうした状況から生まれた作品に見えかねないが、そうではない。監督のミデルが、初めてケネス・チェンバレンの事件を知ったのは2017年のことで、そこから映画化の企画が動き出し、2019年にはオースティン映画祭で公開され、最優秀観客賞や最優秀審査員賞を受賞していた。その後に、ジョージ・フロイドの事件が起こり、より大きな注目を集めることになったわけだ。

監督の背景と映画制作の動機

本作には観客を引き込む圧倒的な臨場感があるが、それは、リアルタイムで進行するドラマも含めたいくつかの要素が複雑に絡み合って生み出されている。

本作の冒頭には、政治評論家/編集者クリス・ヘイズの「警察官を見て安心する人もいれば恐怖のどん底に突き落とされる人もいる」という言葉が引用されている。この言葉は、ケネスが見せる姿勢や行動のヒントになる。

先ほどミデル監督がケネスの事件のことを知ったのは2017年と書いたが、彼は警察による暴力や組織的な差別が疑われる事例について調べていて、そのなかからこの事件を題材に選んだ。その理由は彼のキャリアと無関係ではない。

彼は障害のある子供や大人のためのセラピストとして働くことからインスピレーションを得てキャリアをスタートさせ、彼自身も自閉症スペクトラムという障害を抱えている。そのため、低所得者層のコミュニティに属し、双極性障害を患うケネスに深い共感を覚えた。本作では、そんな精神疾患の影響も克明に描かれている。

安否確認のためにやってくるパークス、ジャクソン、ロッシという3人の警官たちの関係も重要な要素になる。たとえば、パリのバンリュー(郊外)を舞台にしたラジ・リ監督の『レ・ミゼラブル』(2019)では、地方から出てきた若い警官が犯罪対策班に配属され、バンリューをよく知るふたりの警官と組むが、やがて彼らの過剰な暴力や不正を目の当たりにし、対立していく。

本作では、中学校の教師だった新米警官のロッシが同様の立場になる。私たちは、冷静で中立であろうとする彼に近い位置から、次第にエスカレートしていく異様な状況を目撃することになる。

そして、実際に作品を観ると、その映画的な効果が際立つのが一枚のドアだ。そのドアの効果は、テーマに直接的な結びつきはないが、デヴィッド・フィンチャー監督の『パニック・ルーム』(2002)を想起させる。異変を察知した母娘と豪邸に侵入した3人の男たちが、緊急避難用のセキュリティ・ルームに隔てられて対峙する。

空き家から隠し財産を持ち出す計画だった男たちは、想定外の事態に結束が乱れ、利害が複雑に絡み合い、泥沼にはまっていく。一方、内部では一型糖尿病の娘にインスリンを投与する必要に迫られる。

本作では、ケネスと警官たち双方の認識にずれが生じ、大きくなっていくことで、たった一枚のドアが強烈なサスペンスを生み出すことになる。

映画のキャラクターとその対立

物語は、ケネスが就寝中に、首にかけたペンダント式非常ボタンを無意識に外そうとし、ボタンを押してしまうところから始まる。すぐにオペレーターが通報装置でケネスに話しかけるが、彼は気づかない。それが負のスパイラルの起点になる。

そこで、会社からの通報を受け、パークス警部補と部下のジャクソンとロッシが到着する。彼らが会社から提供された情報は、対象者が精神的に不安定ということだけだった。まだ寝ていたケネスは、ロッシのノックで起こされるが、まだ誤作動には気づいていない。

そのため、ドアスコープの向こうに警官の姿を見ると、「緊急の用はない。また靴を盗みに?」というように、謎めいたことを言い出す。ケネスと彼のことを心配した家族との電話のやりとりなどから、彼が以前に別の警官からひどい嫌がらせを受けていたことが、後に明らかになる。

そして、ケネスが警官の用件を理解し、誤作動だったと伝える頃には、上司からパークスに直接確かめるようにという指示が出てしまっている。警官たちは身分照会によって、ケネスに妄想傾向の双極性障害という診断結果が出ていることを確認する。

そこでロッシは、ドアを叩けば動揺するので、障害があるなら待つべきだと提案するが、犯罪の温床になっている地域の現実を知らない新米の発言として無視される。ケネスはロッシが最初にノックした時点でも、衝撃を受けていたが、偏見を露わにするジャクソンは、拳銃の台尻でドアを激しく叩きつづける。ケネスのなかには、以前の警官の嫌がらせや海兵隊の訓練の記憶がよみがえり、妄想にとらわれていく。

そんなやりとりの分岐点になるのは、ケネスがドアガードをかけたまま、ドアを少し開く場面だろう。彼は、通信装置を通してオペレーターに警官たちを説得してもらうためにそうするのだが、パークスはもはや聞く耳を持たず、何とかこじ開けようとする。そして、再びドアが閉じられたとき、パークスはそれを屈辱ととらえ、我慢の限界に達する。

彼は応援を要請し、ドアを破壊する決断を下す。すでに階段下には、ケネスの姪や住人たちが集まり、事態を目撃しているが、誰も警官たちを止めることはできない。

ミデル監督は、小さな認識のずれが偏見に満ちたカオスに変貌する過程を生々しく描き出している。

『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』
9月15日(金)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開
(C)2020 KC Productions, LLC. All Rights Reserved

《参照記事》●"TNC Interview 2021 : David Midell"| The New Current (https://www.thenewcurrent.co.uk/)



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