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コンプライアンス専門家が読み解く、ジャニーズ事務所の「失敗の本質」

ニューズウィーク日本版 2023年9月15日 19時54分

<「水に落ちた犬」としてメディアに叩かれ、企業のCM撤退が始まったジャニーズ事務所。どこで、どの判断を誤ったのか。コンプライアンス専門家が説く「失敗の本質」>

9月7日に行われたジャニーズ事務所の会見ほど近年、注目を集めた記者会見はないだろう。ジャニー喜多川前社長による性加害を事務所として認め、藤島ジュリー景子社長は引責辞任した。しかし代表取締役に残留し、社名も変更しない方向という歯切れの悪さに批判の声は鳴り止まない。

この事件は3つの特徴を有している。第一に、日本の芸能界において長年「公然の秘密」だった性加害が「外からの指摘」によって可視化されたことだ。

英公共放送BBCのドキュメンタリー番組"PREDATOR The Secret Scandal of J-Pop"(邦題「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」、インマン恵監督)の3月の放映を契機に、4月には被害者カウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会(FCCJ)で会見を開き、8月には国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会が訪日調査の一環としてジャニーズ事務所性加害を取り上げた。これまで芸能界やメディア等のステークホルダーの間で密やかに語られはするも、表立っては「ない」ものとして扱われ、「見て見ぬ振り」の沈黙と不作為に守られて隠蔽されてきた性加害問題にスポットライトが当てられたのは、こうした「外」からの指摘があったからだ。

今年の元旦、日本経済新聞にジャニーズ事務所による全面広告が掲載されたことを覚えているだろうか。「明日の"私たち"へ。一歩ずつ。」と題する広告が日経に掲載され、「2023年"私たち"の約束」として4個の「約束」が選挙公約のように掲げられた。その筆頭は驚くことに「コンプライアンス体制の整備・実践 企業が求められる責任を果たす」というものだった。

なぜジャニーズ事務所が突如コンプライアンスを宣言したのか。林眞琴前検事総長率いる外部専門家再発防止特別チームが8月29日に公表した「調査報告書」の中にその謎を解くヒントが潜んでいる。

調査報告書によれば、BBCは2022年8月18日にジャニーズ事務所に対してジャニー喜多川前社長による性加害についてのインタビューを依頼したが、ジャニーズ事務所は「辞退する」としていったんは拒絶。11月21日にBBCから再度「Right to Reply BBC Document-The Johnny Kitagawa Story(w/t)(BBCのジャニー喜多川に関するドキュメンタリー番組に対する応答の権利)」という文書が送られてくるや、ジャニーズ事務所は「大変重く受け止めて」おり、「時代や新しい環境に即して、経営陣、社員による聖域なきコンプライアンス遵守の徹底」を一歩ずつ進め、「新体制が発足して最初の年明けになる2023年1月に、新体制および新制度等の発表、施行を計画」していると返事をしたという。

この経緯からすると、元旦の新聞全面広告は、BBCの取材を受けて「聖域なきコンプライアンス遵守の徹底」を約束する「新体制の発表」の表れということになろう(ちなみにコンプライアンスが「法令遵守」を意味するとした場合、「コンプライアンス遵守」という表現は「法令遵守の遵守」という重複表現になる)。

少なくない広告費を払ってコンプライアンスを宣言する広告を打つこと自体は別に悪いことではない。しかしBBC側の対応はBBCの編集ガイドラインに基づくもので、特に「応答の権利」文章は、「重大な批判や不正行為の申し立ての対象となっている人々に返答する権利を提供することは、Ofcom(英国情報通信庁)の法令に基づく公平性担保の義務」であるというBBCガイドラインに沿った必要的手続きとして為されたものだ。

ジャニーズ側がその意味を正確に理解していたならば、異論・反論(があるのであればそれ)を行ったり、事実誤認の訂正等を主張したりする機会として活用することができた。それこそ5月14日公開の藤島ジュリー景子社長の動画や9月7日の記者会見で述べられた内容がBBCの取材があった昨年の時点で正面から主張されていたら、BBC番組の論調やその後の社会の受け止めが変わっていた可能性がある。そうしたことをせず、元旦の日経に全面広告を打つという対応を選択し、ジャニーズ事務所は企業としてのダメージ・コントロールの機会を自ら逸した。

アメとムチの懐柔はドメスティックな市場環境であれば一定の効果を有するであろう。「人」自体が商材となるタレントやアーティストの出演・管理業務は「人間関係」が強い影響力を持つ、極めて属人性の高い業務だ。アメリカで「#MeToo運動」を引き起こしたハービー・ワインスティーン事件を想起するまでもなく、業界有力者による地位濫用の危険性は、各国エンターテイメント業界共通の課題と言える。それに加えて日本の芸能界では契約書の交付は稀で、出演者の労働者としての保護は脆弱だ。日本語エンターテイメント市場自体の小規模性と閉鎖性も相まって、放送局等における「ジャニーズ担当者」(ジャニ担)を通じたメディア・コントロールに長けたジャニーズ事務所は、日本の芸能界において他に「文句を言わせない」存在に上り詰めていた。

2019年7月に公正取引委員会が「ジャニーズ事務所が元SMAPの3人を干しているのではないか」という疑惑を受けた調査を行ったが、優越的地位の濫用を認めるに足る十分な証拠を収集できなかったため、排除措置命令も警告も出せずに「注意」で終わったことは、裏を返せば芸能界におけるジャニーズ事務所の圧倒的な影響力を見せつけたとも言える。こうした「市場支配力」は盤石で、性加害の被害者による内部告発をものともしない「堅牢性」を備えているように思えたが、ジャニーズ事務所は創業家姉弟が死去してわずか2年足らずで瓦解に向かっている。それはドメスティックな市場に安住していた事務所を「外からの介入」が襲ったからだ。その結果、長年に渡る人権侵害が明るみに出た。堅牢に見える閉鎖空間は「外圧」に案外弱いのだ。

各社が「CM 打ち切り」に走った理由

第二に、「ビジネスと人権」という国際潮流が背景にあることにジャニーズ事務所が対応できていない、あるいはそれを軽視していることが明らかになったことだ。

9月7日の会見後、ジャニーズ事務所所属タレントを広告に起用していた企業の撤退表明が相次いでいる。例えば東京海上日動火災保険(相葉雅紀)、アサヒグループHD(アサヒビールブランドで岡田准一/生田斗真/二宮和也等)、日本航空(櫻井翔/松本潤等)、日産自動車(木村拓哉)、サントリー(松村北斗)、花王(中島健人)、第一三共ヘルスケア(松本潤)等の企業だが、その勢いは「ジャニーズ性加害問題当事者の会」(JSAVA) が「会としては当面、取引を直ちに停止することを希望するものではない」と表明するほどで、記者会見の中で「社名変更」や「所有と経営の分離」というカードを切っていればこうはならなかったであろう。

この7社は一つの共通点を有している。それは国連の「グローバル・コンパクト」に賛同し署名していることだ(親会社が署名している場合もある)。グローバル・コンパクトは「人権、労働、環境、腐敗防止」という4 分野について10個の原則を定めた国際的規範の一種であるが、賛同し署名・加入している企業は日本で569社(団体)、世界で23,028社(団体)に達している。

「企業は、国際的に宣言されている人権の保護を支持、尊重し、自らが人権侵害に加担しないよう確保すべきである」という原則を「普遍的な価値」として受け入れたことを表明している企業が仮に、これほどの深刻な性加害を認めた芸能事務所との出演契約を存続させるとしたら、よほどの合理的な説明を行わない限り、ESG投資を含む株主や内外ステークホルダーの理解を得ることは難しい。児童に対する性的虐待は最も強く忌避される人権侵害である。

もちろん企業がジャニーズ事務所所属タレントを広告に起用したからといって、直接的に人権侵害に加担したことにはならない。「タレントには罪はない」ことを抗弁としてタレント起用を継続するという判断もあろう。実際にジャニーズ事務所所属タレントの訴求力は強力だ。

しかし現在グローバルで大きな潮流となっている「ビジネスと人権」という規範は、企業が直接、人権侵害の当事者になってはいけないだけでなく、人権侵害の当事者から原料を仕入れたり、工場での組み立てを任せたりするような形で間接的に人権侵害を助長・援助・支援してはならないことを要求している。サプライチェーンにおける人権侵害の精査(デューデリジェンス)が要請されるのもその趣旨からであり、いわば「間接アプローチ」によって人権侵害をできる限り減らそうというものだ。ユニクロ(ファーストリテイリング)が2021年、人権侵害が疑われる新疆ウイグル地区で産出された原料を使って加工された「シャツ」をアメリカに輸入しようとして米政府に差し止められた事件では、人権侵害に企業が「間接的にも関与していないこと」を証明できるかどうかが問題となった。

ジャニー喜多川氏による性加害は個人犯罪にとどまるものではない。性加害はジャニーズ事務所として獲得した出演機会の提供や演出上の抜擢等を対価にした「手なづけ」(グルーミング)の下で行われていた。実行された場所は主に社長だったジャニー氏の私宅(合宿所)だが、業務(ビジネス)との関連性があったことは明らかだろう。タレント出演の対価は特に企業CMでは高額になる。ジャニー喜多川氏は2019年に死去しているとはいえ、性加害当時と同じ法人格を維持しているジャニーズ事務所にCM出演料の利益が帰属するとしたら、そのことを理解した上で企業が出演契約を継続させることが果たして妥当か、「ビジネスと人権」を巡る企業倫理が外国の機関投資家等から厳しく問われる可能性がある。その懸念から、各企業は慌ててCM契約の打ち切りに動き出している。

これに対してジャニーズ事務所所属タレントを出演させるメディア(主にテレビ局)の判断は難しい。CMにおける企業好感度や売上貢献度とは異なり「視聴率」の数値は即時かつ明快だ。「視聴率が取れる」ジャニーズタレントを切ることは現実的には容易ではない。しかし、民放では結局は番組スポンサー企業の判断が左右することになる。タレントによる移籍・独立の話も加速するであろう。他方で同じ公共放送のBBCが切り開いた今回の事件をNHKがどう正面から受け止めるかは、今年大晦日の紅白歌合戦にどれだけジャニーズタレントが出演するかで分かるかもしれない。

「創業家支配企業」でガバナンスを構築する難しさ

第三に、今回の事件は「創業家が100%株式を所有している企業でガバナンスを構築することがいかに難しいか」を示している。中古車販売業ビックモーターの保険金不正請求事件でも問題となったが、会社法が要求する内部統制構築義務は創業家完全支配型企業では実効性を確保することが難しい。取締役会は開かれず、全てが創業家の胸三寸で決まり、周囲は忖度するばかり。東証コーポレートガバナンス・コードが要請するような企業統治(ガバナンス)は、全株式を創業家が保有する非公開会社では「無いものねだり」になる。

本来であれば、そうした創業家完全支配企業であればこそ、事業の継続性と企業の持続可能性(サステナビリティ)を担保するために、外部の視線を組織内に注入できる人材を確保していくべきであろう。しかしジャニーズ事務所はそうした人材を「不要」とみなしていた。その奢りこそが、BBCという「外からの指摘」を軽視し、「ビジネスと人権」というグローバルな潮流を見誤り、そして日本国内の世論をも侮る結果をもたらしたのだ。

今回の事件では、圧倒的な影響力を持つ性加害者に対して被害者が一種の「愛着」を感じてしまう心理現象「トラウマ・ボンド」(外傷的絆)の存在も指摘されている。数百人を超えるとされる被害者の心理的ケアと補償は途方もなく大変な仕事になる。他方でジャニーズタレントに熱狂した青春時代を過ごしたり癒やされたりしたファンも多い。功罪を乗り越えジャニーズ事務所が今後も社会に貢献をしたいと望むのであれば、被害者救済に最善を尽くし、表紙を変えるだけでなく「所有と経営監督と執行」を分離させ、事業譲渡を含めて組織を抜本的に再編することによって、過去を実質的に清算することが少なくとも必要だ。

そうした上で改めて「明日の"私たち"へ。一歩ずつ。」と呼びかけた時に、ファンはどう応えるか。それにジャニーズ事務所の将来はかかっている。

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