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インドネシアを走る「都営地下鉄三田線」...市民の足を支える日本の中古車両の行方は?

ニューズウィーク日本版 2023年9月17日 9時50分

<朝夕ラッシュで混み合う「インドネシア通勤鉄道会社」。保有する1000台の車両のほとんどが日本製だ。政府が国産化を目指すなかでも、定着した背景について>

アジア各地で、日本の中古車両が第2の人生を送っている。キハと呼ばれるディーゼルカー、ブルートレイン、客車――。なぜ、古い車両が活躍する物語は「テツ」の心をつかむのだろうか。𠮷岡桂子著『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』(岩波書店)より一部抜粋する。

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異国で感じる「すごい」日本

アジアで日本の中古車両が広く使われてきた背景には、線路の幅の問題がある。

日本の在来線の幅は1067ミリ。第2次世界大戦中、占領した日本がレール幅を統一したインドネシアは同じで、タイ、マレーシア、ミャンマーやベトナムは1000ミリと近い。欧米やロシア、中国、インドなどは1435ミリ以上が中心で、改造するにしても手間がかかる。

インドネシアでは、日本の中古車両が約1000両活躍している。始まりは2000年。都営地下鉄三田線を走っていた72両が、インドネシア国鉄に無償で譲渡された。

インドネシア経済はアジアを襲った通貨危機の後遺症に苦しんでいた。新車を買うお金を節約したかったのだ。

日本側にも、使わなくなった車両を解体する費用を節約できるメリットがあった。鉄道の専門家によれば、日本で30年ほど走った車両でもメンテナンスしだいで、さらに15年ぐらいは走れるそうだ。

活用しているのは、「インドネシア通勤鉄道会社(KCI)」。首都圏を走るインドネシア国鉄の子会社だ。

保有する約1000両のうち、新車は地元の国有企業INKA製の十数両だけ。残りはすべて日本の中古で、JR東日本の205系を中心に東京メトロや東急電鉄で使われていた車両もある。

車体は、赤と黄色に塗り替えられているが、車内に入ると「日本」を感じる。つり革、座席、扇風機、棚、消火器に残る漢字......。

私が乗った車両には「神戸 川崎重工 昭和52年」と書いてあった。西暦でいえば1977年。40年余り前に造られたものだ。乗り心地は悪くなかった。

車内にはドリアンの持ち込み禁止と貼り出されている。熱帯の国らしい。巡回する警備員の姿も目をひく。スリ対策であり、乗客が騒いだり床に座ったりしないように注意する役割がある。

    

日本製の導入の成果は、車両の不足を補うだけにとどまらなかった。冷房が効いた車両はジャカルタの鉄道の風景を変えるのにも一役買った。屋根に上ったりドアにぶら下がったりしていた乗客が消えた。車内が涼しくなったからでもある。

経済成長とともにジャカルタ首都圏は膨らみ続け、郊外からの通勤も増えている。朝夕はラッシュで混み合う。男性との接触を嫌う女性が不愉快な思いをしないように、2010年には女性専用の車両を投入した。

むさしのドリームジャカルタ行き

日本側でKCIとの連携に力を入れている鉄道会社は、JR東日本だ。社員ひとりを出向させ、車両のメンテナンスや部品の確保など技術支援もしている。

18年春、武蔵野線を走っていた205系が「むさしのドリームジャカルタ行き」という行き先を表示して海を渡った。譲渡価格は明らかにしていないが、無料ではない。

むさしのドリーム「ジャカルタ行き」 惜別・武蔵野線205系電車https://t.co/BqKq6nUzFNインドネシアの鉄道会社に譲渡される武蔵野線205 系電車。「喜んでもらえるよう走らせてみたら」とJR東日本・京葉車両センター現場から発案されたとのことです。 pic.twitter.com/cXDObl7G6t— ニコニコニュース (@nico_nico_news) March 7, 2018

2代目駐在員の鈴木史比古を18年2月、ジャカルタのKCI本社に訪ねた。40代半ばの赴任だった。インドネシア語を特訓し、同僚との会話に使えるようになっていた。昼食のお気に入りは本社近くのジャワ料理の店。日本円で200円ぐらいの甘辛い地元料理を食べる。

年間の輸送人数が17年、初めて100万人を突破した。鈴木は「日本から学んで、故障が減ったり車両が扱いやすくなったりしたよと頼りにされると、ほんとうにうれしい」と話す。KCIの社員を日本に派遣し、研修もしている。中古車両はメンテナンスが命だからだ。

日本の鉄道愛好家には、気になる話がある。インドネシア政府の高官は中古車両の導入をやめる方針を幾度となく口にしている。自国の車両メーカーINKAを後押しするためだ。

22年には、INKAとスイスのメーカーの合弁会社がインドネシアで生産した新車を導入する方針が伝えられた。地元紙によれば、25~26年から投入される見通しだ。

日本の中古車両の運行やメンテナンスになじんだKCIは当初苦労するかもしれない。ただ、地場の企業を育てようとする政策は、どこの国も通ってきた道である。自国製の新車に転換していくのは、都市鉄道の需要の増加が見込まれるインドネシアなら当然ともいえる。

    

取材をしていると、技術などを含めた日本への肯定感に心くすぐられてくる。中古車両が外国で長く活躍する姿が日本で注目を集めるのは、単なる懐旧だけではないのではないか。異国で頑張る「日本」への承認と満足感が潜んでいるように感じる。

車内に残る日本語の表示の写真を撮りつつ、地元の人々はどんなふうに感じているのかな、と思った。

仮に、日本が戦後しばらく経っても、財政上の理由から米国から引退した車両を安く譲り受ける状態が続いていたとする。そこへ米国人観光客がやってきてはしゃいで写真を撮っていたら......?

ほほえましく受け止める人ばかりだろうか。複雑な感情を抱く人がいても、おかしくない。そんなことを考えて、早々にカメラをしまった。

「日本人は、よほど鉄道が好きなのだなあと思うだけだよ」

私が抱く懸念に対して、ジャカルタで会った国際政治学者はそう、笑っていたが......。

※後編:「特急オホーツク」「寝台特急北斗星」がタイを走る...地元でも愛される、中古車両の幸せな「第2の人生」を追う に続く。

𠮷岡桂子(Keiko Yoshioka)
1964年岡山県生まれ。岡山大学法学部卒業後、山陽放送アナウンサーを経て朝日新聞記者。北京・上海特派員として約8年間、中国に駐在。2020年9月まで3年半、バンコクを拠点に20カ国以上を訪ねて中国の影響力を取材した。新刊『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』(岩波書店)をはじめ、著書に『人民元の興亡 毛沢東・鄧小平・習近平が見た夢』(小学館)、『問答有用 中国改革派19人に聞く』(岩波書店)、『愛国経済 中国の全球化』など。ユーラシアから中国を見ようと、23年秋からブダペスト在住。

 『鉄道と愛国 中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』
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  岩波書店[刊]

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