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ウクライナとヨーロッパの衰退──理念と現実の間で

ニューズウィーク日本版 2023年9月20日 18時10分

<気候変動、食糧問題、エネルギー問題、そして移民問題。これらはヨーロッパを始めとする民主主義国が向き合わなければならない重要な問題だが、現在の対応は民主主義の理念を揺るがす可能性がある>

ヨーロッパを取り巻く難題

ウクライナでの戦争が続く中、民主主義陣営の結束とウクライナへの支持が繰り返し確認されている。重要なことだが、その一方で起きていることの全体像を把握することも重要だ。全体像とはたとえば次の地図のようなことである。

赤はクーデターベルトとも呼ばれる地帯で、近年クーデターが起きて権威主義化している。そこで発生した難民はチュニジア(緑色)を経由してイタリア(黄色)に渡る。日本にいると、ヨーロッパとアフリカは全く別な世界というイメージがある。しかし、地図を見ればきわめて近い。そのためイタリアを始めとするヨーロッパ各国にとってアフリカからの移民対策は重要な課題となっている。

クーデターベルトではクーデターの頻発、気候変動、食糧問題、エネルギー問題などから治安は悪化し、政情は不安定になっているため、これからも難民は増加する。

自然の問題(気候変動や疫病)、生活基盤の問題(食糧問題、エネルギー問題)、社会の問題(移民問題、不安定化)は相互に関係する世界的な課題だが、ヨーロッパは民主主義を標榜していることや地理的に近いこと、歴史的にアフリカと関係があることなどさまざまな要因から、これらの影響を受けやすい。

気候変動、食糧問題、エネルギー問題および移民問題の解決には時間がかかる。ということはその間も難民は増え続け、ヨーロッパの抱える問題は悪化する。悪いことにロシアのウクライナ侵攻で、ウクライナから食糧を輸入している各国は食糧不足や価格の高騰に見舞われ、政情不安定につながることもわかってしまった。問題の解決には時間がかかるが、ロシアは短期間で問題を悪化させることができる。さらにロシアはこの地域でのナラティブの拡散を進めており、歴史的な経緯もあってこの地域での非難の矛先はロシアよりも欧米に向きやすい。ロシアにとっては、いいことづくめだ。

民主主義国と権威主義国の間には、権威主義国の方が有利な非対称な問題が数多く存在するが、移民問題もそのひとつだ。民主主義国はその理念を守ろうとすれば負担の大きな行動(難民の受け入れ、保護)を取るしかない。理念を守らなければよって立つ基盤がなくなる。しかし、ヨーロッパではその基盤に亀裂が入りはじめている。

EUで成立しようとしている移民協定

EUでは歴史的な移民協定が決定されようとしている。この協定は2024年のEU選挙の前に最終決定となる。この協定が発効するとEU加盟国は一定の人数の移民を受け入れることになるが、1人当たり2万ユーロ(約300万円)を支払うことで受け入れを拒否することもできる。また、移民の受け入れプロセスも変更される。国境での事前審査によって、各人の行き先が決定されるのだが、その手続きには拘留が含まれることもある。

移民受け入れの数は、EU全体で30,000 人からスタートし、120,000人に達するまで毎年上昇すると予想されている。

EUが2020年9月にこの移民協定案を提示した際、70以上の団体が移民への対応を悪化させる危険性があると警告した。新しい協定にも国際的な人権擁護団体ヒューマンライツウォッチはこの移民協定が虐待の可能性を高めることを指摘し、非難している。最大で6ヶ月間も拘留される可能性があり、弱者や家族、子供に対する免除もほとんどない。できるだけ移民を強制送還するという狙いがあるように見えるとヒューマンライツウォッチは語り、2020年の案よりも悪化しているとしている。

この協定では、受け入れを拒絶した国が移民を送り返す先を決定することができるため、基本的な権利が保障されないリスクがある。送り先として可能性が高いのはチュニジアだ。チュニジアは、地中海を渡ってヨーロッパを目指す移民の主な出発地となっている。今年だけで72,000人の移民が地中海を渡り、そのほとんどがイタリアにたどり着いている。

チュニジアとEUは移民に対する協定に署名した。そこには密輸の阻止、国境の強化、移民の帰還のための費用1億1800万ドル(約170億円)が含まれている。この協定は経済危機に陥っているチュニジアを建て直す計画も含まれている。チュニジアは権威主義化が進んでおり、移民に手厚い保護を与えるとは考えにくい。EUは助けを求める移民を金でチュニジアに引き取らせ、チュニジアは金のために受け入れるという構図だ。

EU内部でも反対意見が出ている。ポーランドやハンガリーははっきりと協定に反対しており、両国のポピュリスト与党は反移民のレトリックで自国民を煽っている。ポーランドは反ロシアだが、民主主義の理念を尊重しているわけではないのだ。特にポーランドはすでに100万人を超えるウクライナ難民を受け入れていることから、追加的な受け入れを拒否すると語っており、一人当たり2万ユーロの支払いもボイコットするとしている。ポーランド与党の法と正義党(PiS)の党首は、たとえこの協定がEUによって合意されたとしても、これを受け入れないと宣言した。EU加盟国がEUとしての決定に従わないことは存立基盤を揺るがす大問題となる。

イタリアでポピュリスト政権が誕生したことは記憶に新しく、EUにおいて基盤となる民主主義は大きく後退してきている。幸いなことにイタリアではプーチンに不信感をいだく国民が多いが、その一方でロシアのプロパガンダは広く浸透し、ゼレンスキーへの信頼度も低くなってきている。

ポーランドの状況

ポーランドはロシアのウクライナ侵攻において、100万人を超えるウクライナ難民の受け入れ、ウクライナへの軍事支援などの輸送路として、きわめて重要な役割を果たしている。当然、ウクライナを支援するグローバルノースではポーランドを肯定的に報道しているが、同国ではポピュリスト政権が与党となっており、権威主義化が進んでいる。最新の民主主義の指標V-Demのレポートではこの10年で権威主義化が進んだ国のひとつにあげられているほどだ。

EU諸国との関係もよいとは言えない。たとえばポーランド与党は国民の反ドイツ感情を煽ることに腐心している。党首は「ドイツとロシアのヨーロッパ支配計画」を受け入れないと語り、外相は「EUにはドイツの自制心が必要だ」と発言している。与党は来年の選挙に備えて反ドイツの感情を煽るため、ドイツ首相からの電話での提案を拒否したフェイク動画を公開したほどだ。

戦争の長期化はヨーロッパの亀裂を広げ、消耗させる

筆者はウクライナとロシアの戦争は早期に解決した方がよいと思うが、ロシアに有利な条件での解決はすべきではないと考えている。同様な立場を取る人は多いと思うが、ここにはひとつ大きな問題がある。

時間はウクライナおよび支援国、特にヨーロッパにマイナスに働く。前掲のように世界が直面する気候変動、食糧問題、エネルギー問題および移民問題はヨーロッパへの負担を大きくするし、負担をしなければ理念の放棄になる。また、負担をしたとしてもそれを配分することはEU内の不協和音を拡大する。配分しなければイタリアなど特定の国だけが犠牲を強いられることになり、これもまた亀裂を広げる。

現在の移民協定案が民主主義的理念とそぐわない側面があることが象徴しているように、現実との妥協は民主主義を信奉する人々とそうではない人々の双方に不満をもたらし、後者の増加はポピュリストの台頭を許すことになる。

その矛盾を利用するのがロシアの情報戦、認知戦だ。主として西側以外あるいはグローバルサウスの国々で影響力を広げている。日本にいると海外の情報は欧米特にアメリカのメディアがテーマと視点を設定したものがほとんどだ。日本で言う国際世論とはアメリカおよび一部のヨーロッパメディアに形作られるといってもよいだろう。世界の人口の半数を占めるグローバルサウスの国々の世論は日本人には届きにくい。

グローバルサウスの国々には中露を始めとする各国が積極的にナラティブを拡散し、日本で見えるのとは異なる世界が形作られている。たとえば2023年8月に行われたG20サミットの半年前からロシアはラテンアメリカに対して、世界経済の脱ドル化とBRICS拡大による多極的世界秩序という2つのナラティブを拡散していたことが大西洋評議会デジタル・フォレンジック。リサーチ・ラボの調査で明らかになっている。

気候変動、食糧問題、エネルギー問題、移民問題などはヨーロッパを始めとする民主主義国がこれから向き合って行かなければいけない問題だが、今のところ民主主義の理念を劣化させた妥協案か、民主主義的価値を毀損するような結束の拡大と誇示(権威主義的傾向のある国を陣営に加える)くらいしか見当たらない。そのためずるずると権威主義化することが予想される。

日本も他人事ではない

ヨーロッパが直面している問題は日本にもある。日本はウクライナ支援国であり、中国が台湾に侵攻あるいは併合した際の最前線の当事国になる。日本はウクライナ戦争におけるポーランドに近い立場に立たされるのだ。大量の避難民を受け入れ、兵站の拠点となり、間接的な攻撃対象となる。

日本へのサイバー空間での攻撃は増加している。ほとんどの国ではサイバー攻撃と情報戦は同じ部隊あるいはひとつのサイバーオペレーションで連携して行われる。近年のサイバー攻撃の増加、偽情報などの増加が日本がすでにサイバー空間での争いの当事者であることを示している。

対外的な攻撃では「どちらかの意見に賛成させる」ことと、「誹謗中傷」がセットで行われることが特に多いことが、10年間のネットでの影響力工作を調査したプリンストン大学ESOCの調査でわかっている。日本で観測された「汚染水放出」に関するナラティブもこうしたパターンに当てはまっている。一定数の人が同調しやすく、物議をかもしやすいこうした話題をターゲットにすることは分断を生みやすく、理にかなっている。多くの国がそうであるように、日本でも歴史認識について意見の異なる話題は多く、影響工作のテーマに事欠かない。

ロシアの対外的な攻撃ではプロパガンダ・メディアがよく活用される。スプートニクはロシアのプロパガンダ・メディアとして有名だが、日本ではその日本語版の内容を信じて拡散している人も散見されるので効果が期待できる。

日本で国家としての偽情報、情報戦、認知戦への対策が叫ばれるようになって数年経つが、いまだにリーダーシップをとって対策を進める態勢はできていない。民主主義国陣営である日本も同様の困難に直面しているが、別な見方をすれば、日本がこの状況を打開できる方策を打ち出すことができれば民主主義陣営のリーダーシップを取ることができる可能性もある。



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