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彼氏は仕事熱心で理想的だった、ギャンブル癖を除けば。彼女も沼に入り込み「もう何も感じない。でも、やめられない」。なぜ依存してしまうのか

ニューズウィーク日本版 2023年9月20日 23時0分

<ギャンブル依存は「病気」だが、アルコールや薬物とは違った治療の難しさがある>

そもそもギャンブルに関心がないので、それにハマる人の気持ちがよく理解できない。理解できないからこそ「理由」を知りたいと思っていたのだが、そんななかで出合ったのが『ギャンブル依存――日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』(染谷一・著、平凡社新書)だった。

著者が本書を著したきっかけも、「どうして人はなにかに依存するのか」という素朴な疑問だったらしい。確かにそれは、ギャンブルに限った話ではないのだろう。

 アルコール、薬物、ニコチン、カフェイン、ゲーム、アイドル、買い物......。「何かにハマった状態」が、やがて「嗜好」「依存」へと置き換わる。それまでの「あったら楽しい」が「なければ苦しい」へと転換し、やがて「あるから苦しい」へとややこしく変質する。(「はじめに」より)

とはいえそれでも、アルコールや薬物と比べてギャンブル依存はいささか理解しづらい。本書にはギャンブルの沼へと落ちていった多くの人々の実体験が描かれているのだが、「なぜ、そこまでして」という部分がわからない。

例えば、まじめな性格だったという元刑事も、以下のようにパチンコで身を崩していく。

 これだけは、絶対に妻に知られるわけにはいかない。休日にパチンコ店に行くために、事件、残業、多忙などと、場当たり的なうそをつき続けた。再び底の見えない深い沼に両足を取られ、ズブズブと沈み込んでいく。パチンコ店に足を運ぶ回数が増えれば、その分、借金は加速度的に増え、間もなく、消費者金融の利用限度額がいっぱいになるのも自明の理だった。(41ページより)

注目すべきは、この頃の関心が「返済の当てがまったくない借金をどう返すか」ではなく、「どうすれば(パチンコのための)次の借金ができるのか」に移っていたという点だ。結果的に彼は仕事と妻子を失い、それでも悪癖を治すことができず、バイトの時間以外はパチンコ店に入り浸ることになる。

だが、ほどなく手持ちの金は尽き、やがて書店での万引きで捕まる。窃盗の初犯だったことで執行猶予がついたものの、捕まえる側が捕まる側になってしまったのだ。

ギャンブル依存者の多くは「普通の人」

一方こちらは、ギャンブル癖のある彼氏の影響で自らも同じ沼に入り込んでしまった女性の苦悩である。

ちなみに年下の彼氏は仕事熱心で頭の切れるタイプであり、周囲の人を引っぱっていくリーダー的な存在。まじめで、頼りがいがあったのだという。いわば、理想的な恋人だったわけだ。ただ一点、ギャンブル癖を除けば。

だからいつしか彼女も、好きな相手の影響を受けて競艇の刺激に取り憑かれていく。

 自分で稼いだ金が、次々に泡のように消えていく。ギャンブルに無縁な人は「好きでやっているんだから、自業自得でしょ」と侮蔑の表情を向けてくる。 違う、好きでやっているんじゃない。ギャンブルなんかつらいだけ。楽しいと思っていたのは、最初だけだった。勝っても、負けても、もう何も感じなくなった。それでも、やめられない。どうしたらいいのかわからない......。(58ページより)

例えば彼らが典型的な社会不適合者だったとしたら、どんどん壊れていったとしてもまだ理解はしやすいのかもしれない。ところがそうではなく、本書に登場するギャンブル依存者の多くは"普通の人"であり、いわゆるエリートに分類されるタイプも少なくないのだ。

では、なぜギャンブルに依存してしまうのか?

 ギャンブル依存は、アメリカ精神医学会がアルコールや薬物などによる「物質関連障害および嗜好性障害群」と同様に分類している疾病(disorder)だ。ギャンブルをやらない人には、「なぜ、すっぱりやめられないのか?」とまったく理解できない。だが、ギャンブルを続けることで、過剰な刺激を受けた脳内の新経路である「報酬系」に異常が生じている「病気」なのだ。(77~78ページより)

病気なのだとしたら、気になるのは「ギャンブル依存は治療できるのか?」という点である。しかし残念ながら効果的な薬剤はなく、限られた医師の診療時間の中で、患者の意識を変えていくには限界があるようだ。

しかもアルコールや薬物などのように、患者を強制的に入院させ、体内の依存物質を抜くこともできない。そこが、ギャンブル依存の難しいところなのだろう。

つまり、そこかしこに存在するギャンブルの沼は、一朝一夕に解消できるようなものではないのである。

ギャンブルを容認する日本社会の構造

では、ギャンブル依存を解決する手立てはないのだろうか? このことについて、公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会の代表理事である田中紀子氏はこう主張している。

「ギャンブル依存は科学的に認められた病気です。ギャンブル産業は、「依存症なんかない、個人の問題だ」と強弁していますが、そのままでは解決の糸口は見つからない。どんな産業でも、発展や拡大をしていけば、負の側面や副作用が出てくるもの。だから、ギャンブル依存の問題から目を背けず、それが病気であるという認識をしっかりと持ってほしい。その上で、一緒に解決策を探っていきたい。私たちは、「ギャンブルなんか、なくなればいい」なんて、一度も言ったことはないんです。(86〜87ページより)

ギャンブル依存は疾患であり、患者の心の隙をついて入り込んでくるもの。しかもそこには、ギャンブルを容認する日本社会の構造も影響してくる。だからこそ、ギャンブル産業だけに責任を押しつけても意味はないのだ。

「どこにでも当たり前にある病気」と誰もが認識して、それを包容できる社会にしていくことが、患者を早期に回復させられる唯一の方法かもしれない。 予防できるなら予防する。治るのだったら、治せばいい。病気とはそういうものだ。(87ページより)

ギャンブルに関心がないとはいえ、「試しに......」という程度の気持ちでパチンコをやってみた経験は私にも何度かある。

そのたび自分の「ギャンブル運のなさ」を実感したためハマることもなかったわけだが、それでもときどき、「なにごとも経験なのだから、やったことのない競馬や競艇を一度くらいはやってみてもいいかな」と感じたりすることはある。

結局は考えるだけでやらないのだけれども、もしかしたらそこが、ギャンブル依存への入り口なのかもしれない。本書を読んだら少しだけ、そんなことを感じもした。

『ギャンブル依存――
 日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』
 染谷 一 著
 平凡社新書

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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。



印南敦史(作家、書評家)

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