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かつて「民主主義の世界的リーダー」ではなかった...「反知性主義」を論じた歴史家ホフスタッターが描いた建国期アメリカのデモクラシーとは

ニューズウィーク日本版 2023年10月4日 11時10分

<二大政党による政治が機能し、世界の民主主義国家の手本とされるアメリカだが、200年前までは自明のものではなかった> 

アメリカは民主主義国の代表例とみなされているが、建国期からリベラル・デモクラシーの理念が形を変えることなく継承されてきたわけではない。

たとえば、デモクラシーに不可欠な要素と考えられている、複数の政党間での政権交代は、政党の存在自体が忌避されていた建国期のアメリカでは決して自明のことではなかった。

今でこそ民主党と共和党という二大政党が政権をめぐって相争う姿は見慣れた光景だが、立場を異にする複数の政党が競合する政治のあり方がアメリカの地に根づくには長い時間がかかったのである。

20世紀を代表する米国史家リチャード・ホフスタッターの著した『政党制の理念――アメリカ合衆国における合法的反対勢力の台頭(1780-1840)』(The Idea of a Party System: The Rise of Legitimate Opposition in the United States, 1780-1840)(1969年)は、建国期から南北戦争前にかけて、在野政党が合法的な反対勢力として正統性を獲得していく過程を描いた米国政治史の古典である。

フェデラリスト派とリパブリカン派

1801年、第3代大統領トマス・ジェファソンは大統領就任演説で「われわれはみなリパブリカンであり、またフェデラリストでもある」と国内の融和を訴えた。そもそもリパブリカンとフェデラリストとは何者だったのか。

初代財務長官でフェデラリスト派のアレグザンダー・ハミルトンと対立したトマス・ジェファソンやジェームズ・マディソンらのもとで反対勢力が結集したのが、最初の野党となるリパブリカン派であった。

両者のあいだには、理想とする国家像をめぐる根本的な対立点がある。フェデラリスト派は中央集権を志向し、強い連邦政府を望んだのに対して、リパブリカン派は諸州の自治権を重視する傾向が強かった。

さらに、英仏両国との関係においても両者の違いは鮮明であった。

現代のイメージとは異なり、建国期のアメリカは欧州帝国領に囲まれた幼弱な新興共和国であり、つねに外国政府による陰謀の恐怖にさらされていた。

フェデラリスト派政権は親仏的な野党を「ジャコバン派」と貶し、対するリパブリカン派は政権の親英的な傾向を激しく非難したのである。

かくして1790年代には、財政問題や外交問題をめぐり、両派の対立は先鋭化した。そして、1800年の大統領選挙でジェファソンが勝利をおさめ、リパブリカン派が政権を奪い取った結果、フェデラリスト派は野党に転落したのだ。

「1800年の革命」とも呼ばれるこの選挙は、近代最初の平和的な政権移譲とされる。しかし、このときリパブリカン派は決して対立政党の存在を容認したわけではなかったのである。

モンローが固執した旧い政党観

19世紀初頭の四半世紀は「ヴァージニア王朝」の時代と呼ばれることがある。ジェファソン、マディソン、ジェームズ・モンローという三人のヴァージニア出身の大農園主が大統領となり、長期にわたって政権を掌握したことを指す言葉だ。

本書において異彩を放つのが、この三者のなかでも特異な政党観を抱いていたモンローをめぐる叙述である。

アメリカ政治思想史の古典『ザ・フェデラリスト』にもあるように、マディソンは政治における党派の害悪を認めつつも、人間の本性上、党派の発生は避けられないと考え、それを前提に自らの憲法案をデザインした。

ジェファソンもまた、フェデラリスト派を嫌悪したものの、実際の政治実践を通して対立政党の存在を受け入れつつあった。

しかし、モンローは違った。モンローは、「党派性なき政治」という共和政の理想を捨てようとしなかったのである。

新世界で復活した共和政の命運は、アメリカのリパブリカン派の存続にかかっており、そのためには政権に対抗する在野政党は根絶されなければならない――このようにモンローは考えた。

モンローの政党観は、ウォルポール期イギリスの貴族ボリングブルックの思想に近似した、多分にユートピア的な世界観であった。

政党の存在意義が徐々に認められ始めていた19世紀初頭の時代に、18世紀の旧い政党観に固執していたモンローのアナクロニズム(時代錯誤)こそ、本書の強調点の一つといえる。

1812年戦争(第二次米英戦争)後には、建国以来の憎悪に満ちた党派対立が影を潜め、国内融和の機運が高まった。にもかかわらず、この時期に大統領に就任したモンローがリパブリカン派以外の政党を容認することは決してなかったのである。

結局、フェデラリスト派は連邦議会でも劣勢となり、連邦政治の表舞台から姿を消していくことになる。いわば、米英戦争を経て、「親英党派」というレッテルを貼られた野党フェデラリスト派の正統性は明確に否認されたのだ。

こうして1820年代には、米国史上唯一となる一党制の時代が訪れたのである。

その後、現在の民主党と共和党の前身にあたる、民主党とホイッグ党からなる二大政党制が成立するが、これらの政党のいずれもが、一党支配を実現したリパブリカン派の党内派閥として生まれたものだったということを忘れてはならない。

かくも長い紆余曲折を経て、野党の存在を承認する政治文化がアメリカの地に根づいていったのである。アメリカにおいても、デモクラシーとは教義などではなく、絶え間ない実践の産物に他ならなかった。

ホフスタッターとその魅力

ホフスタッターが描き出したのは、建国期アメリカの在野政党が、陰謀や政府転覆に関与する反体制勢力としてではなく、体制内部の合法的な批判者として正統性を獲得していく史的過程であった。

単純な選挙権拡大の過程にではなく、「意見の複数性をいかに制度的に担保するか」という点にデモクラシー確立の要件を見いだした著者の鋭い視角には、米国社会のコンフォミティ(同調圧力)に人一倍敏感であった歴史家ゆえの問題意識を読み取れよう。

ナショナル・デモクラシーという前提や、人種・ジェンダーの観点の欠落など、現在の視点から見ればその陥穽を批判することは容易いが、今なお繰り返し読まれるべきホフスタッター晩年の重要な著作である。

本書に翻訳がないのは誠に残念なことである。

遠藤寛文(Endo Hirobumi)
1986年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員、フルブライト奨学生、神奈川大学外国語学部特任助教を経て現職。専門はアメリカ政治史。主な業績に『改革が作ったアメリカ──初期アメリカ研究の展開』(共著、小鳥遊書房、2023年)、「強制徴募とアングロフォビア――モンロー-ピンクニー条約(1806年)批准拒否騒動」(『アメリカ太平洋研究』21号、2021年)などがある。「北米辺境から見る19世紀初頭アメリカの社会不安と自意識」にて、サントリー文化財団2019年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

 『政党制の理念――アメリカ合衆国における合法的反対勢力の台頭(1780-1840)』
 (The Idea of a Party System: The Rise of Legitimate Opposition in the United States, 1780-1840)
  リチャード・ホフスタッター/Richard Hofstadter[著]
  University of California Press[刊]

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