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中華人民共和国を「周縁地域」だけを取り上げて描き出す試み

ニューズウィーク日本版 2023年9月27日 10時55分

中国を主体にした論考が1本もないトリッキーな「中華特集」では、中国をどう論じたのか? 

20年近く前の話だ。学生時代に広島港からフェリーに乗って釜山に行った。初めての韓国で、あれこれ見て歩いたはずだが、もはや観光地のチャガルチ市場も梵魚寺も覚えていない。むしろ、いまだに記憶に残っているのは、どこかの博物館で目にした朝鮮戦争当時の新聞だった。

「傀儡軍南進」「國軍總反擊體制」といったいかめしい漢字で満ちた紙面は、助詞にあたる部分こそハングルが使われているものの、日本語の旧字体や中国語の繁体字の知識があれば7〜8割の内容が理解できた。

現代の韓国の街にあふれているハングルの洪水と、同じ言語で書かれた文章とはにわかに信じ難い。もちろん、さすがに当時の私も韓国が漢字文化圏であることは知っていたが、この時点では近代韓国の新聞の紙面を実際に見た経験がなかったのだ。

なお、私は1980年代生まれの日本人としては比較的、漢文の文章や旧字体の知識があるほうだ。そういう私が朝鮮戦争当時の新聞紙面を読めた。

ということは、つまり20世紀なかばまでの東アジアでは、相手国の言葉をまったく話せない日本人や中国人でも韓国語の報道を読むことができ、逆に韓国人も日本語や中国語の報道がかなり正確に理解できたであろうことが想像できる(ベトナムについても20世紀初頭までは同様だったろう)。

東アジアの世界では、前近代まで書き言葉として漢文が共有されていた。近代以降においても、言語をまったく異にする国同士でも漢字を通じて相当込み入った情報を共有できる世界だったのだ。

しかし、戦後に各国で新たな国家体制が再編され、それぞれで言語政策が進められるなかで、日本では新字体と「ひらがな」の多い現代仮名遣いの採用が、韓国と北朝鮮では表記の脱漢字化とハングル(チョソングル)化が、さらに本家の中国大陸でも漢字簡化方案のもとで簡体字への切り替えが進められた。

ベトナムでもアルファベットを用いたクォック・グー表記が定着した。ゆえに東アジア世界における情報共有は急速に困難をきたすようになった。

第二次世界大戦とその後の冷戦は、文字を用いたコミュニケーションの領域においても、広義の「中華」のまとまりを大きく緩めた出来事だったらしい。意外な分野でも世界史的な影響があったようだ──。と、釜山の街でぼんやり考えていたのをいまだに覚えている。

『アステイオン』98号の特集「中華の拡散、中華の深化」は、おそらく前例のないユニークな特集だった。

各界の第一人者による10本の論考が、120ページ以上にわたり掲載されているにもかかわらず、一般の日本人がイメージする「中華」の大本山たる中国大陸そのものを主体として論じた論考が1本もみられないのだ。

私が自分の表現で説明するならば、同誌の今回の特集は「中華」という存在を論じるにあたり、

・漢字文化圏に包摂されるものの、広義においても「中国」(China)とは異なる地である朝鮮・日本・琉球・ベトナム

・漢字文化圏には含まれないものの、中華人民共和国という国民国家の領域にその地理的空間の一部(もしくは大部分や全部)が含まれるモンゴル・チベット・新疆

・漢語を使用し政治的にも広義の「中国」に含まれ得るが住民の自己認識が中華人民共和国国民の価値観と同一だとはいえない香港・台湾

という周縁地域をあえて取り上げ、主に歴史的視点からそれらの「中華」との関わりを概観していく構成となっている。

文化なり地理的位置なり人々のアイデンティティなりが中華人民共和国に包摂されきらない存在をあえて並べることで、それに非ざるものとしての「中華」の姿を浮かび上がらせるという、トリッキーな作業がなされているのだ。

巻頭言において、今回の特集を取りまとめた岡本隆司氏は「中国」「中華」という漢語を、固有名詞ではない「中央・中心というくらいの語義」の言葉であると指し示す。

「中華」は、そもそも他者との明確な境界を画し難い概念だ。ゆえに、その影響を強く受けてきた周縁の視点から「◯◯には非ず」という要素を示し続けることで、空虚な中心たる中華の形を描き出す手法が有用だ。

私たちにとって、なんとなく自明の存在であるかに思える「中華」の実態は、ことのほか茫漠としている。



ここからすこし生々しい話に移る。2023年現在の世界の大きな懸念は、中国大陸に位置する一個の国民国家にすぎない中華人民共和国が、本来は曖昧模糊とした地理的・文化的概念であるはずの「中華」に対して、自己の固有の専有物であるかのように誤解していることに求められる。

しかも、今世紀に入り国力を著しく増大させた中華人民共和国は、この誤解に基づき想像された「中華」の形に合致するよう、現実の側を修正するべく動き出すようになった。習近平政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンは、その動きを実質的に象徴する言葉でもある。

結果として生じたのが、新疆におけるテュルク系ムスリムに対する強圧的な同化政策やモンゴル族・朝鮮族らへの漢語教育の押しつけ、2020年6月の国家安全法の成立を境とする香港の「内地化」の著しい加速、台湾に対する恫喝的な振る舞いといった、近年の中華人民共和国の行動だった。

自分たちの想定する「中華」の範囲に含まれる地域は、文化や人々のアイデンティティの面でもより「中華」的(=中華人民共和国の価値観に合致する様態)であるべきだ。一連の動きの根底からは、そんな思考が感じられる。

より踏み込んで述べれば、2016年の在韓米軍のTHAADミサイル配備計画に端を発した韓国に対する強烈な報復的な行動(観光客の引き上げや韓流スターのボイコット)や、今年夏の玉城デニー沖縄県知事の訪中にあたって中国側が沖縄にことさら「関心」を示して見せたことについても、うがった見方はできる。

かつての華夷秩序のもと、朝貢国に位置付けられていた朝鮮や琉球に対して、現代の中華人民共和国が一定の干渉能力を回復したことを示したいという発想が、どこかにあるのではないか。



前近代までの東アジアには、漢文をベースにした情報の共有環境が存在し、これは広い意味での「中華」的な影響を受ける地域のまとまりを示すものでもあった。

このまとまりは19世紀後半以降、中国大陸の政権の弱体化に伴って徐々に弱まり、それでも20世紀なかばまでは残滓がかなり濃厚な形で存在し続けたものの、第二次世界大戦と冷戦構造によって地域秩序が組み替えられた1950年代を境に急速にばらばらになった。

いっぽう、現在の東アジアで進行しつつあるのは、新たな巨人である中華人民共和国を軸とする形での、「中華」のまとまりの再編と再拡大であるかに見える。しかし、それは本当にうまくいくものであるのか。

いまさら、国際関係に対する王道と覇道の文化を説いていた孫文の大アジア主義の演説を持ち出すつもりはない。しかし、現代の中華人民共和国が想像する「中華」のありかたが、前近代までのものとは大幅に異なるものであることも明らかなのだ。

安田峰俊(Minetoshi Yasuda)
1982年、滋賀県生まれ。中国ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2021年の近著に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『八九六四 完全版』(角川新書)、『中国vs世界』(PHP新書)など。

 『アステイオン』98号

  特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
  公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
  CCCメディアハウス[刊]

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