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カネと権力に取り憑かれた「メディアの帝王」マードックが残した「負の遺産」

ニューズウィーク日本版 2023年9月22日 21時6分

<ルパート・マードック氏が経営の一線からの引退を表明。後継者の長男は「父のビジョン、開拓者精神、揺るぎない決意、不朽の遺産に感謝」>

[ロンドン発]1954年にオーストラリア南部アデレードの小さな新聞社を父親から引き継いで約70年、米国、英国、オーストラリアの新聞・テレビを支配してきた「メディアの帝王」ことルパート・マードック氏(92)が21日、FOXコーポレーションとニューズ・コーポレーションの取締役会会長を退任すると電撃発表した。

FOXの発表では、マードック氏は11月中旬開催予定の株主総会でそれぞれの取締役会長を退任。マードック氏は両社の名誉会長に退き、長男のラクラン・マードック氏が単独でニューズ・コーポレーション社の会長となり、FOXの常勤会長兼最高経営責任者(CEO)を継続する。

ラクラン氏は「FOXとニューズ・コーポレーションの取締役会、リーダーシップ・チーム、そして父の努力の恩恵を受けたすべての株主を代表して、父の70年に及ぶ素晴らしいキャリアを祝福する。父のビジョン、開拓者精神、揺るぎない決意、父が設立した企業や彼が影響を与えた無数の人々に残した不朽の遺産に感謝する」と述べた。

「われわれは彼が名誉会長を務めてくれることに感謝する。彼が両社に価値ある助言を提供し続けてくれることを確信している」とラクマン氏は続けた。マードック氏は社員に「職業人生のすべてにおいて日々ニュースやアイデアに携わってきた。しかし異なる役割を担うべき時が来た。新しい役割として毎日アイデアのコンテストに参加する」と伝えたという。

マードック流「部数拡大の方程式」とは

英名門オックスフォード大学で学んだマードック氏はロンドン・デーリー・エクスプレスの編集者として働いたあと、オーストラリアに戻り、アデレードのサンデー・メール紙とザ・ニュース紙を引き継いで部数を拡大させた。シドニー、パース、メルボルン、ブリスベンの新聞を次々と買収し、1969年に英国に進出した。

マードック流「部数拡大の方程式」は堅苦しい「社会の木鐸」としてより娯楽と本音をセンセーショナルに伝えることだった。犯罪、セックス、スキャンダル、人情話、スポーツに重点を置き、大胆な見出しをつける。オブラートを着せずに保守的な論説をそのまま紙面にぶつけ、大衆日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(廃刊)、大衆紙サン紙で成功を収めた。

その象徴がサン紙をめくって3ページ目に掲載された女性モデルのトップレス写真「ページ・スリー(3)・ガール」だろう。1970年に始まったこの企画は女性たちの切実な訴えで2015年に幕を下ろした。地下鉄車内で金融街シティのトレーダーが英高級紙フィナンシャル・タイムズの中にサン紙を挟んでページ3ガールを楽しむ姿をよく見かけた。

ビートルズのジョン・レノンと妻オノ・ヨーコは1972年「Woman is the N***** of the World(女は世界の奴隷か!)」を発表している。女性の解放と自立がテーマになっており、タイトルがニューズ・オブ・ザ・ワールド紙を連想させる。ジョンは女性の自立を訴えるヨーコさんの影響を強く受けている。

長期停滞期に入った英国は憂さ晴らしを求めていた

ページ3ガールは堅苦しくて保守的な英国の文化でも伝統でもなかった。マードック氏に買収される前までサン紙は深みのある長文の記事を掲載する硬派の新聞として知られていた。最初は空いた紙面の埋め草企画で、片方の乳房がのぞく控えめな構図だったが、紙面のセンセーショナリズムとともに、ページ3ガールも両方の胸を丸出しして、より直截になった。

第二次大戦で大英帝国は崩壊、長期の停滞期に入り、重苦しい空気が垂れこめていた英国は憂さ晴らしを求めていた。一部の地方自治体が公立図書館からサン紙を排除すると「ペ×スの表面にできたニキビ野郎」と大げさに反発し、ミニスカートのサン・ガールズに追いかけ回される78歳の自治体首長の写真を掲載するなど一大キャンペーンを張った。

英国では権力が圧倒的な力を持っていることから、公益が認められる場合、オトリ取材や盗聴など少々の逸脱には目をつぶる傾向がある。しかしニューズ・オブ・ザ・ワールド紙は組織的な盗聴が発覚し2011年廃刊に追い込まれる。06年にウィリアム皇太子の携帯電話を盗聴したとして同紙王室担当記者や私立探偵が逮捕されたことが発端だった。

スーパーモデルやセレブ、下院議員、王族だけでなく、アフガニスタンで戦死した英軍兵士の家族、ロンドン同時爆破事件の被害者、行方不明になった英国の10代少女のボイスメールを盗聴していたことが次々と明るみに出て、ニューズ・オブ・ザ・ワールドは168年の歴史に幕を下ろした。

マードック氏は警察官の情報提供に謝礼を支払うことも「フリート・ストリート(英国の旧新聞街)の文化の一部」と容認していた録音テープの存在も浮上した。ニューズ・オブ・ザ・ワールドの盗聴事件を機に新聞倫理を検証した独立調査委員会でサン紙編集長は「ページ3ガールは無害な英国の制度で、もはや英国社会の一部だ」と言い放った。

「マードックほどトランプに責任を負う人物はいない」

これがマードック氏率いる「メディア帝国」の底流を流れる精神なのだ。20年の米大統領選でFOX傘下のケーブルネットワーク「FOXニュース」は投票集計システム提供企業「ドミニオン・ボーティング・システム」が不正に集計結果を操作したと虚偽報道を繰り返した挙げ句、7億8750万ドル(約1168億円)で和解した。

リベラルな米紙ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ミシェル・ゴールドバーグ氏は「マードック氏ほどドナルド・トランプ前米大統領に責任を負っている人物はいない。FOXニュースはトランプ氏にバラク・オバマ元米大統領の出生地に関する人種差別的な嘘のための定期的なプラットフォームを与えた」と非難する。

「主流派の情報源はすべて疑わしいという熱を帯びたファンタジーの世界に視聴者を浸らせ、それがトランプ氏台頭の前提となった。20年にトランプ氏が敗北した後、FOXは敗北した大統領の『盗まれた選挙』というデマを広める手助けをし、21年1月の暴動の一因となった。FOXが甘やかす政治家がこの国を統治不能にしている」とゴールドバーグ氏は嘆く。

マードック氏は英国でも米国でも支配メディアの影響力をフルに行使して権力にすり寄り、メディア帝国の版図を広げてきた。しかし異常なまでのカネと権力への妄執がトランプ現象を生み出し、来年の次期米大統領選でトランプ氏が復活すれば「米国の自由と民主主義をグロテスクな終焉へ」(ゴールドバーグ氏)と導く恐れがある。


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