<ナゴルノ攻撃を招いた「ロシア不在」、南カフカスだけではなく中央アジアでも米中と地域大国の駆け引きが始まった>
3日で終わるはずのロシアの対ウクライナ戦争が1年半以上続くなか、すぐ近くで別の緊張が高まっている。黒海とカスピ海に挟まれた南カフカス地方と、カスピ海の東側に広がる中央アジアで、新たな安全保障リスクと外交政策の大転換が起きているのだ。
南カフカスでは、アゼルバイジャンが隣国アルメニアとの係争地ナゴルノカラバフの重要な補給路を数カ月間遮断したことをきっかけに、長年の対立が再燃。9月19日にはアゼルバイジャン政府が同地に対する「対テロ作戦」を宣言した。
ナゴルノカラバフは人口の大部分をアルメニア人が占め、アルメニアの影響が強い。このためアゼルバイジャンとアルメニアがソ連を構成する共和国だった時代から、その分離独立は大きな問題になっていた。
ソ連の崩壊で独立を果たすとき、アゼルバイジャンとアルメニアは本格的な紛争に突入し、1994年にアルメニアが勝利を収めた。アゼルバイジャン国内に位置するナゴルノカラバフも91年に独立を宣言している(しかし国際的な承認はほとんど得られなかった)。
これに対して、アゼルバイジャンは2020年9月からの軍事衝突で、ナゴルノカラバフと周辺の一部地域の実効支配を奪還。この紛争はロシアの仲介でひとまず停戦合意が結ばれたが、その履行をめぐるいざこざは続いていた。
アゼルバイジャンとしては地域全体の経済発展を図るとともに、アルメニアの西側に位置する飛び地ナヒチェバンと、その西隣のトルコにつながる鉄道や道路を整備したい(アゼルバイジャン人のほとんどはトルコ系民族)。そのためにはアゼルバイジャンとナヒチェバンの間に横たわるアルメニアを安全に通過できなければいけない。一方、アルメニアも自国の飛び地と考えているナゴルノカラバフへの安全なアクセスを求めているが、両国の政治交渉は具体的な解決策を生み出せずにいる。
さらに問題を複雑にしているのは、ロシアの存在だ。ソ連の継承国であるロシアは、この地域の盟主的な立場を維持したがっているが、必ずしも平和を守ることに関心はない。20年の停戦後に2000人のロシア兵が平和維持部隊として派遣されたのに、アルメニアとアゼルバイジャン双方による停戦違反が止まらないのはそのためだ。
アルメニアのニコル・パシニャン首相(左)はロシアのウラジーミル・プーチン大統領の対応に不満を示した GETTY IMAGES
米・アルメニア軍事演習
アルメニアはロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の創設メンバーだが、何もしてくれないロシアに不満を募らせ、今年1月にCSTOの合同軍事演習を自国で開催しないことを表明。代わりに9月、アメリカとの合同軍事演習を実施した。
こうした動きは、必ずしもアルメニアの全面的なロシア離れを示唆するものではない。両国の経済と安全保障、そして政治は複雑に絡み合っており、そう簡単に解きほぐせるものではない。
とはいえ、この地域におけるロシアの影響力が低下していることは間違いない。現在のロシアは、軍事力の大部分をウクライナに集中させているだけでなく、ナゴルノカラバフ問題で現状維持に徹しているように見えるなど、外交面も十分機能していない。
代わりに南カフカスで存在感を増しているのはアゼルバイジャンと親しいトルコや、アルメニアに好意的なイランなどの地域大国。アルメニアのロシアに対する落胆を機に、アメリカもこの地域の安全保障に(限定的だが)関わるチャンスを得た。
アメリカは中央アジアでも、プレゼンス拡大に乗り出している。ジョー・バイデン米大統領は9月19日、国連総会のために訪米中のカザフスタンとウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンの中央アジア5カ国(C5)の首脳と会合を開いた。「C5プラス1」の会合は15年に始まったが、アメリカから大統領が出席したのは今回が初めてだ。
中央アジアでは今、経済的な競争が激しくなっている。その中心にいるのは中国だ。
エネルギーや鉱物資源が豊富で、地理的にも中国と近い中央アジアは、中国の広域経済圏構想「一帯一路」の要の1つに位置付けられており、中国はこの地域の石油やガスパイプラインや鉄道、道路などのインフラ整備に莫大な投資をしている。
中国は、政治や安全保障面でも中央アジア諸国との関係を強化している。タジキスタンに中国の軍事施設を建設したのがいい例だ。ただし中央アジアは基本的にロシアの影響圏であることへの配慮は忘れておらず、安全保障面はロシア、経済面は中国という一種のすみ分けを確立してきた。
経済関係は中国が圧倒
ウクライナ戦争が長期化するなか、ロシア経済を支え、戦争の継続を可能にしている最大の立役者が中国だ。その背景には、いつか中国が台湾統一に乗り出して国際的に孤立したとき、ロシアがサポートしてくれることへの期待があるのかもしれない。
中央アジアと南カフカス地方には、ロシアのウクライナ戦争を明確に支持する国は1つもない。同時に、ロシアを孤立させようとする欧米諸国の試みにも加わっていない。むしろこの地域のほとんどの国は、ロシアとの経済関係を拡大させてきた(ロシアが制裁に苦しんでいることに乗じた側面もあるだろう)。
ただ中央アジア諸国も、南カフカス地方の国々のように、最近の地政学的ダイナミクスを受けて外交関係の多角化に努めてきた。カザフスタンやウズベキスタンも、多方面外交を進めている。こうした動向は、これまでこの地域に影響力の足がかりが乏しかったアメリカにとって大きなチャンスだが、同時に、大国間の競争が急激に展開する危険も生む。
中央アジアも南カフカスも伝統的にロシアとの関係が深いことや、両地域の間でつながりが拡大していることを考えると、南カフカスの情勢不安がたちまち中央アジアに飛び火する可能性はある。その逆もあり得る。
アメリカが今後、中央アジアや南カフカスへの関与を深めていくなら、こうした潜在的な安全保障上のリスクをその戦略に慎重に織り込まなければならない。
From Foreign Policy Magazine
ユージーン・チャオソフスキー(ニューライン研究所研究員)
3日で終わるはずのロシアの対ウクライナ戦争が1年半以上続くなか、すぐ近くで別の緊張が高まっている。黒海とカスピ海に挟まれた南カフカス地方と、カスピ海の東側に広がる中央アジアで、新たな安全保障リスクと外交政策の大転換が起きているのだ。
南カフカスでは、アゼルバイジャンが隣国アルメニアとの係争地ナゴルノカラバフの重要な補給路を数カ月間遮断したことをきっかけに、長年の対立が再燃。9月19日にはアゼルバイジャン政府が同地に対する「対テロ作戦」を宣言した。
ナゴルノカラバフは人口の大部分をアルメニア人が占め、アルメニアの影響が強い。このためアゼルバイジャンとアルメニアがソ連を構成する共和国だった時代から、その分離独立は大きな問題になっていた。
ソ連の崩壊で独立を果たすとき、アゼルバイジャンとアルメニアは本格的な紛争に突入し、1994年にアルメニアが勝利を収めた。アゼルバイジャン国内に位置するナゴルノカラバフも91年に独立を宣言している(しかし国際的な承認はほとんど得られなかった)。
これに対して、アゼルバイジャンは2020年9月からの軍事衝突で、ナゴルノカラバフと周辺の一部地域の実効支配を奪還。この紛争はロシアの仲介でひとまず停戦合意が結ばれたが、その履行をめぐるいざこざは続いていた。
アゼルバイジャンとしては地域全体の経済発展を図るとともに、アルメニアの西側に位置する飛び地ナヒチェバンと、その西隣のトルコにつながる鉄道や道路を整備したい(アゼルバイジャン人のほとんどはトルコ系民族)。そのためにはアゼルバイジャンとナヒチェバンの間に横たわるアルメニアを安全に通過できなければいけない。一方、アルメニアも自国の飛び地と考えているナゴルノカラバフへの安全なアクセスを求めているが、両国の政治交渉は具体的な解決策を生み出せずにいる。
さらに問題を複雑にしているのは、ロシアの存在だ。ソ連の継承国であるロシアは、この地域の盟主的な立場を維持したがっているが、必ずしも平和を守ることに関心はない。20年の停戦後に2000人のロシア兵が平和維持部隊として派遣されたのに、アルメニアとアゼルバイジャン双方による停戦違反が止まらないのはそのためだ。
アルメニアのニコル・パシニャン首相(左)はロシアのウラジーミル・プーチン大統領の対応に不満を示した GETTY IMAGES
米・アルメニア軍事演習
アルメニアはロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の創設メンバーだが、何もしてくれないロシアに不満を募らせ、今年1月にCSTOの合同軍事演習を自国で開催しないことを表明。代わりに9月、アメリカとの合同軍事演習を実施した。
こうした動きは、必ずしもアルメニアの全面的なロシア離れを示唆するものではない。両国の経済と安全保障、そして政治は複雑に絡み合っており、そう簡単に解きほぐせるものではない。
とはいえ、この地域におけるロシアの影響力が低下していることは間違いない。現在のロシアは、軍事力の大部分をウクライナに集中させているだけでなく、ナゴルノカラバフ問題で現状維持に徹しているように見えるなど、外交面も十分機能していない。
代わりに南カフカスで存在感を増しているのはアゼルバイジャンと親しいトルコや、アルメニアに好意的なイランなどの地域大国。アルメニアのロシアに対する落胆を機に、アメリカもこの地域の安全保障に(限定的だが)関わるチャンスを得た。
アメリカは中央アジアでも、プレゼンス拡大に乗り出している。ジョー・バイデン米大統領は9月19日、国連総会のために訪米中のカザフスタンとウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタンの中央アジア5カ国(C5)の首脳と会合を開いた。「C5プラス1」の会合は15年に始まったが、アメリカから大統領が出席したのは今回が初めてだ。
中央アジアでは今、経済的な競争が激しくなっている。その中心にいるのは中国だ。
エネルギーや鉱物資源が豊富で、地理的にも中国と近い中央アジアは、中国の広域経済圏構想「一帯一路」の要の1つに位置付けられており、中国はこの地域の石油やガスパイプラインや鉄道、道路などのインフラ整備に莫大な投資をしている。
中国は、政治や安全保障面でも中央アジア諸国との関係を強化している。タジキスタンに中国の軍事施設を建設したのがいい例だ。ただし中央アジアは基本的にロシアの影響圏であることへの配慮は忘れておらず、安全保障面はロシア、経済面は中国という一種のすみ分けを確立してきた。
経済関係は中国が圧倒
ウクライナ戦争が長期化するなか、ロシア経済を支え、戦争の継続を可能にしている最大の立役者が中国だ。その背景には、いつか中国が台湾統一に乗り出して国際的に孤立したとき、ロシアがサポートしてくれることへの期待があるのかもしれない。
中央アジアと南カフカス地方には、ロシアのウクライナ戦争を明確に支持する国は1つもない。同時に、ロシアを孤立させようとする欧米諸国の試みにも加わっていない。むしろこの地域のほとんどの国は、ロシアとの経済関係を拡大させてきた(ロシアが制裁に苦しんでいることに乗じた側面もあるだろう)。
ただ中央アジア諸国も、南カフカス地方の国々のように、最近の地政学的ダイナミクスを受けて外交関係の多角化に努めてきた。カザフスタンやウズベキスタンも、多方面外交を進めている。こうした動向は、これまでこの地域に影響力の足がかりが乏しかったアメリカにとって大きなチャンスだが、同時に、大国間の競争が急激に展開する危険も生む。
中央アジアも南カフカスも伝統的にロシアとの関係が深いことや、両地域の間でつながりが拡大していることを考えると、南カフカスの情勢不安がたちまち中央アジアに飛び火する可能性はある。その逆もあり得る。
アメリカが今後、中央アジアや南カフカスへの関与を深めていくなら、こうした潜在的な安全保障上のリスクをその戦略に慎重に織り込まなければならない。
From Foreign Policy Magazine
ユージーン・チャオソフスキー(ニューライン研究所研究員)