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研究者が短歌と出会うとき──湯川秀樹や永田和宏に学ぶ「趣味」と「本業」への向き合い方

ニューズウィーク日本版 2023年10月11日 11時15分

<「趣味」を超えて、短歌と出会った研究者たち。「本業」と同じレベルで「趣味」に向き合うエネルギーについて> 

2019年の前半は最悪だった。近い将来「コロナって何年だっけ?」「Covid-19だから2019年じゃない?」と記憶されるはずのこの年は、実際には我々にとってコロナ以前の最後の年であったが、私個人にとっては、むしろ2020年以降よりもはるかに悪い意味で記憶に残る年だった。

2017年の秋にオックスフォード大学の博士課程に入学し、1年目を終えた私は、2019年の前半はカタールとシンガポールをベースに、それぞれ1-2ヶ月ほど現地調査を行う計画だった。しかし不運にもドーハでの短期滞在中に肺気胸になり、保険会社との帰国交渉がこじれたこともあって現地の病院に1カ月も留め置かれる羽目になったのだ。

そういう大変な時期に私が出会ったのが、短歌だった。日本に一時帰国してまもなく、私は結社(短歌の同好会というか集まりのようなもの)に入り、盛んに作歌を始めた。

何が私を短歌に向かわせたのか。それはやはり、短歌が感情を表現させてくれるということが大きい。

私は個人的に、研究にも背景に強い感情や理想があることが望ましいと思っているが、だからといって論文に感情を出すことはできない。むしろ思い込みやバイアスを極限まで排除したところに、学問的な厳密さが生まれるものである。

しかし短歌は違う。物に、現象に、あるいは音に仮託して、やや間接的な形ではあれ、人間の感情を自由に表現することが許される。

題材はありふれた生きづらさや人との別れ、仕事の失敗であっても、三十一音にすることで、それは書き連ねた散文よりも時に鋭く光を放つことがある。2019年の私には、短歌で心の澱を昇華させることが必要だったのだ。

実は、短歌を作る研究者は少なくない。

元々、永田和宏や坂井修一、そして筆者と同じ政治学分野では島田幸典が研究者歌人であることは知っていたが、松村由利子『短歌を詠む科学者たち』(春秋社、2016年) を読んで、かの湯川秀樹や湯浅年子、柳澤桂子といった科学者たちも、実は短歌を嗜んでいたということを知った。

世界の最先端で日夜研究に没頭していた彼ら彼女らが、研究を離れたところで時に微笑ましく、時に胸を衝かれるような短歌を作っていたことは、新鮮な驚きだった。

雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに   湯川秀樹
時雨してとみに涼しき道を来るラボには籠もる昨日の暑さ   湯浅年子 

興味深いのは、本書で取り上げられている永田や坂井が長年歌壇の中心を成す存在であり、研究と短歌の「二足のわらじ」を同じウェイトで履きこなしているのに対して、湯川や湯浅は、あくまで趣味として短歌を楽しんでいたということである。

研究者に限った話ではないが、歌人の短歌への取り組み方には濃淡がある。前掲書の永田の章には、彼が研究と結社の主宰としての役割の両方に心血を注ぎ、睡眠を削りに削って打ち込んでいたことが克明に描かれている。

ねむいねむい廊下がねむい風がねむい ねむいねむいと肺がつぶやく
不意のわが死をまこと本気に怖れおる妻に隠れて書くべくもあるか 

カタールの病院で帰国を待っていたとき、私は「こだわることは生きることだな」と感じていた。仕事であれ趣味であれ誰かとの関係であれ、人は何かにこだわりを持つことで、それを生きる活力とすることができる。

そしてその「こだわり」を複数持っていれば、たとえ1つのことが上手く行かなくても、もう1つで希望を保つことができるのだ。だからそういう意味では、何か打ち込める趣味を持っていることは、大きな強みになる。

しかし、それが趣味という域を超えて「本業」と同じレベルの重要性を自分の中で持ち始めると、今度はどっちつかずになったり、あるいはどちらで失敗しても、それによって自分が立ち行かなくなってしまうような窮地に陥らないだろうか。

このような危惧を持つ私は、短歌との距離を慎重に測りながら、少しずつ少しずつ接近している。

研究と同じくらい毎日短歌のことを考えて、新人賞に応募して、時には論文のリジェクトと賞の落選の知らせが同時に来て落ち込んだりして、それでも強力な馬力で突き進んでいく......というまでの勇気は、まだ私にはない。それを何十年にもわたって行ってきた永田や坂井は、とんでもない胆力の持ち主だと思う。

一方で物事は結局、どこかの時点で全身全霊をかけるつもりで打ち込まなければ、真に上達することはないのではないか、とも思っている。

実際、Twitter(現X)などで短歌を投稿し始めたのを見ていた人が、瞬く間に結社やオンラインの場で頭角を表し、新人賞を獲って第一歌集を出したりしているのを見ると、この熱量にはかなわないな、と思う。

結局私はまだ、本当の意味で短歌に出会ってはいないのかもしれない。

向山直佑(Naosuke Mukoyama)
1992年大阪府生まれ。オックスフォード大学政治国際関係学部にて博士号(DPhil in International Relations)を取得。ケンブリッジ大学政治国際関係学部ポストドクトラルフェローを経て、現職。専門は国際関係論、特に国家形成と天然資源をめぐる政治を主に研究しており、2024年に博士論文を基にした単著Fueling SovereigntyをCambridge University Pressから出版予定。日本国際政治学会奨励賞、石橋湛山新人賞など受賞。「資源と脱植民地化:産油地域の単独独立に着目して」にて、サントリー文化財団2017年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

  『短歌を詠む科学者たち』
  松村由利子[著]
  春秋社[刊]

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