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三国志にキングダム...中国文化への「巨大なリスペクト」がある日本だからこそ、「勘違いモード」に警告する資格がある

ニューズウィーク日本版 2023年10月18日 11時30分

<習近平体制の「普遍性」についての理解と世界が突き付けられている課題> 

※中編:「中国化」ではなく「中国式化」...中国の「大どんでん返し」をどう捉えたらいいのか? から続く。

論壇誌『アステイオン』98号の特集「中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望」をテーマに行われた、阿南友亮・東北大学教授、野嶋剛・大東文化大学教授、森万佑子・東京女子大学准教授とアステイオン編集委員の岡本隆司・京都府立大学教授による座談会より。

◇ ◇ ◇

歴史の再来

阿南 個人独裁から集団指導体制を経て民主化に向かうと思われた中国は、習近平体制で元に戻ってしまいました。

この胡錦濤から習近平への路線転換について、岡本先生はどのように考えられていますか。

岡本 必然だったと思っています。胡錦濤路線のほうが日本人にとっては居心地がよく、友好的です。しかし、中国の為政者や支配階級のロジックから言えば、かなり無理をしています。

ですから習近平が出てきて色々とやり出したときに、「中国的な指導者が久しぶりに出てきたな」と思いました(苦笑)。

阿南 それはどういう意味でしょうか。

岡本 要するに、中国は皇帝専制をずっとやってきたということです。600年ほどのスパンで歴史を見ると、習近平の乾隆帝的な振る舞いや心の在り方のほうが本中華的です。

胡錦濤や江沢民の時代は「普遍的価値」の価値観にも合い、西側の目から見ると普通でした。しかし、中国の為政者や指導者のロジックで言うと「普遍」ではなく、むしろ非常に特例的な時代です。

阿南 その乾隆帝の時代に世界との交易によって銀が流入したため、清朝は好景気になりました。しかし、その好景気があたかも自分の徳の産物であるかのように威張り、大英帝国を格下扱いしました。それが巡り巡ってアヘン戦争につながっていくわけです。

今の習近平は、まさにその歴史の再来です。日米欧からの借款、投資、技術支援によって中国経済は発展してきました。それにもかかわらず、今ではあたかも中国が世界経済の中心かつ基準であるかのように振舞い、他国を露骨に軽んじています。

中国をいかにしてこの「勘違いモード」から脱却させるかは、重要かつ極めて困難な課題だと思います。

岡本 現在の中国に対して、台湾の人々はどう受け止めているでしょうか。

野嶋 1988年の李登輝時代から中国国家の色彩を弱め、台湾を自らの郷土とする「台湾化」に向けて歩みを進めていました。

しかし、習近平体制は、その台湾の脱中国プロセスを止め、中華人民共和国の体制の中に押し込もうとしています。

軍事的な威圧、経済的な圧力を含めたハードパワーで止めようとする。この「中華の世界」に台湾の人々は恐怖を感じていると思います。

日本社会の根底にあるリスペクト

岡本 周りが中国をどう見ているかと同様に、中国が周りをどう見るかということにも注目しなければいけないと思います。

しかしながら周囲、とりわけ日本人が今後、中国をめぐる問題をどう考えるかということは大切です。どういった立ち位置を築き、どう見ていくのかについて、お考えをお聞かせいただけますでしょうか。

阿南 難しい問題ですが、中華のイメージそのものは、学習することによってある程度生まれてくると思います。

私は中国に関する予備知識がないままに親の仕事で1980年代に数年間中国に住むこととなりました。当時の中国は正真正銘の途上国で、民衆は生きていくのがやっとという時代です。子供ながらに「遅れたところに来てしまった......」と途方に暮れたことを記憶しています。

しかし、現地で『三国志』を読み始めると、「なるほど、ここが曹操の宮殿だったのか」と目の前のただの原っぱに幻の王宮が浮かび上がってくるようになるわけです(笑)。

岡本 なるほど。確かに今の中国が嫌いでも、教養の骨格部分に中国の歴史や文化、または古典から吸収していることを多くの日本人は否定できないですよね。

阿南 はい。我々の世代であれば『西遊記』や『三国志』、『水滸伝』、今の世代では『キングダム』など、中華としてイメージされるような中国の歴史や物語を文化として消費し続けています。

だからこそ、これだけ国家間の関係が悪くなっても、中国に対しての一定のリスペクトがあるのだと思います。

野嶋 実は『キングダム』の作者である原泰久さんは私の友人なのですが、連載を始める前に「こういうのをやりたい」と相談を受けました。僕は「そんなの絶対売れるわけがない!」と言ったのですが、まさかの大ヒット。とても恥ずかしい思いをしました(笑)。

中国の歴史をテーマにした漫画が日本でここまで人気が出る。それはまさに阿南先生のご指摘どおりで、中国の文化面への巨大なリスペクトが日本社会の根底にはあることの証左です。

岡本 森先生はいかがでしょうか。

森 ゼミ生に週末の過ごし方について尋ねると、「横浜中華街に行ってきました」という声をよく聞きます。中華料理を食べたいとか、休みの日に行きたいなど、中華街は楽しい場所であり、おしゃれスポットという位置づけです。それを、韓国人留学生が不思議そうな顔で聞いています。韓国の中華街は、おしゃれスポットではないので。

中華街へのイメージからも分かるとおり、現代韓国で、中華という概念が話題になることはほぼありません。それは上編でもお話ししましたように、今はKポップやKカルチャーが既にソフトパワー化しており、若者はそうした先進国になった後の韓国に生まれているためです。

若者にとっては、中華よりも優れていると自認する韓国のソフトパワーがあり、それが世界でも影響力を持っているため、中華という概念はまず復活しないのではないかと思います。

尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権で、日米韓の枠組が強調される中で、対日認識は回復傾向にある一方、特に若者の対中認識をどう和らげていくのか、その道筋はまだ立っていません。今後、韓国と中国、さらに日本の立場を考える上でも、若者の意識は重要になるのではないかと思います。

世界が突きつけられている課題

阿南 「経済成長著しい中国とはもはや対峙できない」と多くの日本人が圧倒されてしまっています。しかし、その中国は、外国からの借款によって経済を発展させてきたのです。その7割近くが日本からのものです。つまり、日本から金を借りて発展してきたのです。

岡本 しかし、日本のお金で中国経済が発展したというイメージは、日本社会の中にはないですよね。

阿南 ないと思います。1970年代以降の日本は中国への贖罪意識やリスペクトから借款や技術支援を行い、復興を手伝ってきました。約半世紀にもわたって積極的に関係構築をしてきたという既成事実を日本人は認識しなくてはいけません。

「これだけ支えてきたけれども、結果は思わしくない」という眼前の厳しい現実を日本人は直視しなければならない状況にありますが、習政権の一連の振るまいに対する対策を理性的に講じていく上で日本社会に根付く中国への文化的リスペクトは、重要な基盤になるはずです。

岡本 貴重なご指摘をありがとうございます。森先生、野嶋先生はいかがでしょうか?

本座談会は6月に都内で開催された。左より阿南友亮氏、岡本隆司氏、森万佑子氏、野嶋剛氏

森 今の日本の若者は中国に行きたがりません。しかし、東アジアの今後の平和を考える上では、台湾、香港、韓国、日本、中国の若い世代が実際に会って、話す機会が非常に重要です。

どうすれば日本の学生が中国に関心を持ち、中国へ行こうと思えるのか。私としては、東アジアの学生交流の促進に力を入れていきたいと思っています。

野嶋 習近平政権によって研究者としての将来、ジャーナリストとしての行動など、多くの人々の人生設計が狂ってしまいました。訪問自体に拘束や入国拒否のリスクが伴うからです。

多くの中国を研究する人が同じ思いでしょう。私たちは「友好人士」ではないかもしれませんが、中国の理解者ではあると自負する人々です。

その私たちまで遠ざけている今のままでは中国は決して得はしない、損をしていくことが多くなるという警告を伝えていくことが、今の日本の役割だと思っています。「中華」を内在化させている日本人だからこそ、その資格があるとも思っています。

岡本 一帯一路も含めて、習近平の路線は中国にとっては自然な方向に向かっているということはすでにお話ししたとおりです。まずはこのことを認識する必要があります。

しかしながら、これに対してどう折り合いをつけるかというのが、おそらく私たちと世界が突きつけられている課題だと思います。

本日はお集まりいただき、そして貴重なお話をありがとうございました。

阿南友亮(Yusuke Anami)
東北大学大学院法学研究科教授。1972年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。東京米国ハーバード・イェンチン研究所客員研究員(2014〜2015)や東北大学公共政策大学院院長(2017〜2020)を歴任。専門は中国近代政治史。著書に『中国革命と軍隊』(慶應義塾大学出版会)、『シリーズ日本の安全保障5 チャイナ・リスク』(共著、岩波書店)、『中国はなぜ軍拡を続けるのか』(新潮社、サントリー学芸賞)など。

野嶋 剛(Tsuyoshi Nojima)
ジャーナリスト、大東文化大学社会学部教授。1968年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、朝日新聞社入社。シンガポール支局長、台北支局長としてアジア報道に携わる。2016年に独立し、現職。専門は台湾政治、中台関係、ジャーナリズム論。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『台湾とは何か』(ちくま新書、樫山純三賞)、『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(筑摩書房)、『香港とは何か』(ちくま新書)、『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。

森万佑子(Mayuko Mori)
東京女子大学現代教養学部准教授。1983年生まれ。2012年ソウル大学大学院国史学科博士課程単位取得修了。2015年東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。2016年博士(学術)。博士論文は第4回松下正治記念学術賞受賞。専門は韓国・朝鮮研究、朝鮮近代史。著書に『朝鮮外交の近代』(名古屋大学出版会,第35回大平正芳記念賞)、『ソウル大学校で韓国近代史を学ぶ』(風響社)、『韓国併合』(中央公論新社)など。

岡本隆司(Takashi Okamoto)
京都府立大学文学部教授、アステイオン編集委員。1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。宮崎大学教育学部講師、同教育文化学部助教授を経て、現職。専門は近代アジア史。著書に『世界史序説』(筑摩書房)、『「中国」の形成』(岩波書店)、『東アジアの論理』(中央公論新社)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会)、『世界史とつなげて学ぶ 中国全史』(東洋経済新報社)など。

 『アステイオン』98号

  特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
  公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
  CCCメディアハウス[刊]

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