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OISTが燃料不要な「量子エンジン」の設計・製作に成功 エネルギー新時代の幕開けか

ニューズウィーク日本版 2023年10月8日 14時40分

<量子エンジンはどのような原理で動くのか。これまでに話題となった「熱を使わないエンジン」の開発史とともに紹介する>

沖縄科学技術大学院大(OIST)とドイツの複数の大学による国際研究チームは、世界で初めて「量子力学の原理を用いたエンジン」の設計・製作に成功しました。

現在使われている熱機関(heat engine)は、熱をエネルギー源としています。熱源や燃料を装置外から取り込むものは外燃機関、装置内で生成した熱エネルギーを利用するものは内燃機関と呼ばれます。

18世紀半ばから19世紀に起こった産業革命では、石炭を利用した外燃機関である蒸気機関の開発で動力源が刷新され、社会構造が変わりました。その後、外燃機関は小型軽量化が難しいことから、自動車や飛行機などの輸送機関を中心にガソリンエンジンなどの内燃機関に取って代わられましたが、熱を動力に変換するという原理は同じでした。たとえば自動車のエンジンは、燃料と空気が混ざった気体に点火して熱膨張させ、シリンダー内の圧力を高めることでピストンを上下させ、それを動力として車輪を回転させます。

今回、OISTが開発した量子エンジンは、内燃機関と同様に圧力を発生させて動力を得ますが、熱を使わずにガス中の粒子の「量子的性質の変化」を利用しているといいます。研究成果は英科学総合誌「Nature」に先月27日付で掲載されました。

量子エンジンは、どのような原理で動くのでしょうか。最近話題となった「熱を使わないエンジン」の開発史とともに紹介しましょう。

半永久的に動くとされ、世間を騒がせた「EMドライブ」

2000年代に入って「従来とは全く違う原理で動くエンジン」と話題になったものと言えば、イギリスの航空宇宙技術者のロジャー・ショーヤー氏が考案した「EMドライブ」です。

推進力を得るのに必要なのは「マイクロ波を密閉容器内で反射させること」のみ。つまり、既存のロケットエンジンのように推進剤を使わなくても推進力を得ることができます。マイクロ波は太陽光発電でも得られるため、装置が壊れない限り半永久的に動くと説明されていました。ただしショーヤー氏は、なぜ推進力を得られるのかの原理を十分に説明することはできませんでした。

もちろん、研究者たちは半信半疑どころか「眉唾もの」と見ていましたが、各国が追試をしたところ、10年に中国の西北工業大が2.5キロワットの電力を使用したシステムで720 ミリニュートンの推力を生み出すことに成功したと発表。さらに14年には米航空宇宙局(NASA)が中国チームと同じ装置を使って30〜50マイクロニュートンの推力を確認したと発表したことで世間は騒然としました。

けれど独ドレスデン工科大は18年に、EMドライブからわずか(4マイクロニュートン)な推力が観測されたものの、EMドライブでマイクロ波が発生しない状態にして実験装置のみを起動させても同じ推力が観測されたことから、EMドライブが生む推力と考えられてきたものは、地球の磁場と電源ケーブルの相互作用によって生じた力ではないかと結論づけました。

ドレスデン工科大ではその後も研究が続けられ、21年にはNASAの追試で発生した推力はエンジンの熱による装置の歪みによるものと考えられると発表しました。「高出力での追試がまだ行われていない」という声もありますが、「宇宙開発を促進する夢のエンジン」と期待されたEMドライブに対して実用化を信じる人は、今やほとんどいなくなりました。

量子熱機関を模擬的に再現

一方、量子テクノロジーの進展とともに期待が高まっているのが、量子エンジンです。この分野で日本は世界を先導しています。

理化学研究所を中心とする国際研究チームは2020年、スピン量子ビットで量子熱機関を模擬的に再現することに成功しました。

通常のデジタル回路では「0か1か」で情報が保持されるのに対し、この研究で用いたスピン量子ビットは「0でありかつ1でもある」という量子重ね合わせの状態を任意の割合で組み合わせることで情報を表現します。

また、熱機関は、熱エネルギーから動力を生み出す「エンジン」と、その逆過程で動力を用いて高温部分から熱を奪う「冷凍機」に大別されます。研究チームによると、スピン量子ビットでは、エンジンと冷凍機の機能を高速で切り替えるなど、従来の古典熱機関では実現し得ない技術の開発につながると期待できるといいます。

この研究では、本来ならばスピン量子ビットを高温部分及び低温部分と選択的に相互作用させて量子熱機関を作るのですが、現代の技術では難しいため、代わりにエネルギー差が大きい、あるいは小さいスピン状態と磁気共鳴により相互作用するようなマイクロ波をスピン量子ビットに照射しました。つまり、エンジンと冷凍機の間に量子干渉効果が現れるかに主眼を置きました。

その結果、ゆっくりとした方形波変調(0.05MHz)の下では現れなかった、複雑な干渉パターンが速やかな方形波変調(2MHz)の下で観察されました。これは、模擬的な量子熱機関の成功を示唆する「量子重ね合わせ」が現れたためと解釈できました。

今回のOISTの研究チームは、極低温下の条件のもと実験室内で動作する超小型の量子エンジンを製作して概念実証を行いました。

自然界に存在する粒子は、量子的性質に基づいて、フェルミオン(フェルミ粒子)かボソン(ボース粒子)のどちらかに分類されます。フェルミオンに属する粒子には、電子や陽子、中性子があります。一方、ボソンに属する粒子には光子や質量を担うヒッグス粒子、湯川秀樹博士に予言された中間子などがあります。

絶対零度に近い極低温の世界では、粒子は量子力学的な効果が重要となります。ボソンはフェルミオンよりも低いエネルギー状態にあり、両者のエネルギー差をエンジンの動力に利用することができます。つまり、ボソンをフェルミオンに変化させ、また元に戻すことが、量子エンジンの動力になります。

ボソンとフェルミオンの違いは、スピン角運動量がディラック定数の整数倍か半整数倍かです。なので、フェルミオンをボソンに変えるには、2つのフェルミオンを組み合わせて分子にします。この新しい分子はディラック定数の整数倍のスピン角運動量なので、ボソンになります。

研究を主導したOISTのトーマス・ブッシュ教授は、新しくできた分子を分解することで、フェルミオンを再び取り出すことができて、これを繰り返し行うことで熱を使わずにエンジンを動かせると説明します。さらに、ドイツの共同研究チームが構築した現在の実験の設定では、エンジンの効率を最大25%高められることが分かったといいます。

動力源の概念を抜本的に変える可能性

もっとも、今後、自動車などに使える実用的な量子エンジンを作るためには、いくつかのステップを乗り越えなければなりません。たとえば、量子エンジンはフェルミオンとボソンのエネルギー差を用いるため、極低温状態を保たなければなりません。冷却のためには、かなりのエネルギーが必要となります。それでも、実用化されれば、動力源の概念を抜本的に変えてエネルギー革命を起こす可能性があります。

研究チームは、今後、基礎的な研究を進めて性能を高めたり、バッテリーやセンサーなど、他の機器への応用の可能性について調査したりする予定だといいます。

SFやファンタジー小説には「スチームパンク」と呼ばれる、イギリスのヴィクトリア朝やエドワード朝の雰囲気をモチーフとして蒸気機関が動力のベースとなっている世界観が1ジャンルとして認知されています。日本の作品では、映画「ハウルの動く城」やゲーム「ファイナルファンタジーⅥ」が代表例です。

今、学問の世界では、量子エンジンのような19世紀の熱力学と現代の量子論を融合した研究分野に対して「量子スチームパンク」という言葉が浸透しつつあります。小説や映画の題材になる日も近いかもしれませんね。



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