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ハマスのイスラエル一斉攻撃......なぜ攻撃は始まった? 今後はどうなる?

ニューズウィーク日本版 2023年10月11日 17時0分

<ユダヤ教の祝日が一段落した直後、パレスチナ武装勢力による攻撃がイスラエルの町を襲い、その衝撃波は世界中に広がった。その背後にある政治的動機、そしてこれからの展開を考える......>

秋に多いユダヤ教の祝日が続いた後、最後の祝日が明ける日となった10月7日、土曜日の早朝、攻撃は始まった。ハマースをはじめとするパレスチナ武装勢力による一斉攻撃に、ガザ地区周辺の町は大混乱に陥った。

突如始まった一斉攻撃

最初に襲われたクファル・アッザ、ベエリ、レイムなどはいずれもイスラエル建国当初から建設されてきた農業共同体キブツの村落で、今ではその労働力の多くをタイやネパールなどからの外国人労働者に依存している。

この日、最初に犠牲になったのは、彼ら労働者と世俗派を中心とするキブツのユダヤ系住民であった。トラックの下に逃げ込んだタイ人は、戦闘員に引きずり出され、至近距離で銃を突き付けられた。タイ人は12人が、ネパール人は10人が殺され、10人以上が連れ去られた。各国政府は、まだイスラエル国内に残る数万人の自国民の帰国を助けるため、航空機等を手配中だという。

キブツの一つ、ガザ地区から約5キロの近さにあるキブツ・レイムでは当時、スーパーノヴァ・スッコート音楽祭が開かれていた(注:スッコートはユダヤ教の祝日)。集まった約3千人の若者は酒を飲み、夜通し踊って迎えた朝、空に多数のロケット弾が飛ぶのを見た。会場に駆けつけた警察官が解散を命じたが、またたく間にパレスチナの戦闘員の車が迫り、逃げ惑う群衆に対して自動小銃を乱射したという。

この会場だけで259人が遺体で発見され、複数の民間人が武装勢力のトラックに乗せられ運ばれる様子が動画で公開されている。死者にはイスラエルとの二重国籍者を含め、アメリカやイギリス、イタリア、ウクライナなど外国籍の市民も含まれていた。

この初日の攻撃だけで、ガザ地区からは2千500発以上(ハマース側は5千発と発表)のロケット弾が発射され、南部スデロットの住宅地などに着弾して車が炎上する様子が伝えられた。また戦闘員らはガザを取り囲むフェンスを重機などで破壊し、破れた穴からイスラエル領内にバイクやトラックで侵入した。さらに複数の戦闘員がパラグライダーを操り侵入する姿や、境界のフェンスをブルドーザーで破壊し、その近くで鹵獲したイスラエル軍の戦車に乗って気勢を上げる人々の様子などが、映像で公開されている。

ネタニヤフ首相「我々は戦争のさなかにいる」

イスラエルはただちに治安閣議を開き、「鉄の剣作戦」と呼ぶ軍事作戦で反撃を開始することを決定した。ネタニヤフ首相は国民に向けたビデオメッセージで「我々は戦争のさなかにいる」と強調し、パレスチナ側に対するかつてない規模での報復と、これから展開するイスラエルの軍事作戦への国民の協力を求めた。市民には家の中にとどまるよう呼びかける一方、予備役の招集が始まり、過去最高となる30万人が招集された。

かつてない展開の「戦争」

今回の軍事展開には、かつて見られなかった特徴がいくつも指摘される。
第一に、ガザ地区から大規模な奇襲攻撃が同時展開されたという点である。これまでもエルサレムやヨルダン川西岸地区内での政治的展開などに抗議して、ガザ地区からイスラエル領内に向けたロケット弾の発射は頻繁に繰り返されてきた。そのたびごとにイスラエル軍は、ガザ地区への空爆で応酬し、ときには地上軍が展開されることもあった。だがこれまでは、パレスチナ側からの攻撃がロケット弾の発射以上に展開することは稀で、地下に掘ったトンネルを通って少数の戦闘員が潜入し、イスラエル軍に射殺されて終わるなどの規模に終始していた。

これに対して今回は、ガザ地区からイスラエル領内に複数個所地上の境界線を破って、数十人の戦闘員が送り込まれている。かつてない規模と大胆な作戦展開といえる。

これまで強固に維持されてきたはずの、イスラエル軍による境界線の警備が破られ、侵入を許したのはなぜか。一連の戦闘が落ち着いた後には、イスラエル国内で検証が進められ、大きな責任問題として浮上することとなるだろう。

現時点で想定されるのは、大規模なロケット弾攻撃が陽動作戦として機能したこと、ガザ地区の封鎖が安定した状態で長期化したために、イスラエル軍の側の警戒心が緩んでいたこと、その間に長い時間をかけてガザ地区側からは境界線の中で警備の手薄な場所が選定されていたことなどが想定される。数年前に話題になった、ガザ地区から色鮮やかな風船につけて飛ばされた風船爆弾も、今回のパラグライダーでの侵入につながる準備段階だったのかもしれない。

イスラエル側に既に1200人を超える死者

第二に、イスラエル側で非常に多くの犠牲者が出ている点が挙げられる。これまでパレスチナとの衝突でのイスラエル側の犠牲者は兵士を中心としたもので、パレスチナ側の十分の一以下の人数にとどまる場合がほとんどであった。今年5月のガザ地区との戦闘でのイスラエル側の死者は2人、2021年は13人、最多の犠牲を出した2014人でも71人であり、その大半は兵士だったことを想起すれば、事態の異常さが分かる。

今回の攻撃ではイスラエル側に既に1200人を超える死者が出ており、開戦後4日を経過してもまだパレスチナ側の死者の数を上回っている。ネタニヤフ首相が「戦争」と呼んだのは、こうしたイスラエル側にとっての非常事態を指したものと考えられる。

2000年に第二次インティファーダが起きて以来、イスラエルはパレスチナ自治区の領域にやや食い込む形で分離壁を建設しており、検問所を強化して、両者の間の往来は統制下におかれてきた。パレスチナ自治区の人々の存在は、イスラエル社会の外側で接触のない世界での出来事となり、「テロ」が持ち込まれる危険も過去のものとなりつつあった。

近年、情勢はやや不安定化しつつあったとはいえ、イスラエル治安機関が維持するセキュリティに対しては絶対の信頼感が築かれていたといえるだろう。その平穏が破られ、多くの市民の犠牲が出たことの脅威感は相当大きなものであったと考えられる。これをイスラエルの「9.11」だと呼ぶ人々もいる。

多くのイスラエル市民が人質に

第三に、今回の作戦では多くのイスラエル市民が拘束され、パレスチナ武装勢力の側で人質にとられるという異例の展開となった。かつてのイスラエル人の人質としては、ガザ地区での戦闘で拘束された兵士で、5年半後に釈放されたギルアド・シャリートが有名だ。たったひとりの人質をめぐり数年がかりで交渉が続けられ、1,000人ものパレスチナ政治囚と引き換えに釈放された経緯からは、ハマースは人質の価値を熟知しているといえよう。ハマースの高官ムーサー・アブー=マルズークは100人以上のイスラエル人を拘束したと発表し、これに加えてイスラーム・ジハードも30人を拘束したと発表されている。

今回の人質は、パレスチナの全政治囚の釈放を可能にできる規模だともされるが、問題はこうした脅しに基づく交渉に対してイスラエル側がそもそも応じるかである。カタールなどの仲介により、既に人質釈放交渉は始まっているとの報道もあるが、イスラエル政府はこれを否定している。

とはいえ人質の存在が、パレスチナ側への反撃の大きな足かせとなっているのも事実だ。ガザ地区への予告のない攻撃に対して、ハマースは人質を処刑し、その映像を公開すると発表しており、彼らの存在は文字通り「人間の盾」となっている。そのため、これまでのような地上軍の侵攻を簡単に開始することができない。ハマース側は、ガザ地区でのイスラエル軍による空爆で、既に数名の人質が死亡したと発表しているが、真偽のほどは不明だ。いずれにせよ、自国民の命を危険にさらすリスクのある中、どのような対策を取るのかイスラエル政府は慎重に検討を続けているものと思われる。

なぜ攻撃は始まったのか

パレスチナ武装勢力が今回の一斉攻撃を始めたのはなぜか。その背景にはパレスチナ側がおかれてきた状況から、複数の要因が考えられる。まず、長期化したガザ地区の物理的・経済的封鎖により、ガザ地区の住民の生活が困窮し、未来に希望を抱けない状況が続いてきたことが指摘される。2006年のパレスチナ立法評議会選挙でイスラーム主義政党のハマースが与党に選ばれた後、イスラエルや欧米諸国はハマースに対する制裁を開始し、人や物の移動が現在に至るまで厳しく抑制されてきた。

国際支援によりガザ地区内にはいくつもの大学が存在するが、卒業してもまともな仕事につくことができず、能力を生かして自立した生活を切り拓けない環境が長年続いてきた。イスラーム教徒の間では本来禁止されている自殺が、ガザ地区の若者の間で急増しているという現実が、ガザ地区の鬱屈した状況を如実に反映しているといえるだろう。ガザ地区に拠点を置くハマースら武装勢力は、こうした現実をくつがえす転機として、今回の攻撃を計画したと考えられる。

昨年末、極右政党がネタニヤフ政権入り

次に、昨年末に成立したネタニヤフ政権下で、極右政党が政権入りしたことにより、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の村などへの襲撃が急増したことが挙げられる。本誌の記事でも以前書いたが、パレスチナ人の家や車が放火され、それをあおるような呼びかけをイスラエルの右派の閣僚が公然と繰り返している。

これに対してパレスチナ側での抵抗運動も武装化し、「ライオンの巣」など新たな武装勢力が西岸北部では勢力を伸ばしてきた。抵抗勢力が組織化される前に、メンバーを拘束または殺害することを目的に、イスラエル軍もジェニンやナブルスなど北部都市で頻繁に軍事作戦を展開するようになり、今年に入りパレスチナ側の犠牲者は、過去最大規模に増加しつつあった。西岸地区とガザ地区は、地理的には離れていても政治的には連動しており、こうした西岸地区での展開がガザ地区の武装勢力による報復攻撃に結びついた例は、かつても何度かあった。

さらに別の点として、ハマース側が言及しているのは、エルサレム問題とパレスチナ政治囚の問題である。かつてはステータス・クオとして旧市街の中で棲み分けが行われていたユダヤ教とイスラーム教の聖域の区分が、近年伸長してきたイスラエルの宗教シオニストの間では軽んじられるようになった。「神殿の丘」へのイスラエル閣僚による訪問が日常化し、これをハマースは聖地エルサレムへの冒涜として強く批判している。

また今回の作戦でイスラエル側の人質を得ることで、パレスチナ政治囚の釈放を図ろうというのも、直接的な戦略目標に含められていると考えられる。ガザに連れ去った人質の処遇について、ハマースの高官は開戦直後からエジプト、カタール、トルコなどを仲介に協議を始めている。人質がいる以上、容易に軍事作戦を展開できないイスラエルに対して、秘密交渉は一定の有効性をもち機能するかもしれない。

今後に立ち込める暗雲

今回の攻撃に対して、イスラエル側からの非難では、ハマースを「イスラーム国」になぞらえる批判が聞かれ始めている。主戦場であったシリアやイラクでの勢力衰退に伴い、「イスラーム国」の名は長らく報道の場では聞かれなくなっていた。その中で、ネタニヤフ首相やエルサレム副市長などは、今回の攻撃を受けてハマースを「イスラーム国」になぞらえ、「世界がISを倒したようにわれわれもハマースを打倒する」と徹底的に反撃する姿勢を改めて示している。

アメリカ国防総省高官も、ハマースの攻撃について「ISに匹敵する」と非難しており、イスラエル版「対テロ戦争」の枠組みが今後、定着していくのかは注目される。その矛先は、イスラエルにとっての北部戦線、つまりレバノン国境から攻撃をしかけるヒズブッラーに対しても向けられるかもしれない。

また今回のパレスチナ武装勢力による攻撃を受けて、イスラエル国内でパレスチナ側との和平を望む左派がほぼ壊滅的な打撃を受けることは必須だろう。左派の多いキブツで、平和な時間を過ごしていた市民が多数襲われ、命を奪われたことは、イスラエル市民に大きな衝撃をもたらしたはずだ。近年のイスラエルの国内世論の中で、すでに風前の灯火であった左派勢力が衰退することは、今後の政治プロセスにおける対話による和平への希望を消し去ってしまう可能性が高い。パレスチナ側との対話による中東和平への道は、さらに遠ざかってしまうのではないか。

イスラエルが大規模地上軍を展開することは必至

今後の展開として、イスラエル側がいずれ大規模な地上軍を展開することは必至の流れといえよう。ガザ地区から攻撃を受けた後、イスラエル軍が報復をしなかった前例はなく、これだけの犠牲が出た後で泣き寝入りすることは、イスラエルの国民感情を納得させる上でもあり得ない。戦略上、人質の安全を確保するために一定程度の交渉には応じざるを得ないかもしれないが、そうして交渉に応じること自体、公表されれば右派を中心とするイスラエルの国内世論からは強い反発を受けると考えられる。

今回の襲撃の犠牲者の大半は非武装の市民であり、人質の扱いを含めてその非人道性は否定しがたいものがある。だがそれを理由に、さらに数百人、数千人の血が流されることもなんとか回避する必要がある。イスラエルとパレスチナの衝突は、今後も拡大が予想され、その展開は予断を許さないものといえる。



錦田愛子(慶応義塾大学教授)

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