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埼玉県虐待禁止条例案の裏にある「伝統的子育て」思想とは

ニューズウィーク日本版 2023年10月12日 22時21分

<小学3年生以下の子供を一人にするのが何でも「ネグレクト」になるとすれば、子育て世代、とくに共働きやシングル家庭には大きな負担増になる>

10月6日、埼玉県議会で自民党県議団が提出した、埼玉県虐待禁止条例の一部改正案が委員会で可決された。この改正案では、小学3年生以下の子供を留守番させたり子供だけで登下校させたりすることなどは子供の「放置」であるとして、これらの行為を禁止している。

この改正案については、子育て世帯にとって大きな負担であるとして、同党国会議員を含む多くの政治家や市民たちから反対意見が寄せられ、10月10日、自民党県議団はこの条例案を取り下げることを発表した。しかし取り下げを発表した会見で、田村琢実自民党県議団団長は、この条例案は「内容は瑕疵がなかったが、説明が不十分だった」と述べたことから、時期を改めてまたこの案が議会に上程される可能性がある。この虐待禁止条例の改正問題については、今のうちに検証しておく必要があるだろう。

共働きやシングル家庭を罰する条例

田村琢実議員は、この条例案の意義について「子どもたちの安全を確保していくとの思いで提案させていただいた」と述べていた。条例案では、夕食の買い物や近距離のゴミ出しをなど、たとえ短い時間でも親が子供を残して家を離れること、子供だけで公園で遊ばせること、登下校や習い事の送り迎えをしないことなどを禁じているが、こうした行為は「放置」であり「虐待」であるというメッセージを強く訴えることが重要だと田村議員は述べる。

一方、この条例案を厳密に実行しようとした場合、共働き家庭やシングル家庭はほぼ子育てが不可能な状態になってしまう。専業主婦の場合も、十全なサポートが見込めなければかなりの負担になる。特に近年は、学童保育などのサービスが予算不足により縮小しつつある。条例案には違反したときの罰則は書かれてはいないが、子供だけで公園で遊んでいるなどの「放置」が発見された場合は通報されることになっているので、事実上罰則があるようなものだ。

以上のことから、子育て世帯を中心に危機感が広がり、反対運動が引き起こされた。埼玉県庁には1000通を超える条例改正反対のパブリックコメントが届き、条例の改正は断念された。

大きな批判にあったこの条例案だが、この条例案を擁護する人もいる。アメリカなど諸外国では、子供の留守番禁止や登下校の親の送り迎えは常識だというのだ。確かにアメリカの一部の州では留守番禁止年齢を法律として定めるなど(多くは12歳まで)、親の「放置」に厳しい措置をとっており、それと比較すれば決して異常な条例案というわけではない。しかしながら、銃社会であり、治安の面から多くの心配をせざるを得ないアメリカの状況と、日本の状況を単純に比べることはできない。

また、アメリカはベビーシッター文化がある。2019年の民間企業の調査によれば、アメリカのベビーシッター利用率は5割を超えているのに対し、日本のそれは1割にも満たない。フランスも子供の留守番に厳しい国の一つだが、ベビーシッターや保育サービスに補助金が出る。さらに、アメリカのベビーシッターは、高校生によるアルバイトによっても担われている。一方、埼玉県の改正条例案では高校生の子供との留守番も禁止とされており、アメリカよりも制約が強いといえる。

厳しい「放置」規制は過保護という指摘も

登下校の親の送り迎えや留守番禁止が常識となっている国でも、そのやり方の是非については議論がある。虐待やネグレクトを防止する必要があるのは当然として、一時も子供を一人にさせておかず、どこへ行くにも大人を同伴させる子育ては過保護という意見も近年では登場している。たとえばアメリカのユタ州では2018年に留守番規制が緩和されることになるなど、より柔軟な子育てを認める動きもある。

ドイツでは、日本語の「鍵っ子」に相当する言葉としてSchlüßelkind(Schlüßel=鍵、Kind=子供)という単語がある。1960年代、家族形態が多様化していく時代に登場し、日本と同じく当初は「かわいそうな子供」というニュアンスで用いられていたが、最近の研究や調査では、Schlüßelkindは学力の低下や非行に繋がりやすいという偏見が見直され、むしろ子供の自立にとってよい面もあると指摘されている。

このように、「子供たちの安全」を一番に考えたとしても、何をどこまでどうするべきかは、治安やサポート体制の有無を含め、国や地域、家庭の事情によって異なる。それを条例で一律に禁止事項を決めるのは、やはり乱暴だったいうことになる。

子供の「放置」に厳しい国では、同時に親の負担を減らすような、育児サービスを外注できる仕組みづくりや、育児と仕事を両立できる働き方改革にも力を入れている。しかし日本(埼玉県)では、そのような政策が不十分な中で、突然に家庭に負担を押し付けるかのような条例改正案が提出された。田村議員のコメントでも、「親の責任」が強調されている。

フェミニズム研究で知られる山口智美・斉藤正美両氏が執筆し、日本のジェンダー平等やLGBT運動の抑圧に関して宗教右派と政治の結びつきが果たした役割が記されている『宗教右派とフェミニズム』(青弓社、2023年)によれば、埼玉県は家庭教育「先進県」であり、「親学」発祥の地だという。

「親学」とは、「伝統的な子育て」により「教育の質」をあげることを目的とした右派系の運動であり、「少なくとも3歳までは母親が子育てに専念するべき」など性別役割分業や、三世代同居のような伝統的家族観を推奨している。この運動には日本会議や旧統一教会など宗教系の右派も糾合しているが、これを2004年、「親学」提唱者の高橋史朗氏を教育委員として招くことで、日本で最初に行政レベルで推進したのが上田清司前埼玉県知事だ。

SNSではこの条例改正案について、「旧統一教会」、あるいは「親学」と人脈を共有する「共同親権」推進派が自分たちの目的を達成するために提出したものだという議論も出始めている。しかし現状では、そうした推測はまだ陰謀論の域を出ない。

むしろここで問題にすべきなのは、子供の「放置」を防ごうとするときに、行政のサポートを充実させるのではなく、まずシングルや共働きなど伝統的家族観にそぐわない家庭に対して懲罰的な規制をかけるという発想になったことではないか。つまり、「親学」的な考え方、子育ては家庭が、特に母親が、全てを犠牲にして取り組むべきものだ、という考え方が、埼玉の保守系議員の中に無意識的に刷り込まれてしまっていることではないだろうか。

子供の虐待や放置が問題なのは当然であり、何よりまず親自身が子供の安全を願っているはずだ。だからこそ、今後また条例改正案が出るとするなら、その条例案は特定の家族形態を押し付けるものか、それとも多様な家族形態を前提にしているのかを丁寧にチェックする必要があるだろう。



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